連載小説 英雄たちの経営力 第2回 豊臣秀吉 その3

信長の天才的発想

 安土桃山時代は、世界的に貨幣制度が混乱した時代でもあった。というのも、日本が渡来銭( 銅銭) を受け容れて五百年が経ち、日本国内での流通量が増えてきたのと反比例するように、大陸国家( 当時は明) での銅の産出量が減ってくることで、銅銭の絶対量が不足するようになってきたのだ。

 それでも石見( いわみ) 銀山で発掘された銀が、灰吹法という精煉( せいれん) 技術の導入によって生産量を爆発的に伸ばし、それを明に輸出することで世界経済が回り始める。つまり日本で産出した銀が支那大陸に渡り、銅貨から銀貨への転換を促したのだ。

 これにより銅の算出が減っていた大陸国家は銀によって貨幣経済が活発化し、手工業品の生産が増え、余剰生産物も増えていく。それがスペインやポルトガルの船で欧州に流れ込むという仕組みだ。

 こうした経済のグローバリズム化によって日本は豊かになり、富裕層が形成されていく。堺商人などはその典型で、働かなくても裕福になり、その余暇を趣味に費やすようになる。かくして安土・桃山文化が百花繚乱のごとく咲き始めるのだが、その中から生まれてきたのが茶の湯だ。

 秀吉が天下人となった桃山時代、茶の湯が大流行した理由は何だったのか。単に喫茶や密談場所として便利だったとか、茶道具の美術的価値だけで、あれほどの大流行が起こるはずがない。そこには、誰かの意図が働いていたとしか考えられない。

 それが誰かと言えば、天下人となった秀吉とそれを支えた利休だ。では、なぜ二人は茶の湯を普及させようとしたのか。その前に、茶の湯隆盛の仕掛け人だった信長について語らねばなるまい。

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伊東 潤
矢野 元晴