デパート破産 第15回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 デパートのなくなる街が増えている。人口が減り、景気には長らく暗雲が垂れ込めて、さらに人々の趣味や嗜好が細分化されてゆくとなれば、大きな建物を構えてたくさんのお客を呼び込もうという業態は厳しいのだろう。

 どこかでデパートが閉まる際、メディアは先行事例として山形を取り上げることが多いようだ。それに伴って、大沼デパートの本を書いた私もしばしば他県の報道機関から取材の依頼を頂く。

̶地元を愛されている渡辺さんにぜひお話を。

 気を使ってのことだろうが、ほぼ決まってこのような言い回しで打診がある。

 その度、後ろめたい気持ちになる。この連載で散々書いてきたように、私は郷土愛を欠いて育ってきた人間だからだ。

 地元の中心街よりも、隣の宮城県・仙台に都会の魅力を感じた。インターネットに触れてからは、体だけを山形に置いて、心はあらゆる土地に飛ばし続けた。

 地元のデパートに入るのは何かのついで、ひどい時には涼しさだけを求めての素通りだ。年寄り臭い雰囲気が苦手だった。

 30歳の時に自分で商売を始め、しばらくして大沼は取引相手になった。この経緯があってようやく自らの生活に「デパート」が組み込まれたが、それがなければ必要としないままだっただろう。

 これまで他県から足を運んできてくれた記者は、私と同年代か若いかのどちらかだった。彼らは山形に着くと、まずは中心街に向かうそうだ。抜け殻になった大沼デパート前に立ち、わずかな往来に声を掛けて、デパートを失った心境を尋ねる。

「寂しいね」「不便になったね」。そんな言葉を集めてから、私のところへやって来るのだ。

 彼らに対し私は「自分は地元を愛している人間ではない」と正直に明かす。執筆のきっかけは個人的な怒りであり、調査や取材を重ねるうちに怒りが好奇心、さらに愛着に変わって完成しただけだ。愛着は取材対象に限ったもので、現在の山形全体を含んでいるわけではない。しかしそこにこそデパートや地方を再生するヒントがある。

 そんな流れで締めくくるのだが、「郷土愛に満ちた著者」を想定してきた記者は当てが外れたという気持ちなのだろう。たいてい困惑した相槌を聞くことになる。 

取材が終わって互いに礼を言うと、私は必ず記者に質問をする。

 ̶デパートにはよく行ってましたか?

 私の見てきた彼らは気まずそうに笑みを作って「実はあんまり」と答えた。記事を任されて当事者になったからデパート消滅を嘆いているが、もともとはショッピングモールでのお買い物を楽しんできた世代なのだ、と。

 自分でも意地が悪いと思いつつ、私は「そうでしょう」と続ける。

̶事実は自分の中にあるんですよ。

 閉店したデパートの前で呼び止められ、心境を聞かれたら、配慮ある人は意図を察するだろう。結果として出てくるのは「寂しい」「不便」、いずれにせよ去りしデパートを惜しむ声だ。「別にネットがあるから大丈夫です」と答えられるのは、よほど度胸のある人間くらいだ。

 観察者が現れた時点で事実はゆがむ。なのに、メディアはそれを「市民の声」として報道する。自身はデパートを不要として生きてきたのにだ。

 記事や番組はそれっぽくなるのだろうが、真の問題提起は生まれない。喫茶店で、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で流れているジャズと同じだ。雰囲気づくりのためだけに消費される。

 きっと私は、業界紙にはふさわしくない話ばかりをしているのだろう。だが、こうして曲げられていく消費者の本音や、それを助長するデパート特有のノスタルジーが、再起のじゃまをしているのではないかと感じているのだ。

 冷酷な事実だが、デパートをなくした山形県はほとんど日常を取り戻している。