地方デパート 逆襲(カウンターアタック)プロジェクト その1 資本主義の限界とデパートの役割

日本の資本主義の本質

 地方デパートの逆襲を語る上で、まず言わねばならないのは、資本主義との関係です。資本主義は英訳すればキャピタリズム、つまり、一つの解釈として、資本主義とは、資本を活用して投資を続ける目的を持った主張と言えるかと思います。

 そこで、日本で資本の再投資が行われているのかというと、疑問符がついてしまいます。例えば、巨額の内部留保を抱える大企業は、政府が様々な形でお金を使わせようとしますが、一向に資金投資に舵を切ろうとしません。自らの保身だけを経営理念として掲げているかのようで、従業員・取引先、ましてや地域に対して資本を投資(還元)することに前向きな意識を持とうとしません。

 個人にも似たような傾向があります。富裕層と言われる人々は、貯め込んだ財をむやみに消費しようとしません。買いたいものが無くなっているといえば確かにそうなのですが、何かのため、誰かのために使うという選択肢はないようです。

 こうした大きな財を保有している法人・個人に共通するのは、財を持っているだけで高い確率でそれを増やすことが出来る仕組みがあることです。富を持つものが更に豊かになっていく流れです。果してリスクなき勝者を生み続けるこうした流れが、資本主義として健全な形なのか不安になります。

デパートと資本主義

 ここで、多くのデパートの経営戦略を俯瞰してみましょう。大手のデパートはいずれも富裕層をターゲットにしていることに言を俟ちません。限界を迎えた資本主義の中で消費に対して意欲の無い者に対し、今までどおりのマーケティングを続けることで果して上手くいくのでしょうか。少なくとも、地方においては地域の特性に合わせた定常型社会を見据えたマーケティングを考えていくことが必要です。同時に、その方針への切換えが窮地に陥っている地方デパートを救うきっかけにもなるはずです。

江戸時代に学ぶ

 定常型社会の中で、日本がどのように生き残っていけるか、江戸時代が一つの参考になります。経済発展という観点からは停滞という見方もされる250年余りの時代に、文化面では現在でも世界から高く評価される高度な進化を遂げていました。日々の経済活動は大きな進歩もなく繰り返されていた中で、人間の精神という面で大きく進化したことは、定常型社会の一つの見本とも言えるのではないでしょうか。

 それを育んだのは、まさに人々の豊かなコミュニケーションであり、地域の深いつながりであったといえます。こうした歴史上の成功例をこれからいかに復活させていくのかがポイントであり、そのキーとなる存在がデパートに他ならないのです。 

地域のライフサポーターとしてのデパート

 地域の定常型経済を支え、文化を創造し、コミュニケーションを張り巡らす力を発揮するには、最も信用力のあるデパートこそ最適です。資本主義と定常型社会の在り方について詳しい、京都大学こころの未来研究センターの広井良典教授は、次のように語っています。

 「イオンの大型モールが最初に出来たのは1992年に秋田、翌年には青森だったかと思います。少し強い言い方をすると、(日本は)マチを捨てるような政策をやっていたのです。(町は)90年代以降シャッター通り化していきました。

 当時の通産省の流通政策、建設省の道路政策や交通政策は、よくも悪くもアメリカモデルで、郊外ショッッピングモール型の地域が望ましいとして政策を進めてきました。

 私は皮肉を込めて言うのですが、今の日本の地方都市の空洞化は政策の失敗ではなく、成功の帰結です。」

京都大学こころの未来研究センター 広井良典教授 一部抜粋

何とも悲しいことですが、行政が率先してかけがえのない地域の文化を壊してしまったというわけです。もはや、私たちの手で町そのものを大きく変えていかなければならない時代になっているのです。
その時、町の文化の中心地として、人々のライフサポーターとしてデパートが存在出来たら、素敵なことではないでしょうか。