デパート破産 第14回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

—将来、子どもたちがね「小さいころの思い出はショッピングモールです」なんて話してると想像したら寂しいじゃないですか。

 『さよならデパート』の制作中、取材相手からそんな言葉が漏れた。その方の考えを語ってもらうのが趣旨なので「なるほど」と先を促したが、私の胸中には引っ掛かるものがあった。 

 私は1980年生まれだ。同年代の同性で集まって、幼いころの思い出話をすれば、ほぼ間違いなくテレビゲームが登場する。一番好きだったゲームのことや、熱くなってけんかをしたこと、お年玉を財布に詰めておもちゃ屋へ向かったことなど、話題は尽きない。

 当時の親たちは、決まって「外で遊びなさい」と叱った。勉強でもしているのが最も望ましいのかもしれないが、遊ぶならせめて体を動かせということだろう。大人たちはテレビゲームを「目を悪くする」「茶の間のテレビを占領する」「学校の成績を下げる」など、さまざまな理由で悪者にした。

 自らの幼少時代を重ねては、変わり果てた現在を嘆いていたことだろう。

 43歳になった私は。テレビゲームに熱中したあの時を「寂しい」とは思わない。むしろクリスマスが近づくにつれて厚さを増す新聞から、おもちゃ屋の折り込み広告を抜き出した瞬間を振り返って、温かいもの感じている。今の子どもたちにとってのショッピングモールも、いずれ彼らを癒す思い出になるはずだ。

 百貨店の誕生より前に、人々の購買欲を沸かせたのが「勧工場」だ。1つの施設に多種多様な店を集めた、それこそショッピングモールの原型ともいえる。

 旧来の売買方式である「座売り」は、買い手と売り手との交渉によって取引が成立する。買い手にとっては品ぞろえや価格が不明瞭なので、駆け引きに弱い者は値段に釣り合わない品をつかまされることもあったという。

 勧工場では全ての商品が客に見えるよう陳列され、それぞれの品に値札が付けられた。値引き交渉に備えてあらかじめ価格を上乗せする行為も、固く禁じられたという。

 商売の基本は問題解決だ。座売りに不満を募らせていた人々は、それを解決してくれる勧工場にたちまち群がった。ある所では敷地内での演奏があったり、またある所では休憩用に喫茶店のようなものがしつらえられたりと、ただ買い物をするだけでなく、お出掛けそのものを娯楽にする工夫がされた。言うまでもなく、百貨店の基礎を作ったのもまた勧工場だ。

 しかし、三越の「デパートメント・ストア宣言」に先んじて、勧工場は凋落する。さまざまな角度から原因分析をされているが、客集めのために粗悪品を安売りしだしたのが大きな原因らしい。

 かつて勧工場によって不満を解消された人々は、皮肉にも勧工場に不満を募らせる。次に問題解決を担ったのが百貨店というわけだ。ここからしばらく、百貨店が小売業界の王者に君臨する。

 つまりは、以前の勧工場の立場に現在の百貨店が、以前の百貨店の立場にショッピングモールや通信販売があるというだけなのだ。時代は巡り、問題解決のできる業態が覇権を握る。

――「小さいころの思い出はショッピングモールです」なんて話してると想像したら寂いじゃないですか。

 私たちは変化に対し、無意識に抵抗を覚える。この言葉は「自分がなじんでいるものにこそ永続する価値がある」という思い込みから発せられているのではないだろうか。おそらく変化への拒絶から生まれた妄想だ。

 破綻した大沼デパートにも、この思い込みがあったのかもしれない。

 今この瞬間に人々が抱えている問題は何なのか。それに対してデパートはどんな解決法を提供できるのか。淘汰を退けるには、そこに立ち向かうしかないだろう。