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デパートのルネッサンスはどこにある? 2022年02月01日号-42

今回は、二部構成となっております。

新型コロナウイルス感染症対策分科会 尾身会長

第一部 – 変異したのはオミクロンでなく尾身会長?

 残念ながら、コロナ感染者急増のニュースからスタートする。感染力がデルタ株に比べ4倍とも言われ、猛威を振るうオミクロン株ではあるが、一方で重症化率が低く、潜伏期間も比較的短いらしい。
そのため2月上旬にはピークアウト(収束)するのでは、という楽観的な観測も出始めている様だ。

 但し、短期間での感染者増=感染爆発を受け、社内や知り合いに感染者や濃厚接触者が出て、軽症又は無症状であっても、1~2週間の自宅待機を余儀なくされた方が多い、と聞く。もしかして以前よりコロナが「近づいている」と感じた方も多いのではないだろうか。

 不思議なコトに、我らがデパート業界では、職場クラスターの発生は、今のところ報告されていない。

「柔軟な対応」を示唆した尾身会長

 政府は1月19日、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染爆発を受けて、新たに13都県を対象にまん延防止等重点措置の適用拡大を決めた。ただ今回、政府分科会の尾身茂会長が、これまでの「人流抑制」一辺倒から「柔軟な対応」路線への転換を示唆したため、政府関係者、自治体、報道各社とも、受け止めは複雑な様だ。

 尾身氏は、昨年夏のデルタ株による「第5波」までは、コロナ対策として、東京都の小池知事同様、繁華街などへの人出を減らすいわゆる「人流抑制」を主張していた。

 しかし、19日には一転、人流抑制から飲食店の「人数制限」への移行を主張している。併せて「オミクロン株の特徴を踏まえた効果的な対策が重要で、ステイホームなど必要ない」とまで言っている。デルタ株の感染者減により、一旦コロナが終息した「結果オーライ」の昨年秋にも言われた事だが、誰もエビデンスを示さず、総括もされない。従って国民は皆、どのコロナ対策が効果的であったのか、未だに「検証された」という認識がないのだ。何となく、ワクチンの成果かな、とは思ってはいるが。

自治体の対応は混乱

 政府は19日夕のコロナ対策本部で、オミクロン株感染に迅速に対応するため、13都県にまん延防止等重点措置の適用を決めた。期間は21日から2月13 日までの24日間で、医療逼迫防止に向け、各都県による飲食店への営業時間短縮や酒類提供停止の要請などで感染の抑制を図る、とした。

 13都県の内訳は、東京都と群馬、埼玉、千葉、神奈川、新潟、岐阜、愛知、三重、香川、長崎、熊本、宮崎の各県。すでに適用中の沖縄など3県と合わせ、対象地域は計16都県に拡大した。

 大阪、京都、兵庫の関西3府県も、21日に適用を要請することを決めた。北海道、福岡に加え栃木、茨城、長野、島根など他道県も適用を要請し、政府が対策本部を開く週明け25日には適用対象が全都道府県の半数を超える29の都道府県まで拡大した。

 これも踏まえ、岸田首相は対策本部で「確保した医療体制がしっかりと稼働するよう各自治体にさらに準備を進めてもらい、メリハリの利いた対策で感染者数の増加を抑制する」と強調した。

 政府は3週間余に設定した適用期間で、飲食店への時短要請は、各都県が認証した店で最長で午後9時、非認証店で午後8時までとした。ただ、酒類提供をめぐっては岐阜、長崎、宮崎3県が一律停止を決めたが、東京都などは認証店で認める方針だ。首都圏では神奈川、埼玉、千葉でも、「行動制限」の内容が、自治体により微妙に異なっているので、地域住民は混乱しているというのが実態だ。

 政府の基本的対処方針では、ワクチン接種証明書か陰性証明を条件に行動制限を緩める「ワクチン・検査パッケージ」を原則停止した。しかし、自治体の判断次第で、対象者全員に検査を実施した場合は5人以上の会食やイベント開催の収容率も、エリアの対応は異なる。

尾身会長は「人数制限」にシフト

 そうした中、基本的対処方針を決めた政府分科会の尾身会長は、19日の記者団との質疑で、当面のコロナ対策を繁華街などでの「人流抑制」から飲食店などの「人数制限」にシフトさせるべき、との考えを示した。尾身氏は「今までやってきた対策を踏襲するのではなく、オミクロン株の特徴にあったメリハリのついた効果的な対策が重要だ」として、「『人流抑制』ではなく、『人数制限』が1つのキーワードになる」と強調した。「今回は何でもやめるという、ステイホームなんて必要ないと思う」と語った。尾身氏は、これまでのオミクロン株の感染経路の調査で、換気が悪い部屋などでの多人数の飲食と、大声でしゃべることなどで感染が起きていると指摘。「4人くらいとか、いつも行っている人と静かに飲食し、しゃべるときはマスクをしていれば、店を閉める必要はない」との判断を示した。

 尾身会長のこの発言について、もはや学者= 専門家というより、「自分の発言をマスコミがどう報道し、国民がどう受け止めるか、まで考えた『政治家』的な発言」と評したコメンテーターも居た。ポジショニングトークを専売特許とするコメンテーターにそう評されたのだから「皮肉」としか言い様のない状況ではある。尾身会長も2年間の経験を経て、国民の行動をコントロールするには、科学的事実の列挙ではなく、「言葉による誘導」が効果的と気付いたのかもしれない。少なくとも「立派な政治屋」には近づいているのかもしれない。コロナ禍のこの2年で、仕えた日本のリーダーが3人目ということを考えれば、彼の行動変容に、ある意味納得するしかないのだろう。

岸田首相の尾身対策とは

 年明け以降のオミクロン株による感染爆発に対し、岸田首相は仕事始めの4日、3回目のワクチン接種の前倒しや、無料検査の拡充、経口薬の確保、医療提供体制の強化などの対応をアピール。陽性者の全員入院という対応も見直し、宿泊施設や自宅療養を活用していくという新たな方針を提起している。
岸田首相サイドは、17日召集の通常国会での野党の追及を交わすためにも、「先手、先手の対応を続けることが重要」と判断した。就任後初の施政方針演説でも、「コロナ対策最優先」を繰り返しアピールしたのもこのためだ。岸田首相は、まん延防止等重点措置適用の先に想定される緊急事態宣言発出についても「機動的に検討する」として、政府は都道府県の要請に速やかに対応する姿勢を示した。これも、宣言発出について、「経済的打撃への懸念から慎重姿勢を示して『後手、後手批判』を受けた菅前政権の轍は踏まない」との岸田首相の判断を踏まえたものだ。

 そうした中、専門家代表として発信する尾身氏について岸田首相周辺は、「菅政権のときのような特別扱いはしない」と漏らした、という。菅前首相がコロナ対策での記者会見に尾身氏を同席させ、「どちらが最高責任者かわからない」と批判が集中したことを意識したからだ。尾身氏自身はこうした「尾身外し」の動きに対し、あえて政府の対応と異なる柔軟路線を打ち出した、との見方も広がっている。筆者には、政府も分科会も国民は蚊帳の外で、政治的な駆け引きに興じているだけ、としか見えない。この2年間、こんな茶番劇が続いている。

コロナ禍で安部菅越えの支持率を得た岸田首相

 12日に1日当たり1万人を超えた全国の新規感染者数は、1週間後のまん延防止等重点措置の大幅な適用範囲拡大を決めた19日には4万人超、21日には49854人と、遂に5万人目前まで迫り過去最多を更新し続けている。東京都でも同日9699人となり、1万人の大台突破は確実となった。

 多くの都道府県で過去最多となり、当面、感染爆発の勢いは止まりそうもない。
※前述の様に1月末を新規感染者数のピークと言う専門家も多いというが。

 これまでの岸田首相の「先手対応」は国民に評価され、オミクロン株による感染爆発を受けても、内閣支持率は高水準を維持してきた。しかし、岸田首相が「ウィズコロナ」戦略を真に成功させるには、現在の感染爆発の終息が最大のカギとなるのは明白だ。

 専門家の多くは、オミクロン株による今回の感染爆発のピークアウトを2月初旬と見込んでいる、という。岸田首相のリーダーとしての真価が問われるのは、この1週間と言う事になるのだろう。前述した様に、リーダー交代がコロナ終息の切り札ではないことは、筆者のみならず、皆が薄々気付いているのだが。

いずれにしても、本紙「ルネッサンス」の本分に戻り、今デパートが抱える問題に焦点を当てよう。
それは経済ではなく心理学の問題なのかもしれない。

第二部 – デパートには買いたいモノが無い!?

 前号に掲載した編集長インタビューで、取材をした新里社長( 新里製本所) から「デパートには自分が買いたいモノがない」という発言があった。
日本の百貨店には「もはや買いたいモノがない」というのが、いつからか日本人の「本音」となったのであろうか? 現代日本の消費のリアルをデパート新聞の視点から探って行きたい。
※もちろん「日本人」を一括りに考えるのは大変「危険」だとも思う。従って今は「日本人の大多数の意見」はというスタンスで話を進めよう。

 バブル期には10兆円ほどあった百貨店の市場規模が、昨年には4兆円程度と半分以下に減ってしまった(1991年9・7兆円→2020年4・2兆円)。元々ジリ貧であった百貨店売上が、コロナ影響によりインバウンド需要も消失し、結果として往時から半減したのは正真正銘の事実なのだから。

どうすれば消費が増えるのか?

 年末から年越しまで、「子育て世帯への臨時特別給付」いわゆる18歳以下の子供達への10万円の給付についての議論が騒がしかった。
※失礼、もちろん当事者にとっては極めて大事な話題だ。文字通り死活問題だ、という世帯もあるだろう、悲しい現実だが。
発表された当初から、(公 明党の選挙公約であったところから)バラマキじゃないのかとか、現金、いやクーポンのほうが確実に消費されるはずだとか、年収制限はどうするのかとか、当事者も外野も持論を繰り広げたのは記憶に新しい。中でも、「現金5万円+クーポン5万円」と、「全額現金」のどちらが消費促進効果が高いのかについて、いろいろな意見が聞かれた。この事案について、岸田首相は前2つの政権に比べ、良い意味で「変わり身が早い」。各自治体はいささか混乱したものの、10万円を総額現金給付でも可、としたのだ。アベノマスクの無駄遣いの時と比べれば、格段に批判の矛先をかわすのがお上手だ。間違いを認めずに「税金の無駄遣い」をする傲慢な指導者よりも、批判があれば直ぐに修正、是正する人の方が皆に支持されるのは自明の理だ。政権支持率の高止まりも納得だ。前任者が2人とも「酷すぎた」というコトもあるかもしれないが、それは岸田氏の責任ではない。結果として、「安倍・菅」を選んだのは、我々有権者なのだから。

給付金は「使わずに貯蓄」されてしまう?

 話を戻そう。しかし、肝心なのはそのことではない。結論として、そもそもお金をもらっても、消費しないで貯蓄する人が多いからだ。これは給付金に限ったことではない。家計のアンケート調査などからも、ボーナスの主な使い道は「貯蓄」なのだ。前回の特別定額給付金も、ほとんどがそれに回った、と言われている。現金かクーポンか、という問題ではないのだ。

 そもそも、今「お金を出して買いたいモノがない」というのが、根本の問題なのだ。人びとが消費したくなる「モノやサービス」、それに向かう「消費感情」をかきたてないと、いくらお金をバラまいても無意味ではないか、という考え方だ。はてさて、いったい今、我々は何が欲しいのだろ
う?
 それは、何をすれば楽しいのだろう、と言い換えても良い。もしかして、永い間、特に百貨店業界で問題になっている、売上マイナス= 消費低迷の根本原因は「買いたいモノがない!」「=したいことが無い」が答えかもしれない。

 筆者の様にバブル時代を知っている人間からしても、最近の若者、ミレニアム世代やZ世代は、何にお金を使っているのだろうか?と、常々思う。

原因はアベノミクスによる格差?

 30年続いているこの「低成長時代」を背景に、サラリーマン(もちろんwomenも)給与所得がほとんど増えていない。
※実態は逆に所得格差が広がっており、富める者は更に富み、そうでない大多数は・・・貧困化が深く静かに深耕しているのだ。
アベノミクスの罪かどうかは、別に議論が必要だが、2010年代の10年間も、全く改善していないことは事実なのだ。
※増税がそれに拍車をかけていることも、むろん事実だ。

 もちろん若者たちは、けっして「金をまったく使っていない」わけではない。コロナ禍で減少はしたものの、それ以前には友人との飲食や買物を、また今でも継続して携帯料金はじめ、スマホゲームやNETFLIX等の動画配信サービスや、マンガや雑誌の読み放題アプリなどの月額課金を利用している。

 しかし、「お金があったらこれが欲しい」という実態のある「モノ」の名前はあまり出てこない。「不動産が欲しい」という若者は時々いるが、それは所有というより投資目的や老後の備えとしてなのだ。「所有すること= 豊かである」と感じない人が増えていく日本で、お金を渡しても経済効果や、ましてや経済成長はありうるのだろうか。
※筆者も昔はクルマを所有していたが、今の若者は免許すら取ろうとしないと聞く。身分証明書は保険証かマイナンバーカードがあれば充分だと宣う。

例えお金を貰っても「欲しいものがない」

 内閣府によると、今回の10万円の給付金配布の主旨は「新型コロナウイルス感染症が長期化を背景に、子育て世帯については、わが国の子供たちを力強く支援し、その未来を拓く観点から……」としている。
始めに断っておくが、筆者は子育て世帯への給付については賛成だ。もちろん、1回だけの補助では「焼け石に水」とは思っているが。
それでは、子供のために使うとして、彼ら彼女らが欲しいものはなんだろうか。あるリサーチ会社が昨年行った「コロナ禍で過ごすクリスマス」に関する調査では、子供へのプレゼントで最も多かったのは「ゲーム」で約35%を占める。こちらも、所有というよりは消費→体験にあたるのだろうか。また、共通ポイント「Ponta」のリサーチ会員に対し、年末年始に購入・消費したい商品・サービスを聞いたところ、1位は「食品(ふだん食べるもの)」、2位は「食品(お取り寄せなど、特別なもの)」、そして3位が「外食」だった。
コロナ禍という特殊事情はあるものの、ベスト3がすべて「食べ物」とは正直驚いた。生活雑貨もファッションも自動車も、トップ10には出てこない。別に飲食ジャンルだけで聞いたわけではない。全部で10の分野から3つを選んでもらった結果だという。本音として「所有」したいモノが思い当たらないのだろう。

昭和平成と異なる令和時代の消費

 今ではあまり聞かなくなったが、岸田内閣発足時に「令和版所得倍増計画」というキャッチフレーズが公になった。元ネタである昭和の所得倍増計画は、高度成長時代の池田内閣が打ち出した3C(カラーテレビ、クーラー、カー)の所有である。国民はそれを新・三種の神器と呼び、それらを買える生活に憧れた。そして、それが国民の生活を豊かにすると、皆心底信じていた。何よりも、結果的にそれを実現させた世帯も多かったのだ。

 しかし、貧富の格差を下敷きとした、億ションや高級外車、高級リゾートといった、現代の富裕層ステイタスは別として、「これがあれば、より豊かな生活」を感じさせるような商品は今やない。非富裕層であっても、個々人の価値観はそれぞれ異なり、半世紀前の1億総何々の様な、国民統一の豊かさの証(あかし)はもはや存在しない。反論を恐れずに言えば、ある一定レベルの「豊かさ」は皆に行き渡ってしまったからだ。全国民共通の「欲しいもの」が存在しない時代に、いくらお金をバラまいても、貯蓄に回るのは当たり前なのだ。

将来の「欲しいモノ」のために貯蓄する

 今はないけれど、いつか欲しいモノが出来た時に買えればいいので、「今は」蓄えておく、というスタンスは、ある意味クレバーであり、現実的な選択と言わざるを得ない。クーポンなら買う、現金なら貯蓄という話でもなく、もし筆者が貰えたらクーポンで米や肉を買うだろう。そうすれば、そのぶん食費用の現金が浮くわけで、それは「いつか」のための貯蓄となり、そうしたことが繰り越される。何度も言うが、欲しいものがなく、さらに収入も増えないとなれば、消費よりも節約に向かうのは生活防衛として致し方ないコトなのだ。

 この件は本欄で何度か言及しているので、「耳タコ」の方も多いと思われるが、三越伊勢丹、大丸松坂屋、髙島屋といった大手百貨店はこぞって「富裕層シフト」に注力している。「買ってくれそうな客(見込み客)に買って貰って何が悪い」と言われそうだが、もちろん何も悪くない。只、もし本当に日本が貧困化している、というのが本当ならば、富裕層シフト一択、という今のデパートの政策に将来、そして未来はあるのだろうか。顧客の絞り込みだけでは商売は「先細り」ではないのだろうか。

 ちょっと大げさに聞こえるかもしれないが、少なくとも昭和の時代は、顧客を作り、そして育て、顧客とデパートは二人三脚で日本人のQ O L(Quality of Life = 生活水準)を引き上げてきたのではなかったのか。

 つい興奮してしまった。もちろん百貨店は、あらゆる選択肢を検討した上で、百貨店の「のれん=ブランド」を活かしつつ、商売を継続するためにはどうしたら良いかを真剣に考えているのだろう。

生活が苦しくても贅沢は出来る?

 それでは、富裕層ではない「庶民」は何にお金を使っているのか。格差社会となった日本には今「安い贅沢」があふれている、という。安価な「プチ贅沢」と言っても良いだろう。

 サイゼリヤなら、1 人1000円あればワイン付きディナーが楽しめるし、これはガストやバーミヤンも基本同様だ。海外旅行に行けなくても千葉県の「夢の国」なら非日常な体験ができる。100均ショップやニトリを利用すれば、見栄えのいいインテリアも整うという寸法だ。ファッションの世界でも、定番のユニクロやGUだけでなく、かつてはガテン系職人の作業着の店であったワークマンで、安くてもおしゃれを楽しめる高機能アウトドアウェアが手に入る。

 いずれも、貧しい日本人が、貧しさを感じないための工夫なのではないか。若者の間で「古着」がブームになっているのも、こうした背景を考えると、ちょっと複雑な心境になってしまう。酒税法の網をかいくぐった、ビール系アルコール飲料は言うまでもない。いつの間にか日本は、本物ではない、安価な代用品天国となってしまった。テレビタレントも、モノマネをする「そっくりさん」が重宝され、若者はそもそも本物を見たことない、という笑えない現象が起きつつある。また失言だ、安価なモノ=偽物ではないのだ。それではプチ贅沢でなく似非(えせ)贅沢になってしまう。全く笑えない、悲しい語呂合わせだ。

残念な結論

 かつて、欧米製の高性能で高価な「外車」に対抗し、日本の自動車メーカーはその技術力と企業努力により、安価な高性能車を生み出し、世界一の自動車生産国となった。という昭和の成功物語が、本当にあったのだ。そして、カメラや家電製品も加わり、いつしか「メイドインジャパン」が世界の優良製品の代名詞となったことも事実だ。だが、テレビや携帯電話やパソコンも、今ではジャパンアズナンバーワンではない。

 前述の「プチ贅沢品」は、昭和の成功体験が忘れられずに、その残りかす(悪いエッセンス)だけを継承した我々消費者が生み出したモノなのではないだろうか。

 国民がそうした商品を30年間買い続けた結果、それは景気に貢献せず、デフレを固定化させてしまった。それどころか、そうした商品やサービスが大半を占めてしまったために、「何でも安く手に入る」ことにわれわれは慣れてしまった。そして貧しくなったせいで、もはや欲しいモノがない国になった、とすると、これもまた皮肉な結果だ。

 こうした「プチ贅沢」なモノやサービスが生み出され続ける今の日本で、結果として百貨店の「本物志向」を支えてくれるのは、例え数は少なくとも「富裕層」である。今デパートは、彼ら「プチ富裕層」の消費に頼らざるを得ないのだ。

 百貨店各社にも、我々にも現代日本社会の「仕組み」を変えるチカラは、残念ながら無い。もしこの、「欲しいモノがない」症候群の処方箋が、日本 経済の復興(ルネッサンス)なのだとしたら、本欄のタイトルも変更しなければならない。もう一つ残念なコトは、本欄のタイトルを変えても、絶対に日本経済の復活には寄与しない、ということだ。
残念至極。

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