昭和24年10月創刊

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デパートのルネッサンスはどこにある? 2020年10月01日号

コロナ禍半年の総括 <足元の現状と顧客心理>

生活困窮者はリーマン超え

 個人向けの国の貸付金制度に、申し込みが殺到している。端的に言って生活困窮者が増加しているのだ。

 厚生労働省とNHKによると、貸付金制度への申請件数は2020年3月25日から9月12日までに111万5,868件あり、その内の107万2,646件に対し支給が決まった。

 これは、当初の予算を遥かに超える規模で、2009年のリーマンショック後の3年間と比べても5倍以上の水準となっている。

 金額にして実に3524億円になり、厚生労働省は「生活や命を守るために引き続き迅速な支援を行っていきたい」として、当初9月末としていた申請期限を、12月末まで延長する方針を決定した。

 これらの制度はあくまでも失業者などを対象にした一時的な生活補助が目的であるため、生活の立て直しが困難な場合は、生活保護制度の利用も視野に入れて検討する必要がある、としている。

 右記に加え、帝国データバンクによる倒産件数の増加や、冬のボーナス支給ゼロ、派遣の雇止め、住宅ローン破綻、GDPのマイナスといったニュースが連日報道され、消費の減速と、それによる小売の不振とが、社会全体を覆い始めている。

 百貨店のみならず、モノを売り、サービスを提供する「商売」全体に漠然とした将来不安がのしかかって来ているのだ。

 これはモノを買う側、サービスを受ける側である消費者も同様である。

「すべては新型コロナウィルスのせいだ。」

 皆が警戒の指標としている、東京都の新規感染者数は、ここ連日は195人と、微妙に200人を下回ったものの、「第2波は8月中旬には既にピークアウト」と報じられてから1ヶ月以上の間、一進一退の状況が続いている。誰も、胸を張って「アフターコロナ」だと主張できる状況には至っていない。尚、全国の累計感染者数は、8万人を超えた。死者数は1500人超だ。

 一方で、野球観戦や映画館への入場規制緩和や、来月からのGoToキャンペーンへの東京参加、入出国制限の緩和などが次々と発表されている。我々は否応なく、ニューノーマルという、以前とは異なる「日常」に戻ることを示唆されている様だ。

 前号でも言及したが、年が明けて、ワクチンを打ち、何とかオリンピックを開けば、その時はもう少し国民の間にも「乗り切った感」が醸成されるのかもしれない。

時系列で見るコロナ

 ここで、コロナ禍の総括をするのは時期尚早ではあるが、百貨店を取り巻く小売りの状況を、筆者なりに振り返ってみた。

3・4月「コロナが怖い」

 4月7日に安倍前首相が緊急事態宣言を発出し、百貨店各店は翌8日から全面休業に突入した。皆、不要不急の外出を控え、食料品スーパーとドラッグストア、コンビニ以外の店舗は営業を自粛した。

 東京都心の電車からラッシュアワーが消え、サラリーマンは、やけに長いゴールデンウィークを持て余すこととなった。

 星野源の「うちで踊ろう」がブームになり、便乗しようとした前首相がネット民の非難の的となった。マスク不足対策のアベノマスク配布同様、最後まで国民の気持ちが、全く判らない人だった。

5・6月「外出が怖い」

 地方百貨店や東京でも郊外立地のデパートは地下1Fの食品フロア、通称デパ地下の営業を再開。

 熱心なデパートファンであるお年寄りは、おっかなびっくりで来店した。
一部の飲食店だけでなく、パチンコ店が、職場にも家にも行き場のない、休職難民の受け皿となり、行政やマスコミのスケープゴートとなった。その尻馬に乗った「自粛警察」という名の同調圧力団体の、目に余る活動が社会問題化した。

 一方で、リモートとかテレワークという名の真の「働き方改革」が実現。リモートワークが出来ない職業の人にも、通勤地獄が解消するという二重の恩恵があった。時差出勤という言葉自体がオフピークを迎えた。

7・8月「都心が怖い」

 営業時間を短縮し、デパートも全館での営業を再開した。だが、カラオケや映画館、コンサート、スポーツは「3密」を理由に、とり残されたままだ。

 都心の百貨店や、ルミネに代表されるターミナル型SC(通称駅ビル)は、乗降客数の多い順に不振を極めた。新宿、渋谷、銀座等では、売上半減が異常ではないという非常事態となった。京阪神、名古屋、福岡、仙台なども同じ状況だ。

 一方でららぽーとやイオンと言った郊外SCやアウトレットモールは、車来店の利点を生かしてファミリーを集客し、前年並みかそれ以上の売上を確保した。長い商いの歴史の中で始めて、都心と郊外の逆転現象が顕在化したのだ。

 他県ナンバー狩りという新たな自粛警察が、日頃のうっ憤を晴らすかの様に、東京の車に嫌がらせを繰り返した。

9・10月「将来が怖い」

 一部、元の生活に近い日常が戻ってはきたものの、相変わらずマスクは付けたままで、ディズニーリゾートの抽選に当たらなければ、ライブも観劇も海外旅行にも行かれない。この先はどうなるのだろう、と不安と期待が交錯する時期となった。

 GoToキャンペーンにより、国内旅行を扱うJTBは、やっと息を吹き返したところだ。お金と時間に余裕のある、年配の富裕層が、予約待ちをしている姿が見て取れる。

 これに比べ、海外旅行に特化したHISは、政府の休業補償の支給を優先し、ほぼすべての拠点を全面休業か週休設定対応とした。都心の一等地にある大型店舗は、まるで商品の取り払われた、無人のショールームの様だ。パソコンに向き合う若いスタッフは、モニターで何を見ているのだろう。

 繰り返しになるが、我々がこれから経験する「新しい日常」は以前の日常とは根本的に異なる。先の見えない「不安」との二人三脚が大前提となったのだ。

本当の不振要因

 「すべては新型コロナウィルスのせいだ。」
この記事の前半で、筆者はこう記した。だが、この文章はいささか正確さに欠ける。言い直そう。

 「すべては新型コロナウィルスを恐れる人の心理のせいだ。」

 ウィルスは目に見えない。「人の心の内」も同様だ。こと商売に限って言うなら、消費者心理の変化によって、消費不況が続いているという事だ。

 居酒屋での飲食も、飛行機や列車を使った旅行も、結婚式やイベントの中止も、都心の百貨店での買い物も。消費者が「とりあえず今は止めとこう。」と思ったから、なのである。

 そんな事は判っている、という声が聞こえる。そう、皆判っている。買物に限って言えば、食品などの必需品を除いた、例えば衣料品は、とりあえず、「今」買わなくても困らないのだ。居酒屋で同僚と酒を酌み交わさなくても、家飲みで充分なのだ。ボーナスも出ないのだから、家計も助かる。

 消費の変化というより、消費行動の淘汰が起きている。ダーウィンの進化論ではないが、栄枯盛衰は世の習いである。生き残る店と閉店する店、継続する会社と倒産する会社、隆盛する業種と衰退し消滅する業種の分かれ目は、ほんの些細な差に左右されることが多い。それが今回はコロナだった、という事だ。

変化への対応が

 筆者は学者ではないので、大袈裟なことは言えないが、産業革命からこっち、栄華を極めた仕事、商売、業種が、いくつも無くなっている。コロナ禍と、コロナを恐れる心理は、世界の価値観を一変させた。コロナが主要因であることもあるし、コロナが最後の引き金であるケースもあるだろう。

 少し風呂敷を広げ過ぎてしまった。分かりやすく、飲食店を例にとる。店の存続には、立地と味とサービス以外に、変化に対応する柔軟な考え方、いわば「発想の転換」が必要だ、という事だ。

 客が減ったら、弁当でもデリバリーでも、キッチンカーでも、屋台でも良い。ネットでのレシピ公開でも良いから、何らかの対策をすることだ。もちろん、業種やメニューによっては、不十分であったり、出来なかったりすることもあるだろう。結局は失敗をしてしまつたり、商売の仕方を変えるならば、と廃業を選ぶ店主もいるだろう。創業何十年の老舗の廃業が目立つような気がするのは、店の知名度だけのせいではないのかもしれない。

 デパートという商売も基本は変わらない。最後には顧客が欲しいモノを、顧客の望む仕方で提供することに尽きる。もし今、顧客が「安心」を求めているなら、全力で「安心」を提供するべきだ。食べ物でも衣料品でも、サービスでも同じ事だ。老舗の看板や、プライドが邪魔をして、変化や対応が出来ないならば、「座して死を待つ」しか道はない。もちろん、元々衰退し、絶滅するDNAであれば、仕方のない事ではある。

 それこそ「神のみぞ知る」ということだ。
地方百貨店であっても同じだ。前号でコロナ禍の恩恵により、地方の過疎化(人口減少)に歯止めがかかるかもしれない、という可能性を論じた。良く考えて、そして行動してほしい。立地とブランドに頼っていた、都心の大手百貨店に一矢報いるのは、今かもしれない。

連載 デパートのルネッサンスはどこにある?

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