デパート破産 第9回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~
大沼の閉じたシャッターが、再び持ち上がる。「感謝閉店セール」と銘打たれた催しが、2020年7月15日に始まった。9月末まで、ひと月半の復活だ。主催者であるコンサルティング会社が「状況次第では翌年夏頃に」と営業再開の可能性をちらつかせていたのもあってだろう。大通りの一角に静寂を抱えていた七日町は、にわかににぎわいを帯びた。
私も足を運んだ。出版について事前に関係者へ話を通しておきたいという本意と、何か資料が手に入るのではという下心を抱えている。だが実際にお客の群がる玄関を目の当たりにすると、自然と胸が躍った。これがデパートの力なのかもしれない。
中に入って、それが束の間の幻覚だったのだと分かった。第一に、食品を扱っていない。「設備老朽化の都合」とあらかじめ告知されてはいたものの、ガラス扉を抜けて地下売り場への階段を下りるという体験ができないのは、デパートが持つ魅力の大部分が欠けているように感じられた。
服飾品や食器類もひどい。大沼閉鎖前の在庫も並んでいるのだが、それ以外にもどこからか運び込まれた安売り用の品物が売り場を埋めて、格調を損ねていた。
――生ける屍だ。
直感的にそう思った。
大沼デパートの体を借りてはいるが、心臓は動いていない。翌年の蘇生はないと断言できるほどのうつろさ、さらに「閉店セール」の冠すら支えられない薄弱さを漂わせていた。
ただし救いもある。売り場のあちこちで繰り広げられる、お客と店員との再会だ。皆が顔にマスクを着けながら、それでも口元のほころびを透けさせるほど喜びを表し、時折、目尻を指で拭った。
私は破綻翌日の地下売り場で、解雇されたはずの従業員たちが私服で片付けに来ていた姿を見ている。当時の彼女らもまさに「生ける屍」で、力なく床に尻を落としていた。今回、長年の付き合いだったお客に別れを告げる機会を与えられたのは、コンサルティング会社の思惑がどこにあろうと、かけがえのないものだったのだろう。
約束の時間だ。立ち入りの許された4フロアを見回ってから、待ち合わせ場所である1階の階段へ向かった。
到着してしばらくすると、かつての幹部である男性がやって来た。あいさつを何往復かさせた後で、「事務所へ」と促される。彼の背中を追って歩きながら、多くの社員はすでに次の就職先へ移ったのだと聞いた。
セールの応援に駆け付けたのは、ほとんどが元パートタイマーだという。そして元幹部の何人かは、「翌年再開」の旗を揚げたコンサルティング会社に志を託し合流しているそうだ。当然、彼もその中の一人で、大沼復興への望みはひときわ大きい。私は、先ほどの予感を胸にしまった。
事務所はがらんとしている。応接室のソファに腰を下ろし、対面に座った彼に「大沼デパートの本を作りたい」と話した。
反対される可能性を考えていたが、意外にすんなりと賛同を得られた。どうやら彼も、前社長の幕引きには不満を持っていたらしい。その点で通じ合ったのだろう。「ほとんどはあの時に処分されてしまったのですが」
残念そうにこぼしながら彼は、テーブルに数枚の紙を広げた。内容で分ければ2種類。一方は江戸時代から破綻直前までの詳細な経営年表で、もう一方は大沼家の家系図だ。どちらもインターネット検索では手に入らない貴重な情報だった。「できれば、創業家である大沼家にも話を聞きたいのですが」
私の言葉はつまり、取材申込の間に入ってくれないかという依頼だった。関わりのない人間が突然訪ねるよりも、元経営幹部の顔を借りた方が成功率は高いはずだ。
それまでにこやかだった彼の表情が曇ったのは、その瞬間だった。