昭和24年10月創刊

メニュー
メニュー

デパートのルネッサンスはどこにある? 2022年10月01日号-54

『みんなのデパート』を継承する 地方百貨店

みんなのデパート

承前

 前号では「富裕層シフトの評判」というタイトルで、以下4点について論じた。

  • 日本が格差社会となり、人びとの「分断」が進んだこと。
  • その社会の分断を背景に、都心の大手百貨店が「富裕層シフト」に注力したこと。
  • それにより都心大手百貨店は本来デパートが担うべき「公益性」を放棄してしまったこと。
  • そして今後「みんなのデパート」を体現していくのは「地方百貨店」である、ということ。

※前号でも述べたが、『みんなのデパート』は本紙デパート新聞社社主が8月に上梓した書籍である。

 『みんなのデパート』のサブタイトルは「地方百貨店に『秘策』あり」となっており、アフターコロナの『みんなのデパート』は、都心の大手百貨店ではなく地方百貨店だ、と論じている。なぜなら、本紙社主の言う「本来デパートが担うべき『公益性』の観点」を、都心の大手百貨店は捨ててしまったからだ。

 少し極端な表現だが、富裕層シフトの名の元に、高額品を、金持ちのためだけに販売する都心の百貨店に「公益性」が、あろうはずがないからだ。

 今まで、話を単純化するために、都心大手と地方百貨店を「対比」させて話を進めて来たが、東京の都心ターミナル駅立地であっても、街のキャラクターにより、百貨店の「成立与件」は異なっている。渋谷と池袋がそうだ。

渋谷と東急

 8月号の「デパートのルネッサンスはどこにある?」でも言及したが、都心一等地のターミナル駅であっても、百貨店のポジショニング、キャラクターは様々だ。

 東京を例にとると、銀座( 有楽町)、日本橋、東京駅を含めた東京の中枢は別格である。

 そして、9月1号で示唆した様に、副都心である新宿や池袋と異なり、渋谷は「百貨店」が無くなる「運命」が確定している。

 東急百貨店が無くなっても、渋谷西武やマルイは残るのでは、という百貨店通のご意見もあろうが、飛車角どころか王将が無ければ、そもそも将棋は成り立たない、といったら言い過ぎだろうか。

池袋の西東

 池袋は、老舗ではなく電鉄系百貨店である西武と東武が、その地の利を生かし健在だ。この両店には、良くも悪くも「みんなのデパート」の名残りがある。もちろん「ラグジュアリーブランド」のゾーンは存在するが、同時にロフトや無印良品やユニクロ、ニトリが同居しているのだ。

 もちろん両店とも「箱=面積」が大きい、という裏事情はあるものの「百貨」の名を体現し、あらゆるMD、商品を取り揃えている。

 そして都心の大型百貨店であっても、デパ地下までもが高級化一辺倒というわけではない。近所のスーパーの様に始終買物する訳ではないけれども「ちょっとだけ背伸びをして、プチ贅沢を味わう」と言うのが、昔からデパートの楽しみ方であったし、いまでもその役割は担っている。

ニューリッチ

 もうひとつエクスキューズしておく。日本を覆う「分断」の中で、世代間格差という表現を用いたが、若者が皆貧しいわけではないし、貧困に喘ぐシニア層も当然居る。

 都心百貨店(新宿伊勢丹)のラグジュアリーフロアにも、インバウンドで消滅した外国人に代わり、ヤングエグゼクティブ( 今はニューリッチと言うらしい) の姿を見る機会が増えた。

 若者が皆、ドンキホーテでガラクタを物色しているわけではない事は断っておきたい。
( 表現が下手なものでお許し願いたい)

ヤンエグの実例

 伊勢丹の外商客の中で、年間取扱い1千万以上の上顧客に占める44歳以下の「ニューリッチ層」の割合は、2019年に比べ5倍以上になった、という。

 コロナ禍は富める富裕層(シニア中心)を、より裕福にし、若者の生活基盤は、より不安定になった、という印象だったが、これは勘違いだ。富める者がより富み、それに年齢は関係なかった、という事なのだ。

 但し、彼ら彼女らは、伊勢丹の外商だけで買物をしている訳ではもちろんない。ネット通販始め、様々な販売ツールを「駆使」しているのが実像だ。彼らニューリッチの特色は、そのビジネスでの成功と同様、時間の使い方に非常にナーバスだと言うことだ。

コスパからタイパへ

 彼らが優先させるのはコスパではなく「タイパ」だと言うのだ。タイパはタイムパフォーマンスの略語で、いかに短い時間で効率よく買い物を済ませるか、という意味だ。ニューリッチ層にとつては、タイパがコスパよりも優先されるのだ。

 伊勢丹の外商に話を戻すと、ニューリッチ顧客の接客は「複数」の担当者が売場に随行、あるいは個室接客をして、顧客は次々に「品定め」をしていく方式らしい。

 ハリウッドの大女優か、アラブの王族の様な光景が目に浮かぶが、現代のプリンス、プリンセス達は、これを短時間で済ませるのが、特徴なのだ。

 天下の伊勢丹が、富裕層シフトをする裏には、ニューリッチ層の新しい消費スタイルへの適応が隠されていたのだ。

 高単価、大量購入が短時間で済むのだから、こんなに効率の良い仕事はない、という訳だ。

 筆者は、知らず知らずにため息をついていた。それが正直な感想だ。

地方のサバイバル

 都心大手百貨店の「富裕層シフト」については、本欄で何度も言及しているが、決して批判的な観点だけで取り上げているつもりはない。大勢の社員を抱え、企業の存亡をかけ、コロナ禍を乗り切るための「舵取り」として、間違っているとは、簡単には言えない。

 企業の生き残りをかけた「選択と集中」の答えが「富裕層シフト」であるというのは、容易に想像がつく。

 公益性も大事だが、企業の存続が何にも優先する。と言われたら、筆者も反論に苦慮する。

 只、都心大手の百貨店は、それで良しとして、地方百貨店はどこに「シフト」すれば良いのだろう。個々の事情やロケーションにより、課題は様々であり、最適解は当然ひとつではない。

松菱のトライアル

 ひとつ好例を挙げると、本紙7月15号と9月1号の特集記事「えきの駅 食文化探訪」で取り上げている三重県の百貨店「松菱」だ。地元三重県の食文化を「三重の食フェア」と題し、都心の百貨店で巡回催事として開催しているのだ。

 商売として自社の利益になるのはもちろんだが、地元三重県の食を物産展化して都心に紹介することは、観光地としての地元を、強力にアピールすることになる。正に、地元への公益事業としてかなり優秀な取り組みだ。

 前回と今回は、このパターンが多くて恐縮だが、是非本紙7月15日号と9月1日号を再読し、松菱の名を覚えて欲しい。

 本紙デパート新聞は、松菱の今後の活動を、少なからず期待を込めて見て行きたいと思う。

 地元への公益還元と、ビジネスモデルとしての成功の両立が、地方百貨店の生き残りのカギではないかと、筆者は考えているからだ。

生活文化の継承

 我々は、金持ち志向一辺倒に舵を切った都心の百貨店の「心変わり」を嘆いているだけでなく、地方百貨店の未来志向に期待したいのだ。彼らこそ「みんなのデパート」を守り、継続させてくれるからだ。

 ユネスコに無形文化遺産として登録し、伝統文化として保存したいくらいだ。
※冗談ではなく。

 神社やお祭りの様に、地域住民の生活だけでなく、それこそ人びとの「幸せ」を担う場所が、現代の市場であるデパートであるからだ。

 前述した松菱の様に、地域で生きる人びとの「生活基盤」の一部を担い、かつ地元の産業振興に貢献する企業は、地方自治体や国がもっと応援すべきではないだろうか。

 いや、我々デパート新聞社が応援させてもらおう。お上の補助金や助成金を貰うと、ろくなことにならないし。

世界情勢の変化とみんなのデパート

 本紙は業界紙ではあるが、だからと言って時事のトピックに無関心で良い、ということにはならない。日本人が既に忘れつつある、ロシア、ウクライナ情勢や、止まらない物価高と円安、そしてまだ忘れてはいけないコロナ禍など様々なニュースが飛びこんで来る。

国葬と分断

 奇しくも、という表現が正しいかどうか、いささか疑問だか、ゴルバチョフ氏に続いて、大きな訃報が入った。

 9月8日、英国のエリザベス女王が亡くなった。在位70周年の記念行事を待っていたかの様に96年の生涯を閉じた。9月19日に国葬が営まれ、天皇皇后両陛下が参列された。当然だが、岸田首相も参列する、という話は、いつの間にか無くなった。

 亡き女王は、昭和、平成と続く日本の皇室との親交も厚かった、と聞く。また、我が国の象徴天皇制の成り立ちにも、大きな影響があった事は、想像に難くない。

 そこで改めて考えなくてはならないのは、今、日本国を分断する原因となっている、安倍元首相の「国葬」問題である。
※安倍氏の国葬は9月27日の予定だが、この原稿はその1週前に記している。ご了承願いたい。

 エリザベス女王の国葬について、SNS上で、あるコラムニストが「国葬とは、このような方に対して、広いコンセンサスがある中で、静かに執り行われるべきものであろう」と発言していた。全く同感である。

様々な意見 

国葬費用( 税金での負担) が2・5億から16・6憶になったのは「ぼったくり」ではないのか。
国葬にしたのは自民党葬の経費をケチったから。
そもそも元首相は「国葬」に相応しいのか。
元首相の死の原因となった旧統一教会の問題は、彼の長期政権下で、隠蔽され、被害者の救済が進まなかったから

等々。

因果応報

 正直、彼が銃撃された、というニュースを聞いた時に、最初に頭を過った言葉は「因果応報」である。銃撃犯が、旧統一教会に恨みを持っていたからと言って、いささか関係の薄い元首相を狙ったこと自体が、逆恨みどころか「とばっちり」だとも言える。だがしかし、犯人の意図がどこにあったのかに依らず、総理経験者を暗殺したことの影響は計り知れない。

 けして殺人を賛美することは出来ないが、犯人の行動( 凶行) により、旧統一教会の被害者から、長年目を背けていた状況が、再び世間やマスコミの耳目を集めたことは、間違いない。

 信教の自由を、犯罪立件の「歪んだ盾」として使い、金銭トラブルを回避し、その見返りに教団の宣伝や、集票に利用していた教団関係者や議員は、当然その報いを受けなければならない。そうでなければ「法治国家」でなく「放置国家」だ。「ロシアや中国には自由も人権も無い」等と、うそぶくよりも、「自分達の頭の上の蝿を追え」だろう。

海の向こうでも

 昨今のこういった事象は、民主主義と自由経済の旗頭であるアメリカでさえ例外ではない。

 前大統領が国家機密を大統領退任後も保持していて、FBIの捜査を受けたり、連邦裁判所が人口妊娠中絶を禁止する州を合憲とするなど、異常なニュースが続いている。

 特に後者は、ウーマンリブ運動から半世紀たってからの、前時代への回帰であり、我々日本人からしても衝撃的だ。

 戦後、我が国が良くも悪くも「民主主義のお手本」としてきたアメリカ合衆国でも、中間選挙を前に「分断」が思いもしない事件や事態を現出させている。

 自由と民主主義を国民「自ら勝ち取った」アメリカでさえ、その基盤がぜい弱であるならば、民主主義を「与えられた」日本は、もっともっと、自由と人権の危うさを実感し、その保持に常に注力しなければならないのだ。それは貧困であろうが富裕層であろうが、都心でも地方でも、男も女もいかなるジェンダーでも、老いも若きもそうなのだ。

偶然と必然

 かつて日本は、災害大国である反面、水と安全はタダで手に入り、世界一治安の良い国と言われて来た。そして、地政学上は極東に位置する小さな島国でありながら、西側(自由&資本主義)陣営の一翼を担って来た。ただ昨今、コロナ前から既に、少し雲行きが怪しくなっているのだ。

 いささか話を広げすぎてしまった。何が言いたいかと言うと、百貨店を含む小売業(商売)というのは、国土と国民生活の安定が「大前提」だということだ。当たり前すぎて誰も反論出来ないだろう。「それは、どの産業でも同じだろ?」という声が聞こえて来る。だが、天災はともかく、戦争が、当事国以外に経済的な恩恵を与えることは、ままあるのだ。歴史がそれを証明している。誤解を恐れずに言えば、かつての日本の高度経済成長も、その下敷きとして「朝鮮戦争による特需」があったからこそだったのだ。この、冷戦前夜のアメリカとソ連との、イデオロギーの戦いにおいて、地の利を生かし、漁夫の利を得たという「偶然」が、日本という国の成長を「必然」に変えたのだ。

成長と人口

 地震や台風、コロナ禍は仕方がないとして、我々「小売業」が求めるのは、安定した経済成長か、安定した人口増、なのだ。大変判りやすい。百貨店に限らず、どんな小さな商売であっても、売上高をアップさせるのは、単価アップか客数アップのどちらかしかないのだ。売上のパイが小さくなった時に、経費(人権費)を減らすのは、その場しのぎに過ぎない。経費削減は「経営」にとって、一時避難ではあっても、根本的な解決策にはなりえないからだ。

 ことほど左様に、百貨店の将来は、日本という国の「行く末」次第なのだ。くどい様だが、富裕層にシフトした大手百貨店はもはや『みんなのデパート』ではない。

 我々デパート新聞は、大手百貨店の状況を「横目」で確認しながら、これから「正対」すべきなのは、地方の「みんなの」デパートなのだ。

 前述した、三重県の松菱の様な「地方の雄」を発掘して、紙面を通して応援して行きたいし、出来れば協業(コラボレーション)して行きたいと考えている。

※お願い※

ここでひとつ購読者の皆様にお願いごとだが、「松菱」の様に地方で奮闘する地元資本の百貨店をご存知であれば、デパート新聞社にお知らせ頂きたい。

 わが街の『みんなのデパート』をみんなで見つけて、みんなで応援しよう、という趣旨だ。
是非ご賛同頂ければ幸いである。

連載 デパートのルネッサンスはどこにある?

デパート新聞 紙面のロゴ
昭和24年10月創刊
百貨店に特化した業界紙
デパート新聞 購読申し込み