渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第14回 )
私が弘前から山形へ戻ったころ、岐阜の柳ケ瀬商店街では新たな動きが進んでいた。閉業したタカシマヤの前に露店を常設させるのだという。
劇場通北商店街振興組合が企画し、岐阜市中央卸売市場との連携で、新鮮な食料品を毎日販売するつもりだそうだ。
「買い物するところがなくなる」 私がタカシマヤの閉店直前に柳ケ瀬を歩いた際、そう漏らす高齢の女性と話をしたことがある。
「車の運転もできんしな。路面電車もなくなったし」
女性は左手に提げた白いビニール袋を揺らしながら、足を引きずるようにして歩いていった。
山形の中心街でも、かつては大沼デパートの地下食料品売り場を日常の頼りにしている人たちが少なくなかった。2020年の破綻で県民は大きな衝撃を受けたが、その多くはデパートから遠ざかってしばらく経っている人々だ。普段から買い物をしているお客が味わった落胆は、生活に関わる深刻なものだっただろう。
山形ではその後、旧大沼そばに新たな食料品店が生まれ、いわゆる「買い物難民」を救済している。柳ケ瀬近郊で暮らす人々にも、タカシマヤに代わる日常の助けが必要なのだろう。
組合は8月29日、運営会社の設立や備品調達のためにクラウドファンディングで資金を募った。旬の野菜や果物、鮮魚、肉などを販売するだけでなく、全国の物産展も開催する予定だという。デパートが集客力を残していた機能が抜き出された形だ。
また開設に当たってはバーベキュー会場を設置し、買った品物をその場で食べられるようにするつもりだという。マルシェや夜市も企画することで、住民や家族同士の交流を促し、そのにぎわいで外からも人を呼び込「柳ケ瀬再生プロジェクト」とうたわれた。
調達目標の300万円に対し、ひと月ほどで約3分の1の金額が集まる。宣言通り運営会社が新設され、10月1日、旧岐阜タカシマヤ正面玄関前に「柳ケ瀬中央市場」が開かれた。
劇場通りに再び人が押し寄せた。立ち並ぶ屋台では生鮮食品だけでなく弁当や総菜も売られ、まさに「デパ地下」がアーケードの下に再現された格好だ。これが毎日開催されるとなれば、普段からタカシマヤで食材を選んでいたお客も、車の運転ができない高齢者も救われるだろう。
だが4日後、市場は休止を発表した。責任者からは準備不足が主な理由だと報告されたが、日を追うごとに内部での対立が原因だと明らかになってゆく。コミュニティ形成を理想に掲げたはずの企画は、自らの分裂によって足を止めた。この原稿を書いている10月28日現在、再開の知らせは届いていない。
私はこの成り行きを追いながら、なぜかある喫茶店を思い出していた。岐阜タカシマヤの最期に立ち会い、その翌朝に訪ねた店だ。
柳ケ瀬のメイン通りから少し外れた所にあるその喫茶店は、ショーケースに食品サンプルと色あせた写真を飾る、いかにも老舗といった佇まいだ。半地下のような造りになっていて、短い階段を下りると客席がある。壁にずらりと並んだ漫画本は、一様にたばこのヤニで茶色くなっていた。
「タカシマヤ、昨日までやったんやな」角のテーブルを、60代後半くらいの婦人たちが囲んでいた。
「あんた、行ったか?」
「行けへんよ。セールいうても、大して安くないって話やで。最後ならもっと下げてくれてもええのにな」
おそらく、いつもここで雑談をしているのだろう。それが伝わってくる会話の雰囲気だった。
「バラ配ったんやろ? バラは要らんけど、特製の紙袋は欲しかったな」
それから婦人たちは、この辺りでシャッターを下ろした店を数えていく。それが一回りして、再びタカシマヤに触れた。
「あそこ、エスカレーターゆっくりやろ」
確かに、それは私も感じたことだった。
「ちっさい子がけつまずいてけがせんように、そうしてたんかな。わからんけどな」
私はコーヒーとサンドイッチを交互に口に運びながら、その会話に聞き入っていた。
彼女たちは目的も利害関係もない、素朴な交流を知っている。熱い理想を掲げた市場の破綻からその光景を思い出したのは、私が彼女たちを羨ましがっているからなのかもしれない。
(続く)