デパート破産 第7回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 会見の場で社長は、沈痛な表情を浮かべた。用意された椅子に腰を落とさず、終始立ったまま、何度も頭を下げて記者に向かい合ったという。

 社長は突然の破綻の理由として、増税や気候を挙げた。消費税率の上昇によって顧客の購買意欲が減退したのに加え、暖冬で冬物が思うように売れなかった、ということらしい。

 消えた売掛金や搬入口での冷遇も影響していたのだろう。冷静さを欠き偏った受け取り方をしてしまったのは否めない。だが規模は大きく違えど同じ商売人として、社長が述べたその箇所に私は憤りを覚えた。原因を自らの外に求める弁解だと感じたからだ。

 料理店にも、お客の入りづらい時期はある。消費税が上がったタイミングで予約が減ることもあれば、大雪の日にキャンセルの電話が鳴ることもある。オリンピックやワールドカップなど、スポーツ大会が行われている間は、家のテレビに縛られてしまう人も多いため、売り上げが落ちがちだ。

 だからといって「大谷翔平が活躍したから倒産しました」なんてぶざまな言い訳はしたくない。店によっては選手の活躍にあやかった商品を開発して宣伝につなげるだろうし、テレビを観ていない人たちをどう呼び込もうかと策を練る場合もあるだろう。

 いずれにせよ、外からやって来る問題をいかに自らの知恵や工夫で解決するかの繰り返しが経営の宿命だ。それに失敗したなら、潔く負けを認めるしかないのだ。私はそう考えている。

 何より、暗雲の広がっていく職場でも明るく戦い続けた従業員たちが、その潔さによって多少は報われることもあるのではないかと思う。いつも通り仕事を終えて、突然「今日で最後でした」と大きな裏切りを経験させられたのだ。せめて会見では、彼らに堂々とした死にざまを見せてやってほしかった。

 ただ一方で、このあまりに不格好な終幕には間違いなく共犯が居ると考えている。我々だ。

 消費者は知っていただろう。デパートを利用しなくなったのは、行くのに不便だからだ。質と不釣り合いなほどに価格が高く感じられたからだ。特に目新しい商品がないからだ。大きな無料駐車場を備えるショッピングモールや、布団の中であまたの品物を見比べられるアマゾンが、それらの不満を解消してくれたからだ。

 そういった現実に暮らしながら、多くの山形県民が「さすがに大沼がなくなることはないだろう」という気持ちを心のどこかに抱えていた。自分で足を運びはしないのに、まるで「老舗の看板」が命を永遠に保つ点滴であるかのように錯覚していた。

 そこへ来て市長の「買い支え宣言」だ。はっとした一部の人々が実際に大沼で財布を開き、報道によって美しい物語として切り取られたが、反面、大沼にとって「誰かの呼び掛けによって救われる」という経験は、要因を外に求める体質の形成を促されたとも言えるのではないか。

 結局は皆で命を取り上げていったのだ。家に帰らず、困った時には小遣いだけを与える子育てのように、大沼デパートの終焉に手を貸し続けてきた。それも自覚なくだ。

 だからこそ我々は、大沼の急逝と同時に、あたかもその死とは無縁であるかのような態度でノスタルジーにまみれた。

 ——思い出の店がなくなって寂しいね。

 料理店に立っていても、大沼の閉店を惜しむ声はたくさん聞こえてきた。それは必ずと言っていいほど、幼いころに両親から連れていってもらった記憶と一緒に語られた。当然、店の外でも似た会話がなされていたのだろう。

 2020年2月、犯人が被害者の遺体に花を添えるような不気味な光景が、間違いなく山形にはあった。