昭和24年10月創刊

デパートのルネッサンスはどこにある? 2022年10月15日号-55

旭川と新宿 2つの閉館

 10月に入り、様々なニュースがアップされた。
取り上げるのは「旭川マルカツデパート」と「新宿小田急百貨店」の2つだ。

 9月15日号、10月1日号に続く「都心と地方百貨店」比較の第3弾とも言える。
10月に入り、とんでもないニュースが飛び込んで来た。

送電停止で旭川の「マルカツデパート」が突然閉店

 タイトルに続き、ニュースはこう伝えている「原因は運営会社社長の逮捕」と。( 後述)

 北海道、旭川市の中心に位置する「マルカツデパート」が、運営会社による電気料金の未払いで送電を停止された。これにより10月6日をもって、事実上営業終了となった。

 突然の閉店騒ぎに、客やテナント従業員が困惑するのは当然だが、 背景には何があったのか。

 旭川中心部で100年にわたって営業を続けてきた「マルカツデパート」は、建物の老朽化により今月10月末で閉店が決まっていた。しかし、10月6日の店内はすでに閑散としていた、という。午前9時30分に電力会社からの送電が停止され、事実上営業を終了したのだ。

 突然の営業終了の発端は9月27日に遡る。

 マルカツデパートの運営会社社長、遠藤大介容疑者が北海道の新型コロナ協力支援金をだまし取ろうとした詐欺未遂の疑いで逮捕されたのだ。社長逮捕の影響で会社の運営が行き詰まり、電気料金が未払いの状態で送電停止となったのだ。

予定外の営業終了

 前日10月5日の店内では、本来は営業中の午後5時前にもかかわらず、各店舗とも閉店の片付け作業に追われていた。送電停止の通告をうけ、入店するテナント30店舗のうち20店舗が、急遽一斉退去となったのだ。

 客が来店する中で、スタッフが商品や什器を運び出す、というのは業界人ならずとも「異様な光景」に映ったはずだ。「6日に電気を止めますと言われ、そうなったら真っ暗闇でまさか商売もできないですし」とテナントも困惑を隠せない。「本当は23日まで何とか売上を作ってと考えていたが」とも語っていた。長年通っていたという顧客も、この突然の閉店騒ぎに困惑しきりだ。

 「とても残念です。本当に長いことお世話になっていたんで」と旭川市民。「今月末までって聞いていたんですが、なんか急に、今日で終わりというふうに聞いて、なんかとても残念な気持ちです」と沼田町から来店した客。

 テナントは各店とも閉店セールなどの途中で事実上、営業終了となり、ビル管理を委託されていた業者は、マルカツデパートの運営会社とは連絡がつかない状態だという。
※注 マルカツデパートという名前ではあるが、いわゆる「百貨店」ではなく、テナントビルである。只、本紙デパート新聞としては、卑しくもデパートという名を冠した商業施設の、ある意味ショッキングとも言える閉店劇を、黙って見過ごす訳にはいかない。

 それでは、時間を1週間程遡り、発端となった「事件」まで話を戻そう。

コロナ支援金詐欺容疑で社長を逮捕

 新型コロナ対策の北海道の協力支援金をだまし取ろうとしたとして、旭川市のテナントビル運営会社の社長が逮捕された。詐欺未遂の疑いで逮捕されたのは、旭川市中心部のテナントビル「マルカツデパート」の運営会社社長、遠藤大介容疑者47歳。

 遠藤容疑者は去年8月31日ごろ、デパートに出店する自らが運営するテナントが北海道の要請に応じ、休業や時短営業をしたと虚偽の申請をして、コロナ対策の協力支援金をだまし取ろうとした疑いが持たれていた。

 警察によると、遠藤容疑者は、デパートの3つのフロアの900坪ほどを、貸しスタジオとして営業しているように見せかけ、約1100万円の協力支援金を申請していた。

 申請を受けた北海道は、書類の不備や不審な点などに気づき、協力支援金の給付を保留していたが、その後も遠藤容疑者の会社から申請が相次いだため、現地を調べたところ、営業実態が無かったことが判明した。

 12日に被害の届け出を受けた警察は、捜査をすすめ、27日、遠藤容疑者の会社や自宅など数か所を家宅捜索し、逮捕に踏み切った。

 警察は、捜査に支障が出るとして、遠藤容疑者の認否を明らかにせず、遠藤容疑者が新型コロナの持続化給付金など、別の詐欺事件にも関与している上、暴力団に資金を流す目的があったとみて引き続き調べをすすめている、という。

 警察によると、北海道の大型商業施設に対する協力支援金をめぐる逮捕は、初めてだという。地元の声は

 「急遽、送電停止による閉店に追い込まれたそうだね。月末で閉店する予定だったとはいえ昨今の百貨店離れやコロナ禍での売上減少で火の車だったのかな。最初は、支援金でどうにか最後まできちんと運営したいということだったのだろうと思ったけど。」という同情的な意見もあった。「マルカツは、丸井今井や西武が撤退した今、旭川では唯一のデパート。現存する旭川最古のデパートでこんな スキャンダルが出るとは。 もうすぐ取り壊しが決まっているとはいえ、まさかこんな形で晩節を汚すとは思いもしなかったよ。ガキの頃から何十年も通った身としては、悲しみしかない。」やはり、地元の方のご意見は特に切実に感じる。

【マルカツ来歴】

 1918年に松村勝次郎が北海道旭川市で松村呉服店を創業したのが始まり。

 1924年に現在地である旭川市2条7丁目に移転し、1936年に丸勝松村百貨店を設立して百貨店化した。

繰り返された経営譲渡

 その後、松山正雄が率いる旭川の繊維卸小売業者東栄の傘下に入り、1971年にマルカツデパートに改称。マルカツデパートの建物は1971年に建設された建物で地上7階、地下1階。1991年の売上高は71億9400万円だった。

 1997年経営母体だった東栄の業績が悪化し、400人規模の人員削減に追い込まれた。また、メインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻に伴い1998年に債権が整理回収機構に引継がれ、新規融資が受けられなくなった。

 それらの影響を受けて、2001年2月中旬に直営売場を廃止し百貨店としての営業を終了。翌3月からは店舗名は従来通りながら、テナントビルとして営業を再開した。

 2003年1月28日に経営母体の東栄が負債総額約350億円を抱え、民事再生法の適用を申請して事実上破綻。入札によりローンスタージャパンに総額23・98億円で売却され、経営権が再び移行した。なお、店舗名もテナントも変化なく、従来通り営業を続けた。

 2011年1月31日に主要テナントの一つで売場面積480坪、約15万冊の在庫を有した大型書店「冨貴堂」の撤退により、集客力が激減。同年12月には名寄市に本拠を置く海晃が買収して3度目の経営権移行が行われた。

 2012年に旭川駅再開発事業に伴い、駅前の旭川エスタが同年7月末の営業終了により、エスタに入居していたアニメイトなど、一部テナントがマルカツに移転。2015年にはエスタ跡にイオンモール旭川駅前が開業した。

 2017年3月には地下に食品売場として出店していた「ラルズマート」が閉店、その後地下に出店していた他のテナントも全て撤退し、2018年時点で、地下と冨貴堂跡の6Fが空き区画となった。

 2021年、海晃改めHIRホールディングスが、土地建物を札幌市の不動産会社シックスセンス傘下の企業群に売却し、同年3月から遠藤管財合同会社の所有となった。

 結果的に、4度も経営者が変わっているのだ。

そして閉店へ

 建物の老朽化が激しく、当初は2025年まで営業継続の予定だったが、2022年に入り、水漏れでテナントに損害も発生したため、同年4月に「時期は未定」としながらも閉店時期を前倒しする方針が報道された。

 閉店後は建物を一度解体した上で高層ビルに建て替える計画も発表された。その後もテナントの退去が相次ぎ、同年10月末での完全閉店を告知した。

 しかし、10月に入り、北海道電力への電力使用料未納が発覚。
10月6日午前に建物への電力供給停止が通告されたことを受け、10月5日をもって最後まで残っていたテナント全20店舗が一斉に退去し、閉店した。 

不祥事が追い打ち

 閉店直前の2022年9月、建物の所有者である遠藤管財の社長が、建物内の実際には存在しない貸しスタジオが休業したと偽り、北海道の新型コロナウイルス感染防止対策の協力支援金を騙し取ろうとした容疑で逮捕された。一部報道では、騙し取った支援金を暴力団に流す目的もあったとされている。

 いままでいろいろな百貨店の「閉店劇」を見聞きして来たつもりだったが、「社長逮捕」だけでも、控えめに言っても「衝撃的かつ前代未聞」と言わねばならないのに、「送電停止」によるテナント退去というオマケまでついてしまった。

 顧客はもちろん、テナントの販売スタッフや社員の方の心情は計り知れない。残念と言うよりも、「悲痛」という表現しか思いつかない。

 これからも、百貨店の閉店連鎖は続くだろうが、こんな情けない終わり方だけは避けて欲しいと願っている。

 次は都心の閉店の話題に移ろう。

新宿「小田急百貨店」の閉店

 こちらは少なくても未来に向けた「スクラップ&ビルド」という共通認識があるので、救われた様な気持ちだ。ひとつ引っ掛かるのは、小田急の広報は、お向かいにある別館「ハルク」への移設であり、「閉店ではない」と言い張っている点だ。顧客はもちろん「閉店」と認識している。

 一方、来年1月末には渋谷の東急本店が閉店する。この大手私鉄2社が、相次いでその起点となる駅= 本拠地の百貨店を閉店するという「意味」を、わがデパート新聞社としては、大変大きな事案として受け止めている。

 電鉄系デパートの雄が、ほぼ同時に閉店し、ビルを建て替えた後に「百貨店」の業態を継続するかは未定としているからだ。

 大手私鉄2社が、奇しくもそのターミナル駅の本拠地で「百貨店を辞める」と言いだした事に対し、本紙も百貨店という小売業態に対する「アンチテーゼ」を突き付けられた思いだ。

 地方だけでなく、超都心でさえもそうなのだ、と。いろいろ考えさせられる。

新宿駅周辺の再開発

 新宿駅周辺は、1960年代の高度経済成長期に整備が行われてから半世紀あまりがすぎ、建物が老朽化していることなどから、都などは駅や周辺の一体的な再編整備を進めている。

 このうち、西口にある小田急百貨店の新宿店本館は再開発に伴い4日から隣接する商業施設「小田急ハルク」に移り閉館した。

 跡地には2029年にオフィス機能と商業機能を備えた地上48階、高さ260ⅿと、東京都庁よりも高い高層ビルが2029年に竣工予定だ。

 今後、ほかの百貨店やビルなどの建て替えも行われるほか、東口と西口を結ぶデッキが設けられる計画だ、という。

 3日からは、早くも本館の建物の解体工事が始まった。只、もはや耳タコかもしれないが、そこに百貨店が入るかは決まっていない、という。

55年の歴史に幕

 10月2日、新宿駅西口で55年間親しまれた小田急本館との別れを惜しむ人びとが駆けつけた。

 多くの人が解体される前に写真に収めようと足を止めていたほか、館内も大勢の客でにぎわった。営業終了の際には人びとが集まり、「ありがとう」といった声が出るなか、55年の営業を終え、閉館した。大階段の前には、午後8時半、最後の瞬間を見届けようとする人々で埋めつくされた。
一部売場は隣の別館ハルクに移転し、早くも4日から営業を再開した。婦人服や紳士服がなくなるため、売り場面積は8割減の1800坪に縮小された。

 ハルクに移転するのは、主に化粧品、食品、ラグジュアリーブランドなど限られたカテゴリーのみで、本館で最大の面積を占めていたアパレル(婦人服、紳士服、子供服)は消滅する。

 婦人服の売場では馴染みの販売員に別れのあいさつをする常連客の姿もあった。川崎市から来た60代の女性は「新宿西口に勤めていた独身時代から、ここ一番の服を買うのは小田急だった。移転して洋服の売場がなくなってしまうのはさみしい」と話した。

 「5歳のころから来ていたので思い出があるし、この建物がなくなるのはさみしいです。新宿という街がどのように変わっていくのか楽しみです」と言う65歳男性。

日本の都心の象徴

 小田急新宿店は、東京五輪が開催されて日本が高度経済成長期の好況に沸く1967年、新宿西口広場の再開発とともに営業を開始した。本館は14階建てと、当時としては珍しい高層百貨店の走りと言って良い。変化する新宿と言うか、ある意味日本の「街」を象徴するデパートとなったのだ。

 世界一の乗降客数を誇る新宿駅直結の立地を生かし、百貨店全盛の1991年度には売上高1784億円を記録したものの、これをピークに下降線を辿った。コロナ禍もあって2022年2月期は635億円と、往時の半分以下まで落ち込んだ。

 専門店や商業施設の出店により、周辺エリアの競争は激化し、( 使い古された言い回しで恐縮だが) ECの台頭などにより、客と売上を奪われていった。

 コロナ禍による移動の減少により、電車で通勤し、生活動線の中で百貨店に立ち寄る、というライフスタイルそのものが変化してしまい、コロナ後も完全に元には戻らない。そういった考察に基づき、百貨店という枠組みにとらわれず、時代に合った新たなリテール(小売)の答えを探るために、ビジネスモデルの転換を図った、という事なのだろう。

 その「模範解答」として、百貨店という選択肢はもはや古いという事らしい。

京王よ、お前もか

 本コラムで以前もお伝えしたかもしれないが、小田急百貨店新宿店の本館の営業終了は、親会社である小田急電鉄や東京メトロなどによる、新宿駅西口地区の再開発に伴うものだ。

 隣接する商業施設「ミロード」もモザイク通りエリアなどが2023年3月、甲州街道に面するミロード本館が2025年4月以降にそれぞれ営業を終える。

 新なニュースとしては、隣接する京王百貨店の親会社である京王電鉄も、今年4月に京王百貨店の跡地にホテルと商業施設を併設した19階建てビルを2040年代に建設する、と発表しており、新宿駅西口は長期的な再開発のフェーズに入った。

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