渡辺大輔のデパート放浪記 – ペンを捨てよ、街へ出よう – (第6回 郡山その4)

 郡山の空を薄く覆う雲は、わずかな裂け目から日差しをこぼした。その光を受け、うすい百貨店の外壁が輝く。正面玄関前には3台のタクシーが並んでいて、一番後ろの車はドアの外にやや腰の曲がった運転手をもたれさせていた。「まあ、デパートのお客を拾おうってのもあるけど、周りの店から出てくる人も居るだろ? そういうのを待ってるの」運転手はまぶしそうにうすい百貨店を見上げると、右手の指で挟んでいたたばこを一吸いした。

 私は辺りを見回してみる。のどかな平日の昼下がり、街を歩く人の姿はまばらだ。
「今はこうして俺たちが並んでるけども、昔はお客の方がデパート前に行列を作って待ってたんだからな」

 タクシーの数が足りないほどの人混みだったという。「あの時はみんな、ちょっといい物が欲しくてデパートに出掛けてきたんだよ。今は安い物を求めて郊外に車を走らせるだろ?」過去を懐かしむわけでもなく、現在を嘆くわけでもなく、コンビニへの道筋を説明するかのように運転手は淡々と語った。「ただね、うすいさんは人の雇い方がうまかったよ」今もそうしているかは分からないけどな、と運転手は添えた。

 運転手の知る昭和のころには、県内の農村部からの志望者を積極的に採用していたそうだ。デパートへの憧れが強い地域なので「あの家の娘さんがうすいだって」とうわさはたちまち広まる。すると辺りの住人は家具を買うにも服を買うにも彼女を頼ることになるということらしい。

「顧客付きの外商部員を雇ったようなもんだな」

 遠方から出てきた従業員のために寮を用意し、毎日バスで送迎をした。勤続が5年を超えるとハワイ旅行へも連れていったらしく、その待遇が「うすいはやっぱりすごい」と評判を高めたそうだ。

 さんざん話を聞いておいて乗車しないのはやや気まずかったが、礼を言い、目の前のうすい百貨店に向かって歩いた。

 玄関にはアップライトピアノがしつらえられている。初めて訪れた時にも目にしたものだが、音楽都市となる背景を知った今は見え方が違った。店内には楽器をモチーフにした椅子が所々に置かれ、街の文脈を伝えようとしている。数日前にやって来た私が感じていいものかと思いつつも、土地と自分とがつながっているような心強さにしばし浸った。

 帰りの電車まで少しある。人の欲望を引きずり出そうとするかのようにぎらつく駅前アーケード街を抜けて、気軽に飲めそうなホルモン焼き屋に入った。

 間もなくビールに喉をこじ開けられる。その刺激にうなりながら、網の上で色を変えてゆくレバーを見つめた。
 ふと長いため息をつく自分に気が付く。旅の終わりが呼んだ感傷だろうか。いや違う。虚しさから吐き出されたものだった。

 かつて暴力に合唱で立ち向かった市民も、自由と緑のためにロック・フェスティバルを先導した佐藤三郎氏も、自らの「使命」を抱いて生きていた。彼らの行動が「東北のシカゴ」の呼び名を「東北のウィーン」に書き換えた。

 では私に使命はあるのだろうか。来店客の希望する料理を作るとか、支払日までに入金を済ませるとか、契約ならいくつも抱えている。ただしそれらは私と相手との個別のもので、地域や社会に対するものではない。

 社会を変えるため手を取り合うには、私たちはあまりに満たされてしまったのかもしれない。食べ過ぎて肥満や病気の心配をすることはあるだろう。金欠でおかずが減るのを悲しむこともあるだろう。だが飢えに震えて槍を握りはしない。

 ——もしかしたら。

 焼けたレバーを箸でつまみながら考える。

 地方デパートも長いため息をついているのだろうか。「都会や海外の流行を地域に広める」。その使命はもはや歴史書の記述だ。 
 じゃあなぜ生きる。給料を払う契約のためか。仕入れ代を払う契約のためか。

 電車の時間が近づいていた。私の目は赤みがかっていたかもしれない。会計をお願いした店員は、20代前半といった見た目の男性だった。「うすい百貨店には行く?」財布から金を出しながら私が尋ねると、愛想の良い彼は笑顔のまま斜め上に視線を移動させた。「買い物はほとんどネットですけど、本屋さんの階はたまに」イラストレーターを志しているそうだ。うすいへは画集を探しに行くという。

 日暮れから時間が経つにつれ、郡山駅前は客引きの声が大きくなる。勧誘をかわしながら駅へと歩いた。「使命はなくても夢を見ることはできるか」呂律の怪しいつぶやきを地面に転がして、やがて郡山は遠ざかっていった。

(全4回 郡山その1

(次回より岐阜編)