デパート破産 第19回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 山形市の中心街にマンションが増えている。

 皮切りは旧「セブンプラザ」だろうか。元々は若者向けのブランドを集めたファッションビルで、1974年に開店した。大沼デパートとは交差点を挟み斜めに向かい合っており、互いにお客を街へ呼び込む存在だった。

 私も高校時代に、アルバイト代を財布に入れて出掛けたことがある。入り口をくぐってすぐ、強い照明と、それを反射するギラギラした売り場が視界に広がった。

 フロアのほとんどが女性用の商品で、思春期の男子は気まずさを避けられない。ただし3階のメンズフロアだけはやや雰囲気が違った。

 テナントからテナントへと洋服を見て回っていると、店員に声を掛けられた。そういった経験の少ない10代の私は、緊張から逃れるように1枚のジャケットを買い求めた。8千円ほどしただろうか。流されるままに購入した割には気に入って長いこと着ていたが、ある時カラオケボックスに置き忘れて以来、戻ってきていない。

 2016年、偶然にもそのセブンプラザ3階で、私は自身の2店舗目を開くことになった。そのころのセブンプラザは、顔である1階こそ何とか見栄えを保っていたものの、上のフロアは歯抜け状態だった。3階など商業施設とは思えない静けさが漂っている。そして、すでに閉館・転業の話が持ち上がっていた。

 それもあって比較的安く借りられたわけだ。私は中心街でランチ営業を試してみたかったので、人けのないフロアではあったものの、その隅に小さな店を用意した。

 それから9ヶ月後、聞かされていた予定を大幅に短縮して、セブンプラザは閉館した。マンションへと生まれ変わったのは2021年4月のことだ。

 生活に自家用車が不可欠な山形では、高齢者による交通事故が多い。また毎年冬になると、やはり高齢者が屋根の雪下ろし中の事故に見舞われる。徒歩圏内で買い物ができて、雪の処理をする必要がない「街中のマンション」は、それらの問題を解決してくれる存在になる。ただし歩いてすぐの大沼デパートは、竣工を待たずに閉店してしまった。買い物の拠り所をなくしたため、それからの入居者集めは苦労を要したと聞く。

 それでもなお、中心街にはマンションが増えていく。

 —商業の街というこだわりから抜け出さなければいけない。

 取材中に「街づくり」を担当する方から聞いた言葉だ。

 住みやすい環境を整え、住む場所を増やす。居住者が多くなれば自然と消費も生まれ、結果として商業も活気を帯びてくる。こういう考えだそうだ。

 デパートを失ったままの街が住むのに便利かは分からないが、住む人を増やすという方針はなるほどと思った。これはある意味で原点回帰なのではないだろうか。

 現代の商売人は、店と住まいとを別にしている場合が多い。仕事をするのは街でだが、稼いだ金を使うのは郊外で、といった生活パターンは珍しくないだろう。

 一方で昔の中心街には、自宅がそのまま店舗という世帯が多かったはずだ。分けている場合であっても、自家用車のない時代には自宅と店舗との距離は近い。

 つまりは店だけでなく居住者も抱えていたのだ。街で仕事をする人が、街で金を使う。かつてはこういった循環機能が備わっていたのではないだろうか。

 —こんなにマンションばかり建てて、住む人が居るのかね。

 そんなぼやきがよく聞こえてくる。正直なところ、私も似たことを考える。

 だが一方で、もしこの街が人口を増やしたらどうなるのだろうとも期待している。デパートが戻ってくるとは想像できないが、地方の中心街の新しい答えが、その変化の先にあるのではないだろうか。