デパートのルネッサンスはどこにある? 2025年10月15 日号-第124回 百貨店の閉店で街は寂れたのか?

東急本店2023年閉店

 地元で長く愛されてきた百貨店が閉店したことで「街のにぎわい」が消えてしまった。最近そういった論調のニュースをよく目にする。新聞だけでなくテレビでもだ。
「それってお前が書いているんじゃないか!」というお叱りの声が聞こえて来そうだ。

 確かに筆者は拙著「セブン&アイはなぜ池袋西武を売ってしまったのだろう」を1年前に上梓した。 
 その中で確かに「デパートは街のランドマーク」とか「百貨店は文化の発信地」という趣旨のコメントをしている。
 本コラムでも、百貨店の閉店連鎖のニュースについて、都心、地方問わず、そして廃業、破綻、用途変更含め、随時お伝えしているつもりだ。

 まぁ、本紙は百貨店業界紙であるので当然なのだが。
 但しそれは、だから百貨店という「小売り形態」は、令和の現代になって、その顧客共々古くなり、時代遅れになってしまった、という意味でもある。

※本コラム9月1日号「デパートとテレビは時代遅れ(オワコン)なのか?」でも取り上げている。

ノスタルジー煽るマスコミ

 筆者がここで考えたいのは「百貨店の閉店」という事実ではなく、取り上げる大手メディアのスタンスの方なのだ。

 彼らの論調は「百貨店の閉店」という原因により、結果として「地方の街が衰退」してしまう、と言う流れなのだ。

 筆者は大手メディアと言ったが、最近は皆「オールドメディア」と呼んでいる様だ。それは昔から「マスコミ」と言われて来た新聞やテレビや一部の週刊誌を指す。

 本紙も業界新聞ではあるが、幸いなことに購読者数の目減りを気にしていない。そもそも発行部数が少ないので。

 もうお判りだと思うが、このオールドメディアの購読者、視聴者は、百貨店の顧客とほぼ同年代であり、いわゆる「若者」が見たり聞いたりする媒体ではない。

 同様に、一般的に若者と呼ばれる彼ら彼女らは、今現在、百貨店のメイン客層ではない。

 テレビや新聞が地元民の声として伝えるのは「百貨店がなくなって寂しい」や「子供のころ屋上の遊園地で遊んだ」といったノスタルジーやセンチメンタリズムを呼び起こす。

 見る人、読む人の心にシンパシー(共感)を呼び起こす事、それ自体がニュースの伝え方として間違っている、という訳ではないのだが。

 只、まるでキャンペーンの様に、そればかりを繰り返しインプットされると、「この街も昔は賑やかだった」→「今は寂さ びれてしまった」とか「昔は良かった」的な喪失感だけが強調されてしまう。

 この辺りご興味のある方は、2025年8月に刊行されたアグネス・アーノルド=フォースター (著)「ノスタルジアは世界を滅ぼすのか:ある危険な感情の歴史」をお読みいただきたい。

呉服系と電鉄系

 地方百貨店の閉店の原因は、若者自体が都会に流失してしまう「東京(都心)一局集中」や「格差の拡大」そしてそもそも日本全体が直面している少子高齢化による人口減少に行きつく。

 地方都市での百貨店の閉店はその「都心と地方の格差」の象徴でもある。もちろん地方だけでなく、都心でも渋谷の東急本店や新宿小田急本館、そして名古屋の名鉄百貨店は閉店後にビルを取り壊したが、新たなビルで百貨店を再開する意向はない。

 東急、小田急、名鉄はいずれも電鉄系と呼ばれ、老舗(呉服系)と呼ばれる三越伊勢丹、髙島屋、大丸松坂屋とは方針が異なるのは当然だ。電鉄系の本業は鉄道や不動産だからだ。

 但し、一口に電鉄系とは言っても、関西を拠点とする阪急阪神や近鉄は、都心の大手老舗百貨店と考え方が近い。

 梅田や阿倍野といった自社のターミナル拠点に旗艦店があり、そこで大丸や髙島屋といった老舗百貨店と互角以上の戦いをしているからだろう。

 そして、極めて特殊な例なのが、本紙がウォッチしている西武百貨店だ。池袋本店が面積を半減させながら、この夏からリニューアルオープンが始まった事は、前号(10月1日号)でもお伝えした通りだ。

閉店連鎖と放浪記

 繰り返すが、順番は先ず「人口が減り」、そして「街が廃す たれ」、その結果売上が減った「百貨店が閉店」するのであり、逆ではない。

 マスコミの論調を鵜呑みにすると、デパートを存続させれば、街の(賑わいの)再生が可能だと言わんばかりなのだ。

 只、もしかしてメディアによっては、「勘違い」ではなく「わざと間違っている」のではとも思える。筆者の勘繰り過ぎであろうか・・・

 さて、念のため、直近の地方百貨店の閉店を見てみよう。
※但し都心に本店がある大手百貨店の支店は除く

2020年1月、山形県で唯一の百貨店「大沼」が閉店(破綻)
2022年4月、青森県八戸市「三春屋」が閉店しAEMに
2022年10月、 北海道旭川市 「旭川マルカツデパート」閉店
2023年1月、北海道帯広市の「藤丸百貨店」が閉店 道内唯一の地元資本

2024年1月、 島根県で唯一の百貨店「一畑百貨店」が閉店
2024年8月、青森県弘前市の百貨店「中三弘前店」破産による突然の閉店
2025年3月、長野県松本市の井上百貨店 近隣SCで一部継続

デパート放浪記

 そして、デパートの閉店後、そこから街がどう変化したのか、という現地取材を継続しているのは、他ならぬ我がデパート新聞である。

 本紙1面に掲載されている、渡辺大輔の「デパート放浪記」はそれがテーマの連載ルポだ。

 渡辺氏は元々、山形の「大沼」破綻により、一夜にして売場が消えるのを目撃した当事者であり、大沼にテナントとして出店していたので、破綻による直接の「被害者」といっても過言ではない。

 只彼は、そして筆者もそうなのだが、百貨店の閉店の日に来店し「昔は毎週の様に来ていたが、今日は久しぶりに来た。いろんな思い出があるので、なくなってしまうのは寂しい」という声を聴くと、元来のへそ曲がり気質が頭をもたげ「あなたが毎週買物していたら、潰れなかったのに」などと、見当違いな反論が頭をかすめるのだ。

川越よりもローカル

川越丸広2020年 撮影

 例えば天下の「朝日新聞」は、埼玉ローカルの丸広百貨店の閉店を受けて、住民の「不安」をこんな調子で取り上げている。

「丸広百貨店東松山店が、建物の老朽化や売上減少のため、8月に閉店することになった。この地に店を構えて半世紀。地元からは中心市街地の空洞化を懸念する声があがっている。」こんな論調だ。

インタビューを受けた人が「空洞化」という単語を発したかは、もちろん定かではない・・・

丸広は本店を「小江戸」川越に構える地方、郊外型百貨店の雄である。それでも東松山は、川越よりもう少しローカル度が上がる場所であり、人口約10万人に満たない東松山市で、百貨店という商売が成り立たないと言うのは、仕方がないのかもしれない。

 都心北部のゴルファーにとってはゴルフ銀座ともいえる場所であり、「住宅密集地」という単語も当てはまらないからだ。

 それでも、ちょっと前までは商売が「成り立って」いた訳であり、単純な人
口減以外の要因(ライフスタイルの変化や所得格差の問題)も同時併行的に顕在化しているのだと思う。

※あくまで私見だが、筆者は、そのエリアの人口20万人、当該百貨店の年商50億、というのが、地方百貨店の存続のボーダーラインだと思っている。

メディア論

 なぜ新聞は(そしてテレビも)そんなに「百貨店閉店で街のにぎわいが消えた」という方向へ話を持っていきたいのか。前述した様に、新聞(テレビ)と百貨店は、ともに顧客の年齢層が近く、百貨店の苦境が「他人ごと」では済まされないと思っているのだろうか。

 地方デパートの衰退を「明日は我が身」と、切実に感じているのだろうか。

 しかし、実際に今、日本の地方都市で起きている現象は「百貨店閉店でにぎわいが消えてしまった」ではなく「にぎわいが消えたから百貨店が閉店した」が正しい見方である。新聞が伝えている事は「原因と結果が逆」なのだ。

 では、なぜ「にぎわい」が消えたのかというと、藻谷浩介氏の名前を出すまでもなく、シンプルに人口減少が原因なのだ。いや、念のため以下参照しておく。

「デフレの正体」藻谷浩介著

 著者は日本経済のデフレの原因を「人口の波」に求め、経済の停滞を解明。「デフレ」を物価が持続的に下がり続ける現象と定義し、これが日本経済の停滞の大きな原因としている。

 物価が下落しても需要が上がらず、デフレが進行する悪循環が続いているが、デフレの原因を経済政策の失敗や外的要因に求めるのではなく、団塊世代の生産年齢人口の減少に起因するとし、人口構造の変化が経済に与える影響を重視。これがデフレを引き起こす要因、としている。

 藻谷氏は、経済の健康状態を測る指標として、GDPの伸びや失業率ではなく、小売販売額を重視し、GDPが増加しても消費が伴わなければ、経済の基礎代謝は低いとしている。やっぱり「アベノミクス」は間違っていた、という結論になるのかもしれない。

 さて、デフレの原因である人口減少の実態を見てみよう。

 2024年4月に総務省が発表した人口推計によると、2023年は前年比で59万5000人減っているのだ。

活気や賑いは必要か

 この国は今、わずか1年の間に60万人もの人口が減っている。

 だから、年を追うごとに高齢者の比率が増えていく訳だ。身近にいる70~80歳台の人は、病院には足しげく通うが、繁華街や市街地の大型商業施設などにはそれほど通わない。

 シニアになるとどうしても外出が減り「にぎわい」の担い手ではなくなっていくのだ。

※マッチポンプの誹(そし)りは甘んじて受けるが、そもそも「賑(にぎわ)い」って、本当に必要なのか?とも思っている。

 「賑やか」なのが好きか嫌いかは、好みの問題だし、「人口密集地」という言葉を聞いて、ポジティブな印象を受ける人はほぼいないだろう。

 繰り返しになって恐縮だが、地方の小都市のかつての繁華街を歩いても、そこには既に「繁華」は存在しない。街の活気が失われているのは人気(ひ と け)がないからであり、「百貨店の消失」ではなく、「人口の消失」が原因だからだ。

 世界一の少子高齢化国家であるこの日本では、それこそ世界記録のスピードで人口が減っているのだ。これがこの国のスタンダードである。

 日本人ファーストの名のもとに「外国人排斥」を掲げる右翼政党が、躍進するお国なのだ。

 別に、新しい自民党総裁の就任を指して「右傾化」していると言っている訳ではないので、お間違えの無い様にお願いしたい。

年寄りが主流

 百貨店閉店の伝で行けば、新聞、テレビといったマスメディアの衰退は、購読者、視聴者の高齢化である。「若者は新聞も読まないしテレビも見ない」のである。
※ここでは大雑把な話なので、少数の例外には眼をつぶって欲しい。

 それでも、少子高齢化が進む我が国では、若者は少数派(マイノリティ)であり、年配者、高齢者が多数派(メジャー)である。

 であれば、新聞やテレビの顧客は(以前より減少はしているものの)依然として人口の大多数を占めているのではないのだろうか。

 それなのに、いつも若者目線で「新聞、テレビといったオールドメディアはオワコン」だとか、実際に若者自身が言ったかどうかわからない言葉に神経質になるのはなぜなのだろう。

 スマホを見たり、ゲームをしたりする(少数派の)若者の行動や言葉を、なぜ重視する必要があるのだろう。

情弱上等

 デパートに限らないが、小売りに携わる者が信奉する真理は「客の声を聴け」である。

 厳しい商環境の中で、その店で「買わない」人の意見を聞いている暇はないからだ。

 であれば、オールドメディアは、自分達を見ない、読まない人の「批判」を何故聞く必要があるのだろうか。

 上顧客である年配~年寄りの要望に応えれば良いではないか。

 ネットメディアに溢れる、フェイクニュースや誹謗中傷を真に受けて、マスメディアの批判をする自称「情報リテラシーの高い」若者にまで媚びる必要など皆無であろう。

 若者が「年寄りは情弱」と言うのなら、情弱上等だ。

 我々は新聞を読み、テレビを見続けようではないか。どっちが嘘やデマが多い世界なのか、見極めようではないか。

デパート新聞の田中社主が本紙前号1面の新連載コラムで「情報とニュース」について書いている通り、我々はこれから「マイナスの情報」にも留意しなければならないのだから。