渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第12回 岐阜その6)
かつての職人町に、いい居酒屋がある。古びてはいるがよく手入れされた木造で、控えめな照明が心を落ち着かせてくれる。
通ぶったことを書いたが、昨年春に初めて弘前市を訪ねた際に入った店で、今回もここを目掛けてやって来たので、比べる対象を他に知っているわけではない。
とにかく、2千円台のおまかせコースを頼むと、前菜が数品、刺身の盛り合わせ、それとむいた身が甲羅に乗せられたカニがテーブルに並べられる。しかも一つだけではない。この日は毛ガニとワタリガニを出してくれた。
「棚卸し作業でお店は休みってことだったんでしょう。出勤してみたら解雇ってねえ」
フロアを切り盛りしている女将は60代後半といったところだろうか。手隙の間を見て話し掛けてみると、残念そうに眉根を下げた。
老舗デパート中三が破産したのは、2024年8月29日、つい先日のことだ。事前の告知なく突然閉店したので、顧客や従業員、取引先が大混乱したという。この点は山形の大沼とよく似ていて、岐阜タカシマヤとは対照的だ。
「お金を持ってる人は使ってたみたいだけどね」
聞くまでもなくと言っては悪いが、やはり買い物は車での行き来が便利な郊外店舗が主だという。特にイオンシネマに隣接する形で「さくら野百貨店」がある。女将は「あそこはショッピングモールみたい」と話すが、デパートでお買い物という欲求をそこで満たす市民も居るのかもしれない。
ここでふと、山形から弘前までの道中で生まれていた疑問を思い出した。「身近な都会」についてだ。
山形市なら1時間で仙台市と、岐阜市なら20分で名古屋市と接続されている。それは都会に人や金を飲み込まれる原因でもあるが、一方で「都会が近くにあるからまあいいか」と田舎暮らしを許容する助けにもなっているはずだ。弘前では、何がそういう役割を持っているのだろう。
「それもやっぱり郊外ってことになるんじゃないのかね。青森市は都会って感じじゃないし、盛岡も遠いし。若い人はインターネットでいろいろ買ってるんでしょうけど」
その時、調理場を隠すのれんからひょいと顔が出てきた。女将よりもやや年上に見える短い白髪の男性だ。夫婦で営んでいる店なのだろう。
「中三っていったらやっぱりラーメンだな。中みそ」
作業の手を止めてまで話に加わりたかったのだろう。先ほどの女将の表情とはまた違って、懐かしむような笑顔を浮かべていた。
昨年の私も、それが弘前のソウルフードと聞いて出掛けていった。閉店時間が迫っての滑り込みだったので、妙に寂しい地下売り場の隅での食事になったが、それでも弘前市民の仲間入りをしたような温かさを感じたものだ。
「大してうまいわけじゃないんだけどな」店主は太い声で笑った。
昔は地下でなく5階で営業していたらしい。同じフロアにはゲームコーナーがあって、親の買い物に付いてきた子どものための、いわば「ご褒美エリア」になっていたそうだ。店主もやはり幼いころは母親と一緒に中みそを食べたのだという。「特別なものでもないんだけど、やっぱり思い出なんだな」
味について厳しい点を除けば、御座候を語る岐阜の人たちと重なる。
「弘前は、何もなくなっゃうね」
女将は夫の話にうなずきながら嘆いた。その言葉には、9月29日で47年の歴史に幕を下ろす、弘前駅前のイトーヨーカドーへの思いも含まれているのだろう。
そこで私は、よそ者の無責任さと分かりつつも反論を試みたくなった。昼間に見た弘前の街並みは、歴史的な建物を多く残して歩くだけでもじゅうぶんに楽しい。弘前城の桜や夏のねぷた祭りなど季節ごとの目玉もあって、観光資源はうらやましいほど豊富だ。きっとこれらが、人口16万人の市で中三やイトーヨーカドーを支えてきたのだろ。
なじみある商業施設こそ失ったが「何もなくなる」という心情はどこから来ているのだろう。
ふと玄関からにぎやかな声が聞こえてきた。それを合図にしたかのように、店主は調理場に引っ込む。
私は女将に会計を頼み、話に付き合ってらった礼を言って店を出た。解消できなかった疑
問は、明日に持ち越すことにしよう。
( 全6回 岐阜その1)