渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第7回 岐阜その1)

 来る日を間違えてしまったか。

 火曜昼の商店街は、私の足音がアーケードに反響するのではないかと思うほど静まり返っていた。多くの店がシャッターを下ろし、そうでない店はガラス扉の奥を暗がりにしている。

 私の住む山形市でも、中心街である七日町は火曜に休む店が多い。大沼デパートに倣ったとも商店会の協定だとも聞いたことがあるが、ここも似たような事情なのだろうか。

 岐阜市は人口40万人と、先に訪ねた東北第二の都市・郡山を7万人ほど上回る。デパートを擁する「柳ヶ瀬商店街」は、広さといい店舗数といい、人口の差以上の規模で構えていた。それだけに、静けさにすら異様な迫力がある。地図を塗りつぶすように歩き回っていると「たこ焼き」と書かれたのぼり旗がぽつんと立っているのが目に留まった。

 間口2メートルほどの店頭は、半分が出入り口、もう半分が焼き売り販売台になっている。鉄板の向こうでは70代くらいの女性店主が黙々とたこ焼きを転がしていた。私がそばで立ち止まっても、彼女は視線を上げない。もはや売れることを期待していないかのような、潔さすら感じる佇まいだ。

 メニューには「8個入り250円」とある。普段あまりたこ焼きを買わない私でも、それが破格なのは分かった。

「うちは安さだけでやってるようなもんだからね。味はどうだろう。まあ、お客さんはおいしいって言ってくれるけど」

 やはりうつむいたまま、店主はたこ焼きの入った容器を紙で包んだ。

「今日は、お休みの店が多いんでしょうか」

 さらにビニール袋に入れられたたこ焼きを受け取って、私は辺りを見回してみせる。

「やめちゃったの、みんな」

 その言葉は街に連なる看板をたちまち遺影に変え、私を戦慄させた。どんな事件が起こったら、これだけ巨大なシャッター街ができてしまうのだろう。

「昔は柳ヶ瀬にも映画館がたくさんあって、人でいっぱいだったんだけどね」

 確かに「劇場通り」と名の付く区画があった。山形の七日町にも「シネマ通り」が存在する。かつて小さな映画館が集まっていた場所で、私も小学生時代の夏休みには、友人とバスに乗り出掛けていったものだ。柳ヶ瀬の劇場通りにも、かつては人々が娯楽を求めて群がったのだろう。

「あたしは、ここでたこ焼き作って40年よ」

 人が肩と肩とをぶつけながら通りを歩いてた時代から、この商店街を見ているそうだ。店主が言うには、もはや岐阜は寝泊まりする所で、遊びたい人は名古屋に行くという。岐阜駅から名古屋駅までは電車でわずか20分だ。山形・仙台間はおよそ1時間なのだが、それでも消費を吸収されているのだから、これだけ近ければ大都市に足が向くのは当然だろう。

「岐阜に住んで、仕事は名古屋でって人も多いからね」

 賃金はより高く、住まいにかかる費用は安くと求めれば、おのずからそういった生活様式が生まれる。「岐阜は寝泊まりする所」という立場の表れか、最近は商店街にマンションが建ったという。

「タカシマヤの隣にね。アーケードからひょいっと自分のおうちに入れちゃうんだから」

 店主は皮肉めかして話した。

 街に住む人が増えるのはいいことだろう。昭和のころまでは職住一体が多く、それがにぎわいを助けていたはずだ。店は街に、家は郊外にと分かれれば、商店街を歩く人は減る。山形でも「運転や雪かきをしなくても暮らせる」という利点を掲げて中心街へのマンション建設を進め、人を呼び戻そうとしているところだ。

「ただ、肝心のタカシマヤがね」

 店主は顔をしかめた。

 2024年7月末日、間もなく「岐阜タカシマヤ」は閉店する。それをもって岐阜県からデパートが消滅し、全国4番目の「百貨店ゼロ県」になるのだ。私はそれを知って、街とデパートとの関係がどう変わってきたのか探ろうとしている。

 —タカシマヤのある劇場通りはどっちだっただろう。

 地図に頼ろうとポケットのスマートフォンに手を伸ばす。

「うちは、続けられるだけ続けてみるけどね」

 笑顔で見送ってくれた店主に頭を下げた。

 道すがら、シャッターとシャッターの間にベンチを見つけ、たこ焼きをいくつかつまみ食いする。初めて味わう甘めのソースが、違う土地へ来たのだと教えてくれた。

(続く 1/6回)