英雄たちの経営力 第9回 田沼意次 その1
江戸という時代
いつの時代も為政者の役割は、世の静謐を保ち、万民が安心して暮らせる社会を作り、できれば豊かさを享受できるようにすることだ。それが実現できれば、たとえ為政者たちが贅沢な暮らしをしようと、賄賂をもらおうと、社会は安定し、百姓一揆や耕作放棄は起こらない。そのためには、為政者たちの経済政策が鍵を握るのは言うまでもない。
江戸幕府が長く続いた要因は様々あるが、最も大きいのが、時代ごとの経済政策が的を射ていたからだと言える。それゆえ、まずは江戸時代を経済という観点から概括してみよう。
徳川家康が初代将軍となって江戸幕府が発足した時、おおよそ二百五十万石の直轄領があった。そのほかにも全国各地の金銀鉱山を押さえ、さらに長崎での外国交易を独占するなど、幕府財政を潤す要素には事欠かなかった。それゆえ江戸城の御金蔵には、数えきれないほどの蔵が建つほど、莫大な金銀が蓄えられていた。
だがそれも、明暦(めいれき)三年( 一六五七) の明暦の大火によって一瞬にして溶けてしまった。しかも江戸城はもとより、五百軒の大名屋敷、七百七十軒の旗本屋敷、数えきれないほどの町屋が焼失し、その再建や防災都市化などで莫大な金銀が必要になった。
保科正之が中心となって行った再建事業で、幕府の財政は火の車となるが、五代将軍綱吉はそんなことお構いなしで奢侈(しゃし)な生活を好み、また護国寺や湯島の聖堂といった大寺院を造営し、わずかに残った金銀を蕩尽(とうじん)した。悪いことに、この頃から商品経済の発展によって米価を除く諸物価はうなぎ上りとなり、鉱山は鉱脈が枯渇し、貿易は金銀の流出を防ぐために縮小せざるを得なかったため、幕府の収入は減少の一途をたどる。
元禄時代になると、庶民は元禄バブルに沸いたものの、米価の低迷によって幕府の財政収支は赤字に転落し、黒字に転換する材料も全く見出せなくなった。
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作 伊東 潤
『黒南風の海 – 加藤清正』や、鎌倉時代初期を描いた『夜叉の都』、サスペンス小説『横浜1963』など幅広いジャンルで活躍
北条五代, 覇王の神殿, 琉球警察, 威風堂々 幕末佐賀風雲録 など。