英雄たちの経営力 第6回 平清盛 その1

平家の興隆

 今回は、平清盛の経営力について考えていきたいと思う。

 寛平(かんぴょう)元年(八八九)、桓武(かんむ)天皇の曾孫(そうそん)にあたる高望王(たかもちおう)が臣籍に降下し、平姓(へいせい)を賜ったことで平氏は始まる。清盛の一族は平氏とも平家とも呼ばれているが、学術的には、平氏とは平姓の氏全体を指し、平家とは伊勢平氏の中でも正盛―忠盛―清盛の一族だけを指す。

 清盛の祖父の正盛が、院政の創始者である白河院のお気に入りになったのは、院とその近親者への荘園寄進、つまり賄賂(わいろ)に端を発する。最初は正盛も貧しかったので、たいした賄賂は上納できなかったが、白河院の二十歳になる娘が亡くなった際、わずかな土地を寄進し、菩提(ぼだい)を弔う寺を建立(こんりゅう)したことで、白河院のお気に入りとなった。この逸話は、同じ賄賂でも「心を捉える」ことが、いかに大切かを物語っている。

 これにより若狭(わかさ)守に栄転した正盛は、因幡(いなば)、但馬(たじま)、丹後(たんご)、備前(びぜん)などの「熟国(じゅくこく)」、つまり収入の多い国守を歴任し、着々と地歩を固めていった。

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伊東 潤