連載小説 英雄たちの経営力 第3回 徳川家康 その3

徳川家康 その3

では、かつて鎌倉幕府のあった鎌倉はどうだろう。

 鎌倉は東西北の三方を山に囲まれ、南の一方だけが海に開けた馬蹄形(ばていけい)の地形をしていることから、九条兼実(くじょうかねざね)の日記『玉葉(ぎょくよう)』では「鎌倉城」と呼ばれている。外部から来た場合、鎌倉七口のいずれかを通らなければ中に入れないことから、旅人は城のような感覚を抱いたのだろう。だが鎌倉は意外にもろい一面もある。

 歴史上、鎌倉を舞台にした戦いは四度行われている。まず元弘(げんこう)三年( 一三三三)、新田義貞(にったよしさだ)率いる反幕府勢力の乱入により、鎌倉幕府が滅亡する。続いて建武(けんむ)二年( 一三三五)、室町幕府軍を破った北条時行(ときゆき)により、一時的に鎌倉が占拠される( 中先代(なかせんだい)の乱)。さらに建武四年( 一三三七) には北畠顕家(きたばたけあきいえ)が、文和(ぶんな)元年( 一三五二) には新田義興(よしおき)( 義貞の子) が室町幕府勢力を鎌倉から自落させており、結果的には守り難い地になる。しかも鎌倉は狭い上に移転をよしとしない大社大寺も多いので、都市としての発展には限界がある。

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伊東 潤
矢野 元晴