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デパートのルネッサンスはどこにある? 2021年10月15日号-34

百貨店の未来とは・・・

東急本店

コロナ第5波収束 都心百貨店リニューアル続々 – 都心百貨店が次々リニューアル

 コロナ禍は、決して終息したワケではないが、一旦ピークアウトした様にみえる。この合間に、我らがデパート業界の、「文字通り」建設的なニュースをお伝えしたい。

1.小田急新宿店

再開発に伴い22年9月末で営業終了

 小田急百貨店は9月16日、新宿店本館の営業を2022年9月末で終了すると発表した。何と1年後である。親会社である小田急電鉄と東京メトロなどの新宿駅西口再開発に伴うものだという。営業終了後は隣接する別館のハルクに食品、化粧品、ラグジュアリーブランドを移転する予定だ。本館の跡地は48階建ての高層ビルが29年に竣工する予定で、中低層部は商業施設になる。今のところ、小田急百貨店がそのまま入るかは未定だ。

 小田急百貨店の新宿本館は1967年に開業した。小田急線と丸ノ内線の2棟から構成された商業ビルで、設計は西口広場とともにモダニズム建築家である坂倉準三氏が手がけた。売り場面積は約4万7000平方メートル。

 日本一の乗降客数を誇る新宿駅は、同時に大手百貨店最大の激戦区でもある。1990年代には東口に伊勢丹新宿本店、三越新宿店、西口に小田急百貨店新宿店、京王百貨店新宿店、南口には96年開業の髙島屋新宿タイムズスクエアの5店舗がひしめきあっていた。2012年には旧三越新宿店(当時、新宿三越アルコット)が閉店し、現在まで4店舗体制が続いている。

2.渋谷東急本店

23年春に解体 跡地で施設開発

 東急百貨店は、2023年春以降に東京・渋谷の東急本店の解体作業に着手する。これに伴う休業については未定。跡地(東京都渋谷区道玄坂)では東急、東急百貨店、LVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトングループにより設立された投資会社であるLキャタルトンの3社による開発を進める。

 隣接する文化施設「Bunkamura」も大規模な改修工事を実施する。東急百貨店はすでに渋谷駅前の東横店を2020年3月末に閉店している。東急本店の閉店で、「東急」の屋号を冠する百貨店が渋谷から姿を消すこととなる。

 本店は1967年に開業し89年にはBunkamuraが併設された。ラグジュアリーブランドを集積した構成と、高級住宅地である渋谷区松濤を後背地とするロケーションから、近隣の優良顧客に支持を得、外商 セールスを強みとしてきた。一方で中心顧客層は50代以上と、顧客層の高齢化が課題だった。東急グループは渋谷ヒカリエのShinQsやスクランブルスクエアなど、新たな複合施設の開発を進め、編集フロアと専門店をミックスする「融合型リテーラー戦略」を推進、若い顧客層の開拓を進めていた。尚、紙面の関係から、融合型リテーラー戦略の説明は次回以降にする。悪しからず。新施設は『隣接するBunkamuraとの一体化により、カルチャー、エンターテインメントと言った、QOL(クオリティオブライフ)を高める「真の豊かさを感じるワールドクラスクオリティの施設」を目指す』としている。

 具体的な開発計画については、東急百貨店の広報曰く「白紙」だが、今回手を組む Lキャタルトンには複合商業施設開発の実績がある。同社は過去にGINZA SIX(銀座)、マイアミ・デザイン・ディストリクト(米フロリダ)、ブレントウッド(カナダ)などを手掛けている。Lキャタルトンは「渋谷は世界でも有数のアイコニックな街。日本のファッションの中心地でラグジュアリーな魅力を高める計画を推進できることは大変光栄だ。東急グループと価値観を共有し協力しながら、ユニークな体験を提供する次世代の施設を作り上げていく」とコメントを出した。

「築100年」を迎える日本橋三越と新宿伊勢丹

 百貨店大手の三越伊勢丹ホールディングスが近い将来、基幹店の日本橋三越本店(中央区日本橋室町)と伊勢丹新宿本店(新宿区新宿)の再開発に着手する意向を表明した。両店とも、老舗百貨店として都心を代表する店舗だ。

3.日本橋三越

 日本橋三越本店は1673年(延宝元年)、呉服店・三井越後屋として日本橋で創業。1683年に現店舗がある場所(旧店の隣接地)に移転した。現在の本館の建物は1914(大正3)年に建設されたものだ。その後も複数回の増築が行われており、1932(昭和7)年には三越が建設費を負担するかたちで東京地下鉄道(現:東京メトロ)銀座線の三越前駅が設置され、地階と駅が直結。さらに、1935年の増築では吹き抜け空間「中央ホール」にパイプオルガンが登場し、現在も週末を中心に生演奏が行われている。この中央ホールを中心として館内に古い内装が多く残っていることもあり、2016年には 「我が国における百貨店建築の発展を象徴するもの」 として国の重要文化財に指定された。2018年には「おもてなしの森」をテーマに、ご存知国立競技場をデザインした、建築家の隈研吾氏プロデュースのもと、内装を一新した。そうしたリニューアルも、元の躯体(くたい)= 構造の主要部分を維持するかたちで行われている。

4.伊勢丹新宿本店 – 都選定歴史的建造物

 伊勢丹は1886(明治19)年に神田旅籠町で呉服店・伊勢屋丹治呉服店として創業した。1933年に現在伊勢丹新宿本店となっている建物へと移転。新宿三丁目交差点側の正面部分は1925年に建てられたライバル百貨店・ほてい屋を1935年に買収したもので、1936年にはふたつの百貨店の建物が接続され、ほぼ現在に近いかたちとなった。その後、1957年に建物の裏側が増築されたほか1959年には営団地下鉄(現:東京メトロ)新宿三丁目駅の開業に合わせて地階と駅が直結されている。伊勢丹新宿本店の外観は建築時の意匠を色濃く残す反面、内装については幾度もリニューアルを繰り返しており建築時の面影はあまり見られない。また東京都選定歴史的建造物に指定されているものの、国の文化財とはなっていない。

百貨店の再開発 – 近年の例を見る

 これらの百貨店はどういったカタチでの再開発が想定されるのか。計画の詳細については未発表だが、「近年再開発を行ったほかの老舗百貨店」にヒントがある。

5.日本橋髙島屋

 近年再開発を行った老舗百貨店のうち、日本橋三越本店と同じく国の重要文化財に指定された本館を持つのが、2018年9月に全面リニューアルした日本橋高島屋(中央区日本橋)だ。同店は重要文化財となっている1933(昭和8)年築の現本館の躯体を損なうことなく、三井不動産(同区日本橋室町)等の参画により、同店に隣接していた別館や駐車場などがあった場所を再開発し、新館と東館を建設。高層階はオフィス、低層階は100店舗以上のテナントが出店する「日本橋高島屋 S.C.(ショッピングセンター)」となった。日本橋三越本店も日本橋髙島屋と同様、国の重要文化財となっている本館に隣接して南側に「新館」が立地。新館の正面部分(日本橋側)は2004年築と新しいものの、西側は低層の立体駐車場となっている。そのため、次の再開発では日本橋髙島屋のように、本館以外の建物を建て替えて高層階をオフィス、低層階を売場とする可能性が高いと思われる。

6.大丸心斎橋店

 それでは、伊勢丹新宿本店はどうか。伊勢丹も隣接して伊勢丹メンズ館や伊勢丹会館など複数の建物があるため、本館に手を付けることなく隣接する建物のみを再開発することも可能だ。しかし、同店は日本一の売上を誇る百貨店である上、内装に建築当時の面影は少なく国の文化財などにも指定されていないため、さらに大規模な再開発を行うことも容易だとも言える。そこで思い出されるのが、1726(享保11)年に開店した関西屈指の老舗であり、再開発により2019年9月に新たな建物での営業を開始した大阪の大丸心斎橋店だ。

 大丸心斎橋店の旧本館は1922年築。アメリカ人建築家W・M・ヴォーリズの手による内外装は芸術的に高い評価があったものの、空襲の際に高層階が焼失したこともあり、建物は文化財には未指定。大丸最大の売上を誇る旗艦店としては売場面積が狭かった上、老朽化が進んでいるとして、正面部分の外壁を残して解体、旧店よりも高層の新たな建物を建築することとなった。

 新しい建物は1階を中心に旧店舗の内装部材が多く用いられたほか、すでに失われていた装飾を復元した部分も見られる。このように、伊勢丹新宿本店についても、大丸心斎橋店に倣い、シンボリックな外壁デザインを残したまま内部を解体して新たな建物を建設する可能性が高いと思われる。

20年後の将来を見据えた再開発

 大丸心斎橋店の建て替えのカギとなったのが「代替店舗」の存在だ。同店が建て替えの際に売場を移設した大丸北館は、もともと2009年に閉店したそごう心斎橋本店の建物である。旗艦店の建替えは近隣に売場 の移設先があったからこそ成しえたとも言えるのだ。移設を終えた北館の跡地には、新たにJフロントリテイリングの参加に入ったパルコに「心斎橋パルコ」を出店させた。元々は西武セゾングループであったパルコが、そごう・西武の跡地に大丸松坂屋の一員として出店するということだ。「隔世の感」と言うと、いささかオーバーに聞こえるだろうか。

 話を戻そう。当の伊勢丹は、隣接地にメンズ館などの建物が複数あるほか、伊勢丹の斜め向かいビックロの建物(1929年築の新宿三越ビル、旧三越新宿アルコット)も三越伊勢丹グループが所有している。現時点でビックロの賃貸契約期限は2022年までとなっており、伊勢丹新宿本店の再開発を前にして、この新宿三越ビルの動向についても注目したい。

 三越伊勢丹ホールディングスの細谷敏幸社長は、今回の再開発計画を「10~20年後の将来に向けたもの」だとしており、現時点では再開発の規模や概要については検討段階であるとしている。名実ともに「日本一のデパート」である新宿伊勢丹であっても、いや、売上日本一であるからこそ、コロナ禍を経た「新たな一手」が注目されている。

 約100年にわたって日本橋と新宿のシンボルとなってきたふたつの百貨店。言うなれば、日本のデパートのメッカである。両店ともに大規模な再開発が行われ、そして旧来の百貨店の常識を覆すような「新たなデパート像」を示すこととなれば、都心の街づくり、ひいては全国の「街のあり方」にも大きな影響を与えることになるだろう。

デパートの未来

 本欄のタイトルはご存知の通り「デパートのルネッサンスはどこにある?」である。ルネッサンス= 再生・復活 という表現を使っている以上、それは自ずと今現在「デパートは衰退している」という大前提に立って話をしていることに他ならない。残念ながら「衰退」は事実であり、売上が「往時から半減している」ことは誰も否定できない。その上で、売上や収益、さらにはスタッフの雇用といった経済的な側面だけでなく、デパートの、その立地するエリアでの「文化的な存在意義」をも含めて、その将来を考えて行こう、というのが、「デパートのルネッサンスはどこにある?」の本懐である。

 ちょっと大上段に構えすぎていて、はなはだ恐縮ではあるが、本欄の主旨は連載開始から不変である。但し、丁度連載を始めた直後に、新型コロナウイルスの感染拡大が我が国と世界を覆った。それにより本欄も、「コロナ禍のデパートの苦境」というより「政治によるコロナ対応の不作為」という困難に直面し、「翻弄される百貨店」を幾度も題材としてきた。

 今号では久々に、デパートの将来や、来るべき未来を多少とも語ることが出来た。もちろん百貨店のリニューアルは上物( うわもの= 建物) ではなく、「中身」が大事なことは言うまでもない。大手有名百貨店の優秀なスタッフが、「仏作って魂入れず」な改装をするとは思えないが、今後発表されるリニューアルプランを、我がデパート新聞社は注視していきたい。

 ECやDXといった販売手法の改革や、富裕層シフトという小売業の中での差別化が「有用」であるコトには、反論の余地はない。しかし本紙社主による「無駄の物語」を引用するまでもなく、一見無駄に見えるかもしれない「社会的文化的な存在意義」を見過ごしていては、「デパートのルネッサンス」は却って遠のくのではないか、と危惧している。

 百貨店は街の中心で物や飲食、サービスを提供する、しかし、それだけではない。それを忘れてはいけないのだ。

 デパートの未来を見据えたところで、我々は足元の「コロナと政治」に立ち返る必要がある。

 もちろん、あまり楽しい話題ではないが、今しばらくお付き合い願いたい。

 9月初旬、新型コロナウイルスに感染し、肺炎を起こして入院した女優に対して、ネット上では「上級国民だから優先的に入院できた」といった批判が沸き起こった。丁度一か月前のニュースだ。ご承知の通りこの時期東京都内では、中等症で救急車を呼んでも入院先が見つからず、自宅療養を余儀なくされるケースが相次いでおり、最悪の場合そのまま死亡してしまうことも珍しくなかった。つまり、医療提供体制がまともに機能していなかったのである。 もちろん「上級国民」は実際には存在しない。池袋の暴走老人への実刑判決がその証拠だ。

 しかしそのような特権階級がいるかのように思わせる社会的な不公平性がすでに顕在化しているからこそ、「たまたま入院できた」という出来事の真相を解き明かす「上級国民」というパワーワードが一定のリアリ ティを持ってしまうのである。

人命を軽視した政府のコロナ対策

 それらの疑心暗鬼を作り出す心理的な背景となっているのは、この時進行していた「人命軽視」としか言いようのない政府のコロナ対策だ。自宅療養、自宅待機という名の「医療提供の放棄」が横行し、事実上の無政府状態が出現していることへの国民の不安といら立ちが、デルタ株の感染爆発という新しい段階において急速に膨れ上がっていた。菅義偉首相は9月3日に辞任を表明したがそれだけで事態が好転するワケではなかった。

 第5波の真っただ中にあった東京では、病床の逼迫が深刻化し、自宅療養中の死亡が続出している。9月1日には、入院患者は4000人を超え、自宅療養者はおよそ2万人に上っていた。本号の発行される10月15 日から、ほんの1ヶ月半前の首都東京は「戦時中」の様な猜疑心と閉塞感に満ちていたのだ。

 既存の病床をICUとして使用できる様にといった法整備や、人工呼吸器を扱える医師やスタッフを集めるのに十分な時間があったはずなのに、厚労省も日本医師会もこのような取り組みをいっさいしてこなかった。その結果、欧米に比べて極めて少ない感染者数と死亡者数にもかかわらず、いとも簡単に医療が逼迫してしまった。

 この9月の医療の逼迫は、実際には新型コロナウイルスの登場から1年半以上が経っていたにもかかわらず、重症化対応に関して、なんの努力もしなかった厚労省と日本医師会の責任であり、ひいてはそれを監督指導する立場の、為政者の責任と言って間違いない。

自民党総裁選から衆議院選挙へ

 東京のみならず、全国のコロナ感染者が減少し、緊急事態宣言が全面解除となった。その後のニュースは自民党の総裁選一色となった。議会制民主主義である我が国では、与党党首= 総理大臣であるから、当然と言えば当然ではあるが・・・
野党から国会を開くよう要請されても答えず、「憲法違反」と罵られても、党内の「派閥争い」にしか興味がない与党議員。他にニュースが無いからと、それを持ち上げるマスコミも同罪だ。

 本紙は当然不偏不党をモットーとしているので、一党の総裁選挙の結果をここで論じるつもりはない。只、日本という船を導いてくれる新しい船長には、是非、乗客である国民の声を真摯に聞いて欲しい。コロナ対策は科学的なエビデンスを元に、着実に対策を実施してくれる本当の「科学者」に舵取りをして欲しい。そう思う。

 この1年半というもの、国民に我慢と忍耐のみを強いてきた現政権に対し、どんな審判を下すかを決めるのは、主権者である我々国民である。選挙では「何も変わらない」と思っている人びとが多数を占め、その人びとが投票を怠れば、本当に「何も変わらない」だろう。それでは「何も変わらない」ことを織り込んでいる議員と、その政党を利するばかりだ。もちろん、そういった事をすべて含めての「政治」である。国民の意志は10月31日にも示されるはずだ。

自粛と言う名の規制

 前号では「百貨店の8割が赤字に転落」として、「デパートの復活を担う」デパート新聞としての本分に立ち返り「デパートのルネッサンスはどこにある?」の下半期をスタートした。

 只、8月号9月号で伝えた様に、百貨店の苦境の原因は、コロナ禍「そのもの」ではない。それは、感染者増により乱発される緊急事態宣言や、それに付随する自治体からの規制、そして、結局は半年の間延々と続いた「外出自粛」といった、国民= 顧客に対する自粛「要請」なのだ。もちろんそれは、百貨店業界だけでなく、飲食業、旅行業、エンターテインメントの世界にも及んだ。この実質的な「規制」により、百貨店は苦境に立たされ、人びとは生活の中の「楽しみ」を否応なく奪われてしまったのだ。

 端的に言えば、これは「自粛要請」という名の行政の不作為による「人災」である。そしてこの事案が更に理不尽なのは、休業や時短「要請」に従って「給付金・補助金・助成金」により苦境を救われるどころか「焼け太り」した飲食店まで現れたことだ。一方で、デパートやメーカーやテナントには、「雀の涙」以上のお金が支払われたというニュースはついぞ聞こえて来ない。

審判の日

 コロナ禍の悪夢の1年半、今、デルタ株による第5波も、ようやく終息しそうな状況だ。シロウトでも判るのは、このタイミングで第6波に備えて、病床の拡充や一般医でのコロナ患者受け入れを、なぜ推進しないのか、と言う一点だ。

 国のトップや自治体の長や、専門家(と称する評論家)による「ステイホーム」どころか「気の緩み」発言を、我々はもう二度と聞きたくない。他国と比べ、大多数が「真面目な日本人」であっても、マスクをしない輩(やから)は、例え少数であっても必ず存在する。コロナが蔓延したのは為政者の「要請」に国民が「従わなかった」からでは決してない。日本の新しいトップには、マイノリティの存在を是認しつつ、実効性のある対応をしてもらいたい。言うまでもないが、宣言を出したり、伸ばしたり、引っ込めたりするのが、あなた方の仕事ではない。国民の生活をノーマルな(もしくはそれに近い)状態で送らせるのが、あなたの仕事だ。敢えてもう一度記す、「民意」は後、半月で示される。

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