渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第3回 郡山その1)
「じゃあ、泥棒でもして税金払えってか?」
憎々しげに吐き捨てた男は、50代半ばといったところだろうか。ねずみ色の作業服を着て、向かい合わせに座った同じ格好の若者に延々と愚痴を聞かせている。
私は、郡山駅前を30分ばかりうろついて見つけた中華料理屋に居た。看板は古び、店頭に飾られた見本写真はすっかり日に焼けて、ただ青色の濃淡だけを表現している。長らく街のうつろいと共にあった店に違いない。そう判断して扉を開けたのだった。
白髪の男性が1人で切り盛りしているようだ。月曜の昼12時を回っていたが、客は私だけだ。何か軽くつまんでから雑談を仕掛けてみよう。壁の品書きを眺めていると、例の2人が入ってきた。
「マスター、ビールと焼酎ね」
建設現場から抜けてきたようないでたちだが、彼らはためらいもなくグラスを合わせた。互いがタバコに火をつけ、愚痴をこぼす側、それを聞く側と役を分ける。
「泥棒して税金払う。いいんだな? って言ったらよ、役人の野郎、何て返したと思う? 払ってさえもらえれば、だってよ」
怒気交じりに男は笑った。
しばらくして、私と彼らのテーブルに餃子とレバニラ炒めが並んだ。やや遅れて、彼らの席にもう一つ皿が到着する。「カツ丼の上だけ」らしい。それらを肴にした酒宴が始まる。私はにぎわいを聞き流しながら、先ほど訪ねた「うすい百貨店」を思い出していた。
開店時間の少し前に着いた。見上げた外壁は陽光を反射して輝いている。山形の、黒ずんだ大沼デパートとは大違いだ。背も高い。大沼の売り場は7階までだったが、こちらは10階まである。人口8万人分の差か。郡山は東北では仙台に次ぐ経済規模を有するという。
午前10時になると、女性店員が深く一礼してガラス扉を開く。館内にはうすい百貨店のテーマソングが流れ始めた。
——「幸せ売ってるデパート」「夢のデパート」
リニューアルを重ねたフロアは、「東北第二」の冠にふさわしく都会的なきらびやかさを備えていた。
「マスター、これ嗅いでみてよ」
その声に回想を遮られた。
作業服の若者の方が、持ち上げた皿を店主の顔に近づけている。あれは「カツ丼の上だけ」か。
「ん? 何かおかしいか?」
店主は首をかしげた。「納豆みたいな臭いしない? 大丈夫? これ」
男は眉をひそめるが、店主は動じるさまを見せない。
「カツは買ってきたばかりだしな、めんつゆも、砂糖も……」
どこか他人事のような気楽さを帯びたつぶやきだ。
間もなく男は「オレの鼻がおかしいのかな」と皿をテーブルに戻した。役人嫌いの男の方が、煙を吐き出しながら愉快そうに笑う。
「そんなもんお前、正露丸飲んどきゃ平気だべ」
男が店主に酒のお代わりを注文した。その機に乗って、私は「広東麺」を頼む。何も食べず始発の電車に乗り込んでやって来たので、空腹が収まらなかったのだ。
やがて店の前に自転車が止まった。頼りない足取りの老人が、後ろに流した白髪を整えながら入ってきて、品書きにない「缶ビール」を注文する。彼は15分ほどかけてそれを飲み干し、店主にあいさつをしただけで金も払わずに自転車で去っていった。
「耳悪くして引退したんだ」
役人嫌いの男は、あの老人を知っているらしい。
「昔はヤクザな。運転代行やってた」
男は若者に老人の過去を語って聞かせる。私もこっそり耳を傾けながら広東麺をすすった。
「ごちそうさまでした」
厨房でタバコをくわえている店主に声を掛けた。
「新しくなったうすいを見てきたんですが、立派なものですね」
財布から千円札を取り出しながら、世間話を試みる。
「ずいぶん行ってないね」
店主は唇の端を上げた。
「昔はね、ほんとに地元に密着した店だったんだよ。今はほら、テナントばかりでしょ」
店主はそれを歓迎していない様子だ。「コンビニが増えてから出前もすっかりなくなった」と嘆いていたから、時代の変化に思うところがあるのだろう。
「何もない街だよ」
おつりを私の手のひらに乗せた後、店主は表通りへ目線を移した。
「歴史もない。観光地もない。名物もない」
ただし愛着はあるのだろう。店主は笑みを隠さない。
ふと鈍い音が響く。店の外壁に、明らかに泥酔した男がもたれていた。彼を横目に店を後にする。少し残してきた広東麺が気に掛かった。私も納豆臭を感じてしまったわけだが、正露丸を飲んでおけば大丈夫だろう。
チェックインを済ませ、真っさらなシーツに倒れ込む。そのままスマートフォンで郡山の来歴を調べてみた。
もともと不毛の土地だったここは、猪苗代湖から水を引くことで明治から戦前にかけて急速に発展したという。
店主の言う通り、歴史の浅い街なのかもしれない。そう考えた瞬間、ある語句が私の注意を引いた。
「東北のシカゴ」
この街はそう呼ばれていたらしい。
由来は、ヤクザの抗争だ。
(続く・全4回 その2)