渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第19回 富山その1 )

 柳ケ瀬でよくこんな言葉を聞いた。

 ——路面電車があったころは街に出るのも便利だったのにね。

 私はその乗り物についてほとんど知らない。調べてみると、私の住む山形県だけでなく、東北地方に路面電車は走っていないらしい。

 ずっと昔、運転免許を取得するために勉強していた時が、最も身近だったと言えるだろう。学科の試験に受かるためには、路面電車が従うべき信号の表示や、車が停留所や安全地帯のそばを通る際の規則を覚える必要がある。それらは日ごろ目にするものではないため、どうもイメージが湧きづらく、苦労して頭にたたき込んだものだ。

 それは柳ケ瀬の人々の嘆きを耳にしても同じことだった。商店街にとって好ましくない変化があったのだろうと理解はしても、風景の変化を想像し共感することができない。そんな自分が薄情にすら思える瞬間もあった。

 岐阜タカシマヤの閉店から少し経った2024年9月、私は生まれて初めて路面電車に乗った。出発は富山駅停留所だ。

 10月が目の前に迫っていたが、太陽を妨げるものの一切ないような晴天で、窓から差し込む日光が私の頰をじりじりと焼く。それでも顔をそらさずにいたのは、道路の真ん中をゆうゆうと進む路面電車が見せてくれる景色に高揚しているからだった。

 10分ほどで、窓の外に目的の場所が見えてくる。「大和」富山店、県内で唯一残るデパートだ。好天も手伝ってか、太い四角柱型の建物は輝きを帯びて、そのたたずまいに悲壮感はない。最寄りの「グランドプラザ前」で、数名の乗客の後に従う形で降りる。午後の1時をやや過ぎていた。

 ——路面電車の停留所に人が居る場合、車はどうするのが正解だっただろう。

 そんなことを考えながら、横断歩道の信号が青に変わるのを待つ。すぐ向こうの大和に、次々と人が吸い込まれていくのが見えた。これまでいくつかの地方デパートを観察してきたが、平日に見る光景としては珍しい。

 玄関を抜け、視界に広がった売り場も新鮮だった。デパートらしい高級感はあるが、並べられた宝石や化粧品のきらめきによるものだけとは思えない。照明の明るさが理由かと考えたが、目に痛いほど極端でもない。これはおそらく、通路の広さがそうさせているのではないか。

 人がゆったりと擦れ違えるくらいに取られた通路の幅は、売り場全体にどっしりとした安定感を与えている。視界を遮るような高い棚も少なく、結果としてすっきりした明るさを演出していた。

 見回すと、デパートの客層としては若い人々の姿が多い。彼らは1階の出入り口からエスカレーターまで視線を左右に振りながら歩くと、上の階へと消えていった。

 地下の食料品売り場へ行くのを後回しにして、私は彼らに付いていく。飾られたポスターを目にして、にぎわいの理由が分かった。

 ——全国うまいものフェスタ。ちょうどその開催期間中だった。案の定、エスカレーターに足を置いた人々のほとんどが、催事場のある階までその足を離さずにいる。やがて現れた6階の会場は、まさに人だかりといった様相だった。

 私からすると富山こそ食の魅力にあふれた土地なのだが、やはり離れた所にある文化というものはそれだけで引き付けられるものがあるのだろう。ちょうど群衆の迫力に立ち尽くす老婦人が居たので「すごいですね」と声を掛けてみた。

 婦人は警戒心からか、しばし私を無言で観察する。程なく「ああ」とだけ答えた。

 食の催事がない平日でも、普段からよく人が入っているのだろうか。そんなことを尋ねようと次の声を発すると、婦人は最後まで聞かぬまま、やや不機嫌そうに人混みの方へ歩いていった。

 思えばこの時だ。私は「富山」の手強さについて、もっと真剣に考えてみるべきだった。

(続く)