デパートのルネッサンスはどこにある? 2022年01月01日号-40

 本コラム「デパートのルネッサンスはどこにある?」は、今号で丁度連載40回目を数える。

 この節目に(節目は50とか100回では、というご意見はあると思うが)僭越ながら以下提言したい。
「百貨店復活のカギ、それは変わり続けるコト、すなわち『過去を否定し続ける』ことにある」と。

 大事なコトなので、もう一度言う。
デパートのルネッサンス(再生・復活)は、百貨店(業界)が過去を否定し、新しいビジネスモデルを創造できるのか、にかかっているのだ。2022年、我々いよいよその号砲を鳴らす時を迎えた。

未来の自己実現のため、過去を自己否定する

 ビジネスを継続する上で、一番に心がけるべきことは「過去の自分を否定し続けること」だ。己を常に変革して行かねばならないのだ。
12月15日号の本欄でも言及した通り、ビジネスに限らず、世界が常に変わり続けている限り、それが真理だという事に疑いはない。

 例えば、企業の方針を例に取ると、当然、市場が変化していけばマーケティング手法も変わって行く。それなのに、一度設定した自社のビジネスモデルを変えようとする企業や経営者は極めて少ない。これはもちろん百貨店=小売業界に限ったことではないが。

 変化をとらえようと顧客にヒアリングをしても、革新的なアイディアは生まれにくい。百貨店に限らず企業というのは、顧客が「まったく想像できないような」商品やサービスを提示しなければならないのだ。

 「ではどうやって?」
・・・答えは簡単だ。「とりあえず何かやる。失敗したら、次に違うことをやる。何でもいいから」である。サントリーでは、創業者の「やってみなはれ」というチャレンジ精神を今も踏襲している、という。

ニーズの多様化に対応し切れない百貨店

 百貨店の不振と苦境が叫ばれて久しい。本紙では何度も「百貨店大閉店時代」「百貨店消滅都市」を題材として取り上げた。バブル期に10兆円ほどあった市場規模は、2020年には4兆円程度と半分以下に減ってしまった。コロナ禍の影響で、とくに頼みの綱だったインバウンド(訪日外国人)需要が消失し、足元での売上は更に落ち込んでいる。売上はもちろん、利益も出せず、最終赤字を計上している百貨店は枚挙にいとまがな い。コロナ禍に理由を求めるのは簡単だろう。しかし筆者は、それは百貨店が慢性的に抱える問題が顕在化しただけだ、と何度も言って来た。

 大分以前からEC化の遅れが指摘されていたが、いまだに売上高のなかでECの占める割合が1%にも満たない百貨店が相当数あると聞く。もちろんECシフトは一つの「選択肢」であって、唯一の「正解」ではない。他に、競合他社に劣らない先進的な取り組みをしていれば良いのだ。
※ECが盛況と聞いて、商売人として何も対応しないという選択は、逆に難しいとも思えるが。

ヒト、モノ、そしてレーゾンデートル

 また、1つの店舗に、過剰とも言える数の従業員が働くという、効率化とは程遠い人員配置の問題も指摘されている。アパレルがECと、ユニクロに代表されるファストファッションに奪われるなか、デパ地下や化粧品売場など、特定の売場にスタッフと顧客が集中する状況が続き、それがコロナ禍で報道されたような集団感染につながったケースもあった。

 今まで「盛況」は商売上「善」とされていたが、コロナ禍を経て「密=悪」という価値観の転換が起こったのだから、いた仕方ない部分もある。要はこの後、それをどう変化させ、どう対応するかが大事なのだ。デ パ地下の人気スイーツ店の大行列に、ロープパーテーションの設置といった「付け焼刃」の対応ばかり目に付くのは、筆者だけであろうか。

 デパートの歴史を振り返れば、都心の大手百貨店に限らず、小売業界をリードする、最先端の取り組みを、それも随時行ってきた。エレベーターやエスカレーターの導入、更には屋上遊園地や絵画展等の集客イベントの展開もそうだ。百貨店は「ハレ消費」の象徴として、一般消費者の「憧れ」そのものになっていったのだ。百貨店のレストラン街で食事をし、ブランド衣料を買うことが、1つのステータスだった時代だ。それが今では、百貨店に行く「意味・理由」を問われても、思いつかない人の方が多いのではないだろうか。

 我々は真っ先に、この「百貨店の存在意義」という課題に取り組むべきなのではないだろうか。

 正月早々、重いコラムになってしまったが、デパートのルネッサンスには必須のテーマなので、敢えて記した。筆者はこのスタンスを忘れず、今年も書き続けたい。

連載 デパートのルネッサンスはどこにある?

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