デパート破産 第11回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 2020年1月に大沼デパートが破綻すると、「初の百貨店ゼロ県」として全国的に報道された。ただし山形県の一部では「百貨店はまだ残っている」という声が上がる。「清水屋」があったからだ。(注:2011年6月より「マリーン5清水屋」となっている。)

 海に面した酒田市は、江戸時代には交易の中心として栄えた。その地で創業したのが清水屋だ。

 明治には旅館を営み、大正頃に洋服店へ転換、そのまま成長を続け、1961年(昭和36年)に屋上遊園地を備える本格デパートとして変身を遂げた。

 街を灰にした大火にも耐え、酒田中心街の象徴として長年地元住民に親しまれてきたが、2012年、中合との合併を解消したのを機に日本百貨店協会を抜けている。そのためだろう。売り場の姿はデパートであっても、公式に「山形県の百貨店」として数えられていなかったのだ。

 逆に考えれば、協会に加盟していないというだけで、消費者にとっては「デパート」だったわけだ。大沼破綻による百貨店ゼロ騒動に対し、酒田市民が反発したのも当然だろう。

 だがその清水屋も土に膝を突く。かねて経営苦の話は聞こえてきていたが、ついに閉店が発表された。

 営業最終日は2021年7月15日。自己破産申請の手続きに入ることも併せて報道された。

 私は酒田へ車を走らせた。清水屋については資料やニュースで名前を目にするだけで、恥ずかしながら一度も中に入ったことがない。商業施設を利用するとなれば、やはり車でアクセスのしやすい郊外のショッピングセンターばかりだった。おそらく私の行動は誰かの複製なのだろう。その集まりが、デパート衰退の原因でもあるのだ。

 窮屈な立体駐車場に車を止め、清水屋の玄関をくぐる。閉店日が近いこともあって、すでに撤退しているテナントも多かった。ただ歯抜けのフロアよりも、1階に化粧品売り場と食料品売り場が同居しているのに驚いた。

 高級な化粧品を買うという非日常の体験を、食品という日常がじゃましないのだろうか。利用していた当事者ではないので横槍だが、テナントがそろった状態だとしても、何か大事なものが欠けている気がした。

 エスカレーターで上の階へ行くと、さらなる驚きが待っていた。とある売り場にだけ人が群がり、レジは長い列を従えている。100円ショップだった。閉店セールとして半額の50円で販売しているという。間もなく、私もその列に加わることになった。

 「苦境に立たされた百貨店が、安くて若者受けするテナント誘致に踏み切る」という話は聞いたことがあった。いわゆる「シャワー効果」を期待してだろうか。だが大沼の幹部は以前「もはやシャワー効果は存在しない」と口にしていた。今は目的の商品があってデパートを訪れたとしても、それを購入してから施設内を回遊、という流れにはならないそうだ。彼らは用を済ませたらすぐに立ち去る。その分析は、普段の私の行動にも当てはまっていた。

 半額になった100円商品をかごに入れ列に並んでいると、ふとかつて仙台にあったデパート「さくらの」が頭に浮かんだ。そこもある時期からフロア構成を変え、ブックオフを入居させた。古本屋が好きな私は、それだけを目当てに訪ねていったものだが、仙台「さくらの」自体は悲惨な結末を迎えている。清水屋の100円ショップも、経営の黄色信号だったのかもしれない。

 結局、その店の袋だけを手に提げて玄関を出た。知らない人の葬式に紛れ込んでしまったような気まずさを抱えながら、建物を見上げて写真を撮る。「本を書くための取材」と思って来たが、やっていることは自分が冷ややかに見ていた野次馬と同じだ。

 私の複製はどれだけ居るのだろうか。苦笑いを