地方デパート 逆襲(カウンターアタック)プロジェクト その32 日々の生活から

【資本主義の弊害】
日常の生活の中で、悪しき資本主義が浸透していると感じる出来事はいろいろあります。ペットボトルの栓が異常に堅く、渾身の力をふりしぼってようやく開けることができるジュース。風邪で具合いが悪い時、薬局で購入した薬の効能書きを読もうと容器のラベルを見ても、字が小さく更に薄くて容易に読めない。そして、毎日テレビやビデオのリモコンを使う際、押すボタンが多すぎていつまでたっても必要な操作の半分もマスター出来ない…。いずれも利用者の側に立ったサービスが十分に提供されているとはいえない事例です。
別の角度からの話もしましょう。レストランでハンバーグを注文したところ、付け合せにグリンピースがついていた。サラダを頼んだらカリフラワーが入っていた。久しぶりに味覚が甦り、また家でも食べようと後日デパートやスーパーの食品売場を探し、いくつかの店を回っても巡り会えないことは珍しくありません。
筆者は横浜中華街の近くが仕事場で度々中華街を訪ねるのですが、夏に冷やし中華を注文したら「食べる人が少ないから止めました」と素っ気なく切り返されました。今では実際にメニューとして置いている店の方が少数派です。いくら冷やし中華が日本発とはいえ、少し前はどこの店でも扱っていました。他の料理と比べて手間と材料のコストが合わないようです。
モノのサービスが行き届かないこと、更にモノ自体がなくなっていくこと、ここに共通しているのはモノの使用価値を軽んじ交換価値ばかりを優先する資本主義による包摂が進んだ結果の弊害であるという点です。
【コミュニケーションを断つ企業】
利用者・消費者が望んでいないことが続出しても、製造者・供給者の側が無関心でありかつ気付いていないのです。そして、利用者の側から声を上げることは出来ない仕組みになっています。そもそも、最近は電話番号を公表していない会社も少なくありません。積極的に製造者に連絡を取ろうとしても、電話はロボットが対応していて、担当者に行きつくまでには大きな苦労があります。せっかくの消費者の声も、多くの場合「一つのクレーム」と見做されているからです。
情報網がこれだけ発達しているにもかかわらず、コミュニケーションを円滑に取るためのシステムは極めて不完全のまま放置されているのです。むしろ、劣化の一途をたどっています。かくして、利用者は本当の使用価値に値するモノから遠ざけられる時代となっていくのです。
【デパートが今すべきこと】
交換価値を持つモノを無数に扱うデパートも資本主義に翻弄された存在です。モノが余り、多くの人々が使用価値のあるモノを手に入れる場としてのデパートの重要性を求めなくなった結果、没落しました。そして、情報が多くの価値をつくっていく時代にもかかわらず、デパートは自ら発信することを怠りました。結果として、最大の発信は自ら閉店を告げるフィナーレの一時となってしまいました。その時、多くの人々が再びデパートに足を運び、感動の場面が訪れます。
時既に遅しですが、その時それだけの人々が心を動かすのはなぜでしょう。それは、デパートに対するコミュニケーションの場としての確固たる評価があるからではないでしょうか。だからこそ、時代の荒波に翻弄されながらもどうにか踏ん張っている今、地方デパートは顧客とのコミュニケーションを積極的に取り続ける努力をして欲しいのです。
その中で、今一度使用価値のあるモノを顧客に提供する営みに傾注するのです。きっと未来が拓けていくはずです。

デパート新聞社 社主