英雄たちの経営力 第11回 大久保利通 その3

(承前)

 少し時はさかのぼるが元治元年三月、水戸藩尊攘派が鎖国を主張して決起する。天狗党の乱である。これを断固弾圧する方針の幕府は、参勤交代制を復活させるといった強硬な姿勢を取り始める。結局、慶喜に拝謁しようと上洛行の途に就いた天狗党だったが、同年十二月に敦賀で加賀藩に降伏する。

 これを危惧した久光は元治二年( 一八六五) 二月、大久保を上洛させた。ちょうどこの頃、慶喜は天狗党征伐の司令官となって敦賀に向かっていたが、降伏の報告を受け、三百五十二名もの元水戸藩士らを処刑した。言うまでもなく水戸藩は義宣の出身母体であり、それを捨てたことで、慶喜は根無し草同然になっていく。

 これを聞いた大久保は、慶喜に対して憤り、「幕滅亡之表」、すなわち「幕府滅亡の表れ」と日記に記している。これを読む限り、この頃から大久保は公武合体論や諸侯会議論を捨て、倒幕論に傾いていったと分かる。

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伊東 潤