渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第23 回 富山編その5 )

 私が杯を傾けるごとに、店は慌ただしさを増してゆく。客席から聞こえてくるのは日常会話を少しにぎやかにしたようなもので、やはりここは地元の人々が集まる場所なのだろう。

 とはいえ大和富山店についての話は漏れてこない。考えてみれば岐阜の時のように「閉店」という事件が起こってはいないわけで、となればデパートについて情報を得るには、こちらからきっかけを作る必要があるのだろう。

 カウンターの両隣に目を向けてみる。どちらも二人連れで来ていて、仕事の話をしているのか真剣な雰囲気だ。結局、目の前の寡黙な板前たちにも、そっけない割烹着姿の女性店員にも雑談を仕掛けられぬまま、私は味覚だけを満たして店を出た。

 帰り道の途中、見つけたコンビニで缶ビールとカップラーメンを買う。ホテルに着くと、フロントのサーバーで紙カップに日本酒を注いで部屋に戻った。

 浴槽に湯をためながら、ベッドに腰掛けて背中を丸める。

 —すっかり萎縮してしまった。

 街とデパートとの関係を観察するという目的で、これまで郡山、岐阜、弘前を回ってきた。どの街でもそれなりに地元の人々と交流し、ペンを構えての「取材」では逃してしまう言葉や光景を集めてきたつもりだった。だが今回は妙に勝手が違う。

 気が付くと、バスルームから響いてくる音が小さくなっていた。私は緊張した体を湯でほぐしながら、立て直しの策を練ることにした。

 明くる朝、ホテル近くの乗り場から、環状線の路面電車で大和富山店へ向かった。着いたのは開店してすぐの時間だったが、昨日聞いたように「全国うまいものフェスタ」の効果なのか、若者からお年寄りまで、一人一人を目で追うのがやや忙しいくらいのペースで玄関へ吸い込まれてゆく。私は中へ入らずに、そのまま商店街を歩くことにした。


 大和富山店が構える「総曲輪通り」(そうがわ通り)は、県内最大のアーケード商店街らしい。古くから栄えた形跡は所々に見える年季の入った看板に残り、近年の刷新はいかにも若者を呼びそうなきらびやか、または洗練された店構えに表れていた。「定休日」の札を下げている店も多い。それもあってか、人通りはまばらだった。

 私は視線を右へ左へと振りながらゆっくりと歩く。長らく街を見てきたであろう商店で話を聞いてみよう。これまでデパートのある街を訪ねるたびに繰り返してきたやり方だ。

 —まずは基本に戻る。
 それが昨晩、風呂に浸かりながら決めたことだった。

 総曲輪通りを西に抜けると「中央通り商店街」の入り口が見える。総曲輪のめぼしい店は定休日かシャッターが下りているかだったので、横断歩道を渡ってそのまま進んだ。

 どうやら工事中らしい。中央通りの片側はフェンスで覆われていて、その向こうから建物を解体するような大きな音が響いてきた。もう一方の店が並んでいる側も、日か時間が悪かったのか半分くらいが営業していない。通りの真ん中にぽつんと、フェンス奥の見えない工事を監視するかのように立つ老婦人の姿があった。できるだけ朗らかにと心掛けた私のあいさつは、発した瞬間に重機の音にかき消される。

「何の工事をしているんでしょうね」
 私が質問すると、老婦人はまるで警戒心を隠さずに顔をしかめた。そのまま何も答えない。

「ここは、昔からある商店街なんですか?」
 質問を変えてみる。老婦人は笑顔を見せたが、それは友好的というよりもあざけりに近い表情だった。

「商店街、ねえ」
 老婦人は目尻から伸びたしわを深くする。
「ここも一応は、商店街ってことになるのかね」

 私は次の言葉を探す。

だが老婦人は、この場を去ろうとすでに足を前に出していた。
 また拒まれたか。鼻から長い息を吐いた時、ふと昨晩の光景がよみがえる。

—いっぱい食べて大きくなりなよ。
 そっけない女性店員が、その態度を崩さぬまま子どもに掛けた言葉だ。
「富山の人は、冷たいわけじゃない」

 工事の音に耳を刺されながら、私の中である仮説が組み上がろうとしていた。   
(続く)