渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第9回 岐阜その3)
静かな商店街の散策をさらに続けると、やはり間口の小さい食料品店が目に留まった。入口のガラス戸にはポスターを剥がした跡が点々とある。中に人の姿はないが、明かりはついているので営業しているのだろう。ただし棚にはほとんど商品が置かれていない。
滑りの悪い戸を開けると、奥からやや腰の曲がった女店主がのそのそと出てきた。彼女は聞き取れないほどの声で何かつぶやいた後、私を視界に収められる位置で止まる。その表情をゆがめているのは警戒心だろうか。
「シャッターが下りている店は、お休みですか」
自分でも白々しいと思いつつ尋ねながら、インスタントの吸い物を購入する。女店主は短くうなって鼻から短い息を吐いた。機嫌を損ねてしまったか。私の体が硬直する。
「昔はこの辺りの店だって、何人も雇って商売してたんだ」
憎々しげな顔を崩さぬまま、店主は話し始めた。「今は『女中』なんて言わないか。昼になると、女の雑用係が使用人たちの食事を作るわけだ。うちはそのための材料を配達してた」
岐阜タカシマヤ開店前後のことらしい。当時は品物を抱えあちらへこちらへと大忙しだったそうだ。時を経るごとに手広く商う店は減り、やがて後継者が見つからずに次々と閉めていったという。
「何かに、入れてやろうか」
私が吸い物を手に持ったままでいるのを気遣ってくれたらしい。礼を言いながらワラビの入っている手提げ袋にしまってみせる。頭を下げつつ戸に指を伸ばした。「国体の前は、まだましだった」
ここでもその言葉が出てきた。
柳ヶ瀬の西エリアはひときわ、鈍い色のシャッターが通りの端で行列を成している。それもそのはずで、目につく看板のほとんどがいわゆる「夜の店」だ。肌を露出した女性の写真や、いかにもな単語たち、それらに役目が与えられるのはこんな昼間でなく日が落ちてからなのだう。
不意に鋭い金属音が鳴った。目をやると灰色の髪を後ろでまとめた老婆が、両足を地面にそろえたまま自転車のハンドルを握っている。先ほどのはスタンドを上げた音か。すぐそばのうどん屋から出てきて、これからサドルにまたがろうというところらしい。店にのれんが掛かっていないところを見ると、この老婆はお客ではなく店主なのかもしれない。
「さっき終わって、家に帰るとこ」
やはりそうだった。しかしうどん屋なら、今こそお客を集める時間なのではないか。
「うちは夜から朝までなの。ここらの店で遊ぶ人たちのためにね」
日が暮れると表通りには人があふれ、男たちがのれんをくぐりやって来くる。彼らはグラスを片手に、目当ての店について語るのだという。そういった店は1対1でサービスが行われるので、友人同士で連れ立って一つの店になだれ込むことはあまりない。酒を飲み干すと男たちは散り散りになり、しばらくするとまた集まって、今度はうどんをすすりながら反省会を開くのだそうだ。
「そうやってうちで金を使ってくれるならいいんだけどね、店の前を集合場所にするだけって連中も居るからさ。『そういうのはだめだよ』って教えてやるんだ」
彼女は昨日のことのように話したが、実際は遠い過去の思い出だった。目の前に連なるシャッターは、今や太陽が沈んでもほとんどが下りたままだという。
「国体ですか」
そうこぼした私に、老婆は笑みを向けてきた。よくできた宿題を褒める教師のような顔だった。
東日本大震災の翌年である2012年、「復興支援」の冠をかぶって岐阜国体が開かれた。全国の選手はもちろん、要人たちが岐阜の土を踏む。
「ここの政治家ってのはどうも真面目過ぎるんだね」
もてなしの体裁を整えるためだろう。県の主導で街が浄化されていった。男たちの楽園は「あるべきでないもの」とされ、軒並み廃業に追い込まれたという。
「お偉い方々がこんなとこまで見に来るはずないだろって、商店街も闘ったんだけどね」
その結果として出来上がったのが、開くことのないシャッターの群れだった。
「ひと眠りしてくるか」
老婆はほほ笑んで片足を上げた。彼女を乗せた自転車が、キコキコと甲高い音を響かせ遠ざかってゆく。視線を上げると、なまめかしい看板越しにタカシマヤの頭部が見えた。