英雄たちの経営力 第10回 荻原重秀 その4

 かくして世界に先駆けて名目貨幣の通用実験が開始された。まさに勘定吟味役と佐渡奉行を兼帯し、将軍や老中の信頼厚い重秀でなければできなかったことだ。

 その結果として「貨幣改鋳により物価が騰貴した」ということなら、重秀の失策だと言えるだろう。しかしそんなことはなかった。

 この時代は商品の大半が農産物( 主に米) のため、物価の上げ下げは農作物の供給量に左右されていた。しかも改鋳前は米価が上がり、改鋳後は下がったという事実もある。つまり改鋳によるインフレ圧力は微々たるものだったのだ。

 結論から言うと、「貨幣改鋳によって通貨供給量が増大し、激しい物価騰貴をもたらした」という従来の説はデータ的に根拠がなかったのだ。

 ただし重秀が不運だったのは、改鋳年の元禄八年と同九年にかけて冷夏に見舞われ、米価が史上最高値を記録したことだ。経済の仕組みなど分からない民にとって、貨幣改鋳が物価上昇の主因だと印象付けてしまったことになる。しかも元禄十六年( 一七〇三) の元禄大地震は、またしても米価を上昇させた。

 それでも改鋳から十一年平均で見れば、年率三パーセント程度の上昇率なので、米価高というほどでもない。その一方で豊作だった年には、米価が暴落しているので、改鋳が物価にほとんど影響していないことは間違いないだろう。

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伊東 潤