デパートのルネッサンスはどこにある? 2025年1月15日号- 第107 回「関口宏のこの先どうなる!?」を紙上再録 前編

今日のテーマは『デパート』です。

赤坂のTBS本社近くの貸しスタジオで、12月初旬に収録が行われた。

出演者は、
 番組の主:関口宏
 統計学者:西内啓(ひろむ)
 構成作家:若林淑子
 ゲストコメンテーターのデパート新聞編集長 山田

私(山田)含め、4人によるディスカッション形式で番組が進行した。

台本を追ってみよう。

関口:ではこの「デパート」について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
関口:本日のゲストは…
若林:デパート新聞編集長の山田 悟さんです。
山田:よろしくお願いいたします。

若林:山田さんは、パルコの社員として40年以上勤め、新店舗の立ち上げや閉店業務など様々な職種を経験。
4年前からデパートの老舗業界紙「デパート新聞」の編集長を務め、昨年10月にデパートに関する本「セブン&アイはなぜ池袋西武を売ってしまったのだろう」を執筆。

関口:デパート新聞とは、どんな新聞ですか?
山田:75年前の1949年に創刊したデパート業界紙で月2回発行し、主に百貨店の現場で購読されています。4年前に編集長に就任し、連載コラムが連載100回を超えました。ご紹介いただいた本はこのコラムをまとめたモノです。

関口:今の日本のデパートの現況をどう思いますか?
山田:ヒトコトで言えば、この30年で徐々に衰退しています。インバウンド需要回復のおかげで都心の大手デパートは盛況ですが、業界全体としては苦戦しています。特に地方のデパートは閉店連鎖が止まらない状況です。

若林:まずは、日本のデパートについて、こちらのVTRをご覧ください。

ナレーション(以下N):1904年に日本にデパートが誕生して120年。デパートは夢の国でした。
街録(街頭インタビュー)「街の人々のデパートの楽しい思い出など」

N:しかし…2023年、東急百貨店本店が閉店し、昨年も、岐阜髙島屋、青森の中三も閉店と、日本全国でデパートの閉店ラッシュが続く。
 街行く人にデパートの閉店について聞いてみると・・・
街録…「最近はあまり行かなくなった。やっぱり閉店は寂しい」等々。

全国の百貨店売上高
1991年:9.71兆円(ピーク時)
2023年:5.42兆円 ➡50%近く減少
全国の店舗数
1999年:311店(ピーク時)
2024年:166店➡25年でほぼ半減

N:ニッポンのデパート、この先どうなる!?
関口:デパートと言っても、例えば、イトーヨーカドーもデパートに入るのですか?
若林:イトーヨーカドーは総合スーパーマーケットと呼ばれます。そこで、デパートと総合スーパーマーケットの主な違いを比較してみました。

価格:総合スーパーマーケット ➡ 値引きを行う
デパート ➡ 定価販売

販売:総合スーパーマーケット ➡ セルフサービス
デパート ➡ 対面販売

若林:山田さん、何か補足事項あればお願いします。
山田:両者の違いを極端に言えば、都会の中心でブランドなど高額品を売るのがデパート。郊外の住宅地で生活必需品を売るのがスーパーマーケットです。

日本のデパートの歴史

若林:続いて、デパートの歴史をみていきましょう。日本のデパートは、大きく2種類に分けられます。まずはこちらです。

1.呉服店系のデパート

 松坂屋、三越、髙島屋は江戸時代の創業。松屋、伊勢丹は明治時代初期の創業になります。
 全て発祥は呉服店です。
 日本のデパートの始まりは1904年(明治37年)三越呉服店が『デパートメント宣言』を発表。

山田:呉服店を発祥とするデパートは、老舗で高級な店舗が多く、当時から別格な存在でした。
若林:続いて・・・

2.電鉄会社系デパート

 阪急百貨店、東急百貨店、西武百貨店、東武百貨店は、全て電鉄会社が造ったデパート。
 沿線開発の一環として開業。その先駆けが阪急で1929年(昭和4年)に阪急百貨店を開業。
 路線の終着駅(ターミナル駅)に立地したため客層が拡大した

若林:山田さん、いかがですか?
山田:鉄道系デパートが誕生し、デパートは大衆化(一般化)しました。ひとことで言うと敷居が低くなったという事です。
 ターミナル駅に百貨店を立地することで、様々な客層に利用されようになりました。

古き良きデパートを見ていく

若林:そんなデパートは、あの手この手を使い、人々を引き付けました。
こちらをご覧ください

  • 屋上遊園地。発祥は松坂屋名古屋店…1925年
  • 食堂。昭和8年の大丸で撮影されたもの。
  • ご存じお子様ランチです。発祥は三越。1930年にお子様洋食というメニューで発売。翌年に松坂屋が「お子様ランチ」と名付けて発売し、日本中に広まった。

関口:こうしたデパート側の狙いは何ですか?
山田:シャワー効果を狙っていました。上の階の施設を充実させ、上から下への人の流れを作り、店舗全体の売上増に繋げる手法です。
若林:さらにデパートの演出は、こんなものまでありました。こちらをご覧ください。( 紹介する)

  • 渋谷駅上空のロープウエイ。1 9 5 1 年~1953年まで、当時渋谷駅に隣接していた東横百貨店の屋上と玉電ビルの間を運航しました。
  • デパートの屋上にゾウ。1950年~1954年、日本橋髙島屋にいた高子ちゃん、8ヶ月で体重550㎏。クレーンで地上33mの屋上へ吊り上げた。日曜日には20万人のお客が観に来た。
    4年後、体重が1500㎏を超え飼育困難になり、上野動物園へ寄贈。クレーンが使えず、階段で降りた~1990年に41歳で死去。

若林:山田さん、こちらはご存じでしたか?
山田:他にも1934年、松坂屋の大阪店の屋上には、全面ジャンボプールがありました。
 その時代、デパートは家族で出かける『目的地』だったのです。テーマパーク的な役割を担っていました。
若林:アトラクションに力を入れていたデパートですが、忘れてはならないのが、こちら。

百貨店のシンボル、包装紙

百貨店のシンボル、包装紙です。

・三越が1950年に作ったもので、日本のデパート初となるオリジナル包装紙。デザインは、画家・猪熊源一郎。※画像①参照【若林:画像を拡大する】
「Mitsukoshi」の文字は、漫画家やなせたかしさんが三越の宣伝部に在籍していた時に書いたもの。

・高島屋の包装紙
「美の象徴であるバラの花を髙島屋の花としたい」という思いから生まれました。

関口:包装紙を買に行くこと自体が目的になっていた。
若林:山田さん、ここまで古き良きデパートをご覧になって、どう思いますか?
山田:包装紙が、贈答品の品質を保証すると思われていました。デパートの信頼の証(あかし)ですね。
・デパートは文化の発信基地であり、小売業界の王様でした。就職先としても評価が高い時代でした。

デパート 冬の時代へ

若林: (受けて)そんな勢いがあったデパートですが、売上高は、どうだったのでしょうか?
 西内さん、お願いします。

西内:こちらが【デパートの売上高】を表したグラフです。
※グラフ①参照
・1950年:735億円。高度経済市長と共に、売上高がうなぎ上り。バブル経済も重なり、ピーク時の1 9 9 1 年9.7兆円。

バブル経済が崩壊・・・

 売上高が徐々に落ちていく。2023年には5.42兆円。ピーク時の半分近くまで高減少。
・更に店舗数も減少。
【全国のデパート店舗数】はピーク時の1999年の311店舗から
2024年は166店舗 ➡ 25年でほぼ半減。

関口:なぜ、デパートはこんなに衰退したのですか?
山田:人口減少、少子高齢化により、若者のデパート離れが進みました。同時にデパートを脅かす他の勢力が台頭し、顧客の買い物の選択肢が増えたことも要因です。
 物を買えるお店が、昔はデパートだけだったのが、コンビニやショッピングモールなど多様化。
若林:(受けて)物を買うお店の種類が増えたということですが、このようなデータがあります。
西内さん、お願いします。

西内:(解説)

デパート、イオンモールなどのショッピングセンター、コンビニ、インターネット通販の10年前と今の売上高データを比較。

  • デパート・・・10年前と比べ13%減少
  • ショッピングセンター・・・7%増加
  • コンビニエンスストア・・・24%増加
  • インターネット通販・・・151%増加

➡ 百貨店だけが、売上高が減っている。~百貨店の顧客が他の業態に流れている。

関口:なぜ、お客が百貨店から他の業態へ流れていってしまったのでしょうか?
山田:家の近くで買い物ができるコンビニ、家の中で買い物ができるECなど、利便性の面でデパートは劣っています。
・ショッピングセンターに関しては、広大な駐車場があり、品揃えが豊富なので、家族での買い物には便利です。
・ユニクロなどのファストファッション系の店の台頭デパートの主力商品・衣料品の売上が落ちて行きました。※グラフ②参照

前半ここまで後半に続く

※注「関口宏の この先どうなる!?」は、1月12日の日曜日正午からBS‐TBSで放送されました。

 局側の都合で筆者の台本の内容から変更される可能性があります。その場合はご容赦ください。

連載 デパートのルネッサンスはどこにある?