デパート破産 第17回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 大沼デパートについてのノンフィクションを書くに当たって、エレベーターガールの証言は欠かせないと思った。とはいえ、確たる狙いがあってではない。単純な連想ゲームのようなもので、私の中では「デパート」と「エレベーターガール」が等号で結び付いていたのだ。


 私の交友関係に取材対象は居ない。SNSで呼び掛けてみると、何件が反応があった。どれも「知り合いが大沼のエレベーターガールだった」というものだ。紹介してもらうようお願いしたが、働いていた本人からいい返事をもらえることはなかった。
 中には「終わった事件ではないので」という断り文句もあった。大沼は破綻したが、債権者集会はまだ続いている。回収不能の売上によって苦境に立たされている企業もあるだろう。その段階で思い出話に花を咲かせるわけにはいかない。そのような配慮だと推察し
た。


 しばらくして、もう1件の手掛かりが舞い込んできた。その人が言うには、同じ職場にかつてのエレベーターガールが勤めているという。あらかじめ「話を聞きたがっている人が居る」と伝えてくれたらしい。「覚えている範囲でなら」と承諾を得たそうで、電話番号を教えてくれた。コロナ禍で対面取材が難しかったころだが、ありがたいことに「会って話してもいい」と言ってくれているという。
 まだ本文を1行すら書いていなかった時期のことだ。それでも脳裏に完成した本の姿を浮かべながら、終業後を見計らってスマートフォンに数字を一つずつ打ち込んでいった。
 出ない。運転中だろうか。家事で手が離せないのだろうか。折り返しを待ったが音沙汰なく、翌日も同じだった。
 再び夕方に発信してみたが、やはりつながらなかった。電話番号さえ分かっていればメッセージのやりとりは可能なので、取材依頼を文章にして送信した。
 ややあって返事が届く。
 ―会って話すことはできません。
 コロナ禍の最中は、さまざまな状況がわずかの間に変わる。何か事情があったのだろうと、電話取材で構わない旨を添え、都合のいい日時を教えてほしいと伝えた。
 それっきりだった。待てども待てども返信はない。心変わりがあったのだろうか。
 ―終わった事件ではないので。 別の人からの辞意がよみがえる。「大沼の本を書く」という行為は、無神経なものなのだろうか。そんな迷いを振り切りつつ、それでも彼女をさらに追おうとはしなかった。


 エレベーターガールを登場させたいという願いは「ミキさん」によってかなえられた。作中の肝になる彼女は、大沼で働く祖母の影響もあり、高校を卒業してからずっと大沼で勤め通した人物だ。
 ミキさん自身は売り場や外商を担当していたので、エレベーターガールではない。しかし一緒の高校から入社した同期がそうだったという。
 高校時代に控えめだった友人が、エレベーターガールという役目を与えられて華やいでいったこと、エレベーターガールだけが季節ごとに制服を新調してもらっていたことなど、魅力的なエピソードを提供してもらい、本の色彩が豊かになった。

 さて、ミキさんは非常に前向きな人だ。大沼の破綻に際しては「大沼じゃなきゃだめなんです」とカメラを前に涙を流したが、以降は長年の外商業務で培った経験と人脈を生かし、個人事業主として独立している。
大沼のノンフィクションを書きたいという私の意向にも「過ぎたことは反省して、次に進まないと」と快く賛同してくれた。
 破綻当時に置かれていた立場や環境によって、傷の形はさまざまなのだろう。未だ空っぽで立ち尽くすデパートの抜け殻を眺めて、ふとそんなことを考える。