デパート破産 第23回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~
「大沼が長くないというのは、この辺で商売をやっている人間ならみんな分かってましたよ」
中心街の事情に通じたある人が、そう話してくれた。2021年秋、大沼デパートの破綻から2年が過ぎようとしていたころだ。
「ただし、ああいった最後を選ぶとは思っていなかった」
閉店に向かう兆候は捉えていたものの、まさか「今日で終わりでした」という幕引きをするとは想像できなかったらしい。前もって閉店を告知し、セールを催し、多くのお客に見守られながらシャッターを下ろす。そんな光景を予想していたのだろう。私も同じであ
り、またほとんどの山形県民にも共通のイメージだったはずだ。
しかしその根拠はどこにあったのだろう。自らの記憶をたどってみても、買い物の選択肢にデパートが入っていた場面は少ない。たまに売り場を歩いてみても、にぎわっていたのはせいぜい「北海道物産展」くらいだろうか。それでも何となく、突然なくなることはないと考えていた。それはただ、興味の外にあったというだけのことなのだろう。
密かに破綻が迫るにつれ、土地建物の売却や県警制服入札に関する談合、米沢店の閉鎖など、大沼にまつわる暗い報道が相次いだ。当時の自分を振り返ると、記事を目にするたびに「とはいえ」と関心を素通りさせていた。私の経営する料理店でも、客席から「やばいよね」というささやきが聞こえてきたものの、一時の酒の肴になる以上の役割は持っていなかった。
̶山形から百貨店の灯を消すな!
そんなメッセージを掲げ、山形市長が会見を行ったのは2019年2月のことだ。
産経新聞の記事によれば、市長は「山形市民が愛し続けてきた大沼を応援するため、買い支えていくしかない」と呼び掛けたという。
「市民のみなさん、県民のみなさん、応援してあげてください」
特定の民間企業のために市長が「買い支え」を訴えるのは極めて異例だ。それなりのインパクトがあったのだろう。当時のSNSには「久しぶりに大沼で買い物してきた」といった投稿が増えた。
他人事だったデパートの苦境が、あの瞬間に我が事に変換されたのだろう。市長の呼び掛けに同調した人々は「歴史ある大沼を、思い出の大沼をなくしてはいけない」と行動を起こした。
ただし、情に訴える方法は長続きしないのだ。
「本の文化を守ろう」と叫んでも書店は次々と減っていくし、「君と別れたら死ぬ」と脅して交際を続けても、そこに愛は生まれない。
結局のところ、連日大沼に人が押し寄せるという光景は見られなかった。社長の言葉を借りれば、「暖冬で思ったより冬物が売れず、苦境を乗り切れなかった」という理由で大沼は倒れた。気候にかかわらず大沼でコートを買って支えようと市民が動けば、このような結果になっただろうか。つまりはそういうことだろう。
私も人のことは言えない。幼い娘がイオンへ出掛けるのを望めば、迷わずそちらへ車を走らせていたのだから。
地方デパートの生き残りを考える時、歴史を掲げたり同情を誘ったりなど、お客の良心に頼る方法は真っ先に排除すべきでないかと思う。冷たい言い方だが、大沼は「必要とされなくなった」から傾いたのだ。つまりは人々の生活そのものが変わり、その構成要素から外れてしまったということだろう。
ではどう動くべきか。人々の生活に欠かせない存在へと変化を試みるか、人々の生活を再構成するほどの商品やサービスを作り上げるかだろう。それはかつてのデパートが勧工場や中小商店を蹴散らしたやり方であり、反対に郊外の巨大ショッピングセンターやネットショッピングに仕掛けられた攻撃でもあるのだ。