デパート破産 第13回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 2023年8月現在、旧大沼デパートの跡地利用について具体的な発表はないままだ。築年数や耐震性の理由から建物の解体は避けられない。
 大枠としては、地元地権者・商工業者・行政が組んで「(仮称)まちづくり委員会」を設置、中心街活性化を目的として再開発を進めるらしい。

 山形だけの話だろうか。「まちづくり」という言葉は、これまで幾度も目や耳を通り過ぎていった。「行政が学生とタッグを組んで」「交流の場を作って活性化を」といったキャッチフレーズが地元メディアに現れるが、効果を耳にしないまま活動は消えてゆく。
「街に人が居ない」聞こえてくるのは、そんな嘆きばかりだ。「まちづくり」に前向きな展望を重ねているのは、当事者の一部くらいだろう。

 サッカーを題材にした『ブルーロック』という漫画が人気だ。2018年から『週刊少年マガジン』( 講談社) で連載されている。

 私は流行に疎いというか、つい流行を拒んでしまう性格だ。なのでこの作品が話題になっているのは知っていたものの、実際に読んでみるまでには時間を要した。だがページを開くと、たちまち物語に引き込まれた。

 スポーツものの王道といえば、才能を秘めた主人公が仲間やライバルと出会い、挫折や特訓を繰り返しながら、より強くなっていくという流れだろう。『ブルーロック』の基本ストーリーもそれをなぞっている。ただし従来の作品と大きく異なっているのは「チームワークの否定」から始まっている点だ。

 監督に当たる人物は冒頭、自分でゴールを決められない人間はチームから外すといった意味合いの指導をする。選手たちはある程度実績のある高校生なのだが、監督にけしかけられた結果、全員がボールに殺到する。いわゆる「おだんごサッカー」、小学生に初めてサッカーをやらせた時に見られるような光景だ。

 だがやがて彼らは気が付く。敵味方入り乱れてボールを奪い合っていても、ゴールは生まれない。当然、試合にも勝てず、それでは元も子もない。勝つためには誰を中心に据えるかを決め、その人物を生かすために動かなければならないのだ。

 ここで初めて、彼らはチームワークが必要な理由を知る。彼らがサッカーという競技を知った時、すでにチームという形が先にあった。そこに疑問を持たず、形に押し込められながら練習を続けてきた。

 『ブルーロック』はそれを否定する。そもそもあるべきなのは「個の力」なのだ。チームワークとは、それを最大限、いやそれ以上に発揮させるための後発的な装置と捉えられている。

 私がなぜ「まちづくり」に空虚なものを感じるのか。街を形成する個々の魅力が乏しいのに、上っ面だけを整えても一過性に終わると考えているからだ。

 かつての地方デパートはまさに「強力な個」だった。都会や海外の流行を田舎に持ち込み、エレベーターやエスカレーター、屋上遊園地などの新鮮な体験を提供した。

 人々は「新しいものが欲しい」「他人に自慢したい」などの欲望を携えつつ、デパートを目掛けて街に押し寄せた。結果として周辺の店舗も潤う。デパートと中小商店との競争がサービスを向上させ、消費者の喜びに変わった。これこそが街のチームワークだろう。

 現在はどうなっているのか。語るまでもない。中心街の復興に行政が関われば、決まり文句のように「交流」や「アート」の言葉が飛び出す。そういったお題目が、税金を使いやすくするのだろうか。

 確かに聞こえはいい。ただし人間の根源的な欲求を刺激しない。当たり障りのないコンテンツは、時間に押し流されて消えてゆく。

「強力な個」が必要だ。街の様相を一変させてしまうくらいの、だ。山形市はもはやそういった街を望んでいないのかもしれない。だが挑戦心を見せてくれる何かを私は待ち望んでいる。