デパートのルネッサンスはどこにある? 2025年11月15 日号-第126回 お化け屋敷はデパートの救世主なのか

 デパート新聞11月15日号は1面も4面も「お化け屋敷」だ。お化け特集どころか、何ならもう「お化け新聞」だ。いや「お化か新聞」か。

松屋銀座

画像引用:松屋銀座HP
松屋銀座開店100周年記念イベント 閉店後のおばけ屋敷ミッション | Matsuya Ginza
https://www.matsuyaginza.com/jp/ginza/events/activity/
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 今年、100周年を迎えた松屋銀座が、ハロウィンにあわせ「お化け屋敷」を開催した。松屋銀座と言えば、泣く子も黙るインバウンドの殿堂であるが、モノからコトへの対応にもぬかりなく、顧客の体験価値を高める企画に注力している。

松屋銀座が閉店後の館で「お化け屋敷」 恐怖のおもてなしに社員60名参加

お化けに扮した社員に囲まれた松屋
の古屋毅彦社長(記者発表会にて)

 松屋銀座本店は、開店100周年を記念したイベント「閉店後のお化け屋敷ミッション」を10月31日と11月1日に開いた。閉店後の店内を会場に、参加者は真っ暗の店内を探検するという趣向だ。館内にさまざまなサプライズ演出を施し、松屋の社員約60人がお化けに扮して、顧客を出迎える。

 ストーリー設定は「ハロウィンの夜、閉店後の松屋銀座に忍び込んだお化けたちの呪いで、松屋の守り神が封じ込められた。このままでは松屋銀座はお化けたちに取り憑かれてしまう。参加者たちは呪いから松屋銀座を救出するミッションに挑む」—という内容。

 「販売促進から営業、管理部門まで、若手を中心に60人以上の社員が名乗りを上げてくれた」という。

 入場料は(小学生以上限定)1人2200円。10月14日からウェブサイト予約を開始し、事前抽選60人の狭き門に10倍以上の応募があったという。

 筆者はTBSの午後のニュース番組「Nスタ」の取材を拝見した。筆者の正直な感想は、やはり「プロのメイクアップアーティストのお化け造形はレベルが高いなぁ」であった。

そして津松菱

 ここからは、規模では劣るものの、我々デパート新聞社が企画、運営した「お化か屋敷」の考察だ。本紙1面に掲載した、松菱百貨店7階「銚寿庵」にて、選べるガチャガチャランド秋の特別企画として実施した「お化か屋敷」の実施背景とその総括だ。

お化けは「救いの神」なのか 

 タイトルからして既に大変な矛盾なので恐縮だ。当然だが、お化けはどんな種類の神でもない。但し、日本の神は八百万(やおよろず)であるから、お化けを「表ではなく裏」の「光ではなく陰」の神として、加えてあげても良いのでは、と筆者は思っているのだ。この前提で話を進める。居直っている訳ではないので、悪しからず。

〈お化け論〉

 夏の風物詩であったお化け屋敷が、時代を超えて今も親しまれる背景には、日本人が古来より持つ「お化け文化」とでも呼ぶべき「日本人に備わった独特な感性(この言葉自体、日本人自身が大好きなので、本当はあまり使いたくないのだが)」が関わっているのではないか、と思う。

 1面でも述べたが、現代ではお祭りや遊園地から日本の幽霊や妖怪の姿が減り、ハロウィンの定着に見られる様に洋風のホラーアトラクションばかりが目立っている。

 外来の「ハロウィン」は若者の仮装イベントとしてすっかり定着し、渋谷で騒ぐ若者の「惨状」は毎年ニュースになっている。渋谷区長は「10月31日は渋谷に来ないで」と訴え、ハチ公像も囲ってしまった。

 その一方で『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などのダークファンタジー作品が、国内はもとより世界的なIPコンテンツとして成功を収めている。なぜ、日本人は鬼や呪術といった「怖い」もの、あるいは「死」や「異界」を題材にした物語を好み、結
果として世界にもそのブームを波及させているのか。考えてみたい。

お化けはキャラクター

 かつての日本の「お化け屋敷」は、夏の暑さを吹き飛ばすための娯楽として、江戸時代に大流行した、という。怪談ブームは歌舞伎や浮世絵といった芸術、そして昭和の時代に入り、藤子不二雄の『オバケのQ太郎』や『怪物くん』に代表される漫画文化にも引き継がれた。

 そして、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』によって、お化けや妖怪は「怖いだけではない」愛されるキャラクターとして確立された、と言って良いだろう。

 西洋のホラーが、主に神や悪魔といった、判りやすい「悪」との対決を主軸とするのに対し、日本のお化けや妖怪は「より人間的」だ。※妖怪が人間的っていう時点で、かなり矛盾しているのだか。

 そもそも、そうしたユーモラスなお化けも含めて、幽霊は「この世への未練や怨念を晴らす」ために現れるのだが、その背景には、亡くなった人々への供養や鎮魂という、日本特有の宗教観・死生観が根付いている。死を敬(うやま)う、というのは西洋では「黒魔術」と捉えられ、悪魔崇拝的な「悪」に与(くみ)することになる様だ。

 もちろん例外はあり、ディズニーアニメ「リメンバーミー」で有名になった、メキシコの「死者の日」は奇しくも11月1日であり、ハロウィンはその前夜祭である。

 同じ「先祖供養」であっても、日本のお盆とは大きく異なり、125万人が参加するパレードは、国をあげての一大イベントである。この辺りは、「お国柄」の一言では片づけられない大きなギャップがある。※死者を生者と同等に扱うという意味では、考え方が近いともとれるが・・・

自然崇拝と光と陰の二元論

 日本には、キリスト教やイスラム教のような一神教的な信仰とは別に、古来伝えられる「神道」がある。山や川、時には人までも「神」として祀ま つる八百万(や およろず)の神々は、自然への畏怖と感謝から生まれた自然崇拝の表れだと言って良いだろう。

 この「自然の中に宿る神」を光とするならば、その裏側、即ち陰の部分こそが「お化け」幽霊や鬼、妖怪、魑魅魍魎(ちみもうりょう)も含めて、その存在理由なのではないかと筆者は考える。
光( 神): 恵み、秩序、理(ことわり)
陰(お化け): 災い、混沌、理不尽

 理不尽な死や、人の心の闇から生まれる「お化け」は、私たち人間の弱さや、自然の猛威といった抗(あらが)いようのない不条理を具現化した存在なのだ。

「安全な恐怖」

 現代の日本のダークファンタジーに、なぜ人びとが魅了されるのかは、この「光と陰」が常に表裏一体である世界観を、グローバルな現代社会の複雑な構造に見立てて「何とか」理解しようとするからなのか。もちろん、なんでもかんでも、複雑な現代社会や世界情勢のせいにしても何にもならないのだけれど・・・

 純粋な「悪」として処理できない、単純ではない背景(複雑な事情?)を持つ日本のお化けや妖怪の物語は、単なるスリルに留まらず、人間の生と死、業(ご う)と救済という普遍的なテーマをもっているかもしれない。

 お化け屋敷は、この安全な場所から非日常の恐怖を体験(一旦闇を覗き見)しながら、すぐに日常へと戻って来る、という行為が一種のカタルシスとなるのだろう。

 それは、今回の松菱百貨店での「お化か屋敷」が、家族の絆を深める、というと大げさだが、そうしたイベントとして好評だった事と無関係ではないと思う。

 日本の「お化け」文化は、単なるホラー(失礼)ではなく、太古からの自然観と、死者への想いが織りなす「独自のダークファンタジー」として、これからも国内外の人々に支持され続けるのでは、と思う。

 であれば、我々デパート新聞は「お化け屋敷」的なイベントを、今後も作っていく事に意義を見出し、地方デパートCAプロジェクトの一環として取り組んでいきたいと思うのだ。

祓(はら)うのでなく 鎮(し ず)める

 前述した様に、日本のホラー「お化け」は、「悪を倒す」という勧善懲悪の考えだけでは解決しない。NHKの朝ドラの題材となった小泉八雲が説いた様に、日本の「怪談」には「情けをかける」「鎮魂する」といった要素が強く関わっているからだ。

 神道と仏教が共存する日本では、怨霊を「祟(たた)り神」として祭り上げた菅原道真の例もある様に、その怒りを鎮めることで社会の秩序を回復させるという文化(習わし?)がある。これは、闇を単に排除するのではなく、闇さえも取り込み、共存しようとする日本人の独特な死生観の表れだ。

 良く考えたら、怨霊(おんりょう)である菅原道真を鎮めるために「学問の神様」に祀(ま つ)り上げるって、とてつもない「ウルトラC」だ。
 翻って、現代の子連れファミリーが日本の「お化け屋敷」で、笑いと恐怖を同時に楽しめるのは、日本のお化けがどこか「身近」な存在であり、彼らの物語が、私たち自身の心の情念や未練と深く繋がっていることを、本能的に知っているからかもしれない。

スリルとカタルシス

 恐怖体験でキャーキャー叫んだ後に、自身の身の安全を確認しほっとする。それが楽しい、というのはジェットコースターもお化け屋敷も一緒では? と言われれば、その通りだろう。

 但し、ひとつ大きな違いがある。それは「コミュニケーション」だ。顧客とお化け(スタッフ)の触れ合い、繋がりなのだ。松菱で実施した「お化か屋敷」では、会場を出た子供達が皆「お化けと一緒に写真が撮りたい」とせがむ。そこは小規模運営の「お化か屋敷」であるから、臨機応変にリクエストに応じ、蕎麦屋の店頭での記念撮影タイムが始まるのだ。一番人気は「貞子」だ。子供達は、さっきまで怖がっていた貞子と並んでスマホに向かってハートサインを作る。

 1991年の鈴木光司のホラー小説も1998年の映画もドラマも、「リング」というタイトルなど当然知らない世代だが、キャラクターとしての貞子は、まるで夢の国のねずみ並みの人気キャラぶりなのだ。そしてゾンビやドラキュラや死神よりも、和製ホラーの女王「貞子」の方が断然人気があるのだ。

 失礼! コミュニケーションの話だった。デパート新聞の田中社主も述べているが、百貨店の強みは顧客との「コミュニケーション」であり、お客様はモノではなくヒト(スタッフ)を買ってくれるのだ、と。

 今回の貞子の一人Mさんも普段はガチャガチャランドや銚寿庵で働いているが、貞子になった3日間は「もっと怖がって貰うにはどうすれば良いだろう」と考え、そして実践してくれた。彼女の結論は「貞子なんだから、床を這わなければ」であり、背の低い子供達を下から見上げる様に近づいて行き、その演技を日々改善していった。

 その創意工夫が顧客とのコミュニケーションを生み、結果「ヒトを買って貰う」につながるのだなと、思い至った。

 筆者としても、ちょっとした「気付き」も含め、いろいろと収穫のあった企画だった。