昭和24年10月創刊

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連載小説

連載小説 英雄たちの経営力 第2回 豊臣秀吉 その2

人間関係を重視した秀吉

 少年時代の秀吉は、遠江国人の松下加兵衛之綱( まつしたかへえゆきつな) に仕えた後、その許を去り、織田信長に仕えるようになった。だがその時期や経緯は全く不明だ。

 一つのヒントとして、前田利家との交友が挙げられる。秀吉は利家のことを遺言状で「おさなともたち」と書いており、それからすると成人してからの関係とは思えない。遺言状で噓を書くこともないので、二人は何らかのきっかけで少年時代に知己になり、利家の引き立てで、秀吉は織田家中の末席に加えられた可能性が高い。秀吉は終生それを忘れず、利家の能力と実績に見合わないほどの大領を与え、晩年には五大老に指名し、家康を抑える役割を託したほどだ。

 ここから分かることは、秀吉は極めて人間関係を大切にしたということだ。それが秀吉に対する謀反が皆無なことからも分かるだろう。ちなみに信長に属した、ないしは手を組んだ者たちの多くは、次々と反旗を翻していった。上洛後だけでも、浅井長政、足利義昭、本願寺、松永久秀、三好義継、富田長繁、荻野直正( 赤井悪右衛門)、波多野秀治、内藤定政、別所長冶、荒木村重らが次々と離反していった。
その最たるものは明智光秀だが、これだけ多くの者たちに離反されるということは、信長の人間性に問題があったのは否定し難い事実だろう。しかも信長はそれを顧みず、態度を改めなかった。

 これをつぶさに見てきた秀吉は、人間関係に粗雑なことで墓穴を掘った信長を反面教師とし、人間関係を大切にすることの重要性を痛感したはずだ。それが後年、「人たらし」と呼ばれるほどの魅力的な人物像の形成に結び付いていったのだろう。つまり他人を魅了するほどの人間的魅力の形成こそ、秀吉の原動力だったのだ。

続きは本誌紙面を御覧ください

伊東 潤
矢野 元晴