<新連載> 渡辺大輔のデパート放浪記 – ペンを捨てよ、街へ出よう – (第1回)

 また1つデパートが消える。

 かつて憧れとして街に君臨した存在は、今や病人のように心配のまなざしを向けられている。

 デパートと街との関係は、なぜ、どのように変わってきたのだろうか。当連載ではさまざまな地域を放浪しながら、それを解き明かしていきたい。

 そのためには、街の構成要素である「人」の研究が欠かせないだろう。ただしペンを構えての取材では、求めるものにたどり着けないのではないか。私はそんな疑いを持っている。

 根拠を1つ挙げよう。

 2024年3月、山形県の給食から「ソフト麺」がなくなった。理由は製麺会社の廃業だ。

 ソフト麺とは、うどんによく似たものだ。給食では1人分ずつ四角形の透明袋に入った状態で配られ、おのおのが汁に浸して食べる。

 私の小学生時代には、少なくとも週に1度はソフト麺の日があった。汁はその都度に変わって、肉うどん風もあればミートソースもあった。

「今思えば、変な食べ方だよね」

 同級生と酒を飲むと、大抵そんな話になる。うどんとミートソースの組み合わせは決して一般的とはいえない。なのに当時は疑問を感じなかったのだから不思議だ。

 思い出話は続く。麺の「分割」についてだ。

 食べる前の準備として、器の汁に麺を浸すわけだが、1玉をそのまま投入してしまうと汁があふれる恐れがある。仮にその事態を避けられたとしよう。次には汁と麺とをかき混ぜて味を均一にする作業があるのだ。これをお盆を汚さずにこなすのは職人技といっていい。とても小学校の6年間で習得できるものではない。

 そこで「分割」だ。四角形の透明袋に麺が入ったままにしておこう。箸を手に持ち、四角を2分割する線を加えるように、袋の表裏両面から挟んでやる。あとは箸同士が密着するくらい圧迫してやればよい。

 袋の中で麺が裁断され、半玉2つの出来上がりだ。その内の1つだけを先に入れてやれば、汁と絡める作業が極めてスムーズになる。女子の場合は十字の線を引いて4分割にしていたようだ。麺が短くなり過ぎる気がするが、彼女たちの都合にはかなっているのだろう。

 こういった思い出が、いい酒の肴になる。ここに年代や出身地の違う人間が加わっても面白い。

 まず汁が違う。カレーうどん風があったと話して羨望を集める者が居れば、ミートソースなど出てないと主張する者も居る。分割については「同じだ」と盛り上がる場合もあれば、「したことがない」と首をひねられる場合もある。汁がこぼれないかと聞くと「別に」と返ってくる。

 信じられない。その学校は職人を養成でもしていたのだろうか。

 いずれにせよ、給食生活を終えてからほとんど口にしていないのに、ソフト麺は現在まで幾度となく談笑の種になってきた。

 このたびの報道には、1968年から県の委託を1社で受けてきた「鈴木製麺」が、原材料費や燃料価格の高騰を理由に製造の継続を断念、廃業を決めたとある。少子化や、米飯給食の頻度増による注文数の減少も響いたという。

 私が注目するのは、どのニュースにも必ず添えられる児童へのインタビューだ。

「最後だから感謝の気持ちをもって大切に味わった」

 読売新聞には6年生の言葉としてそう掲載されている。

 模範的だ。しかし、その子ならではの生き生きとした経験は表れていない。分割の文化は君たちに受け継がれているのだろうか。それも分からない。

 私が一般的な「取材」に疑いを持つ理由がここにある。記者が目の前で手帳を開きペンを手にすれば、整った言葉を探してしまうものなのだ。それは子どもに限ったことではない。

 山形は2020年1月に老舗の大沼デパートを失い「百貨店ゼロ県」となった。抜け殻の店舗前に記者が張り付き、通行人へのインタビューが繰り返される。果たして記事には「思い出がたくさん」「寂しい」や「駐車場が」「ネット通販が」など、正負どちらの面においてもお決まりの言葉が並ぶ。

 これでデパートと住人との関係を正しく捉えたとは思えない。事実をつかむための「取材」が、かえって事実を遠ざける。こんな皮肉はあるだろうか。

 だから私は、取材の構えを解いてみようと考えた。記者でなく生活者として人と交わり、その中でデパートと街との「リアルな関係」を読み取っていくのだ。  

 ペンを捨てよ、街へ出よう。

 事実はきっとそこで待っている。