デパート破産 第5回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 大沼デパートが「外部からの出資と経営支援を受け入れる」と発表したのは、2017年の冬だった。それを皮切りとして、相次ぐ社長の交代、米沢支店の閉鎖、計画した改革の停滞など、大沼にまつわる報道は色調を険しくしていった。

 福袋を求めて開店前にどれだけのお客が列を作ったというニュースよりも、暗い話題の方が人の口に上りやすい。私が自分の料理店に立っていても、しばしば大沼に関するうわさが客席から聞こえてきた。

 私の店の客層は、私に近い年代が最も厚い。彼らもまた、かつて憧れの目を山形の中心街から仙台へ移し、やがてインターネットとの出合いによって交流の羽を自室から解き放つ経験をした人たちだろう。老舗の行く末を案じつつも、その口ぶりにはどこか画面の向こうで起こる悲劇を視聴しているかのような冷ややかさがあった。

 催事場での調理はその間も回を重ねてゆく。配膳や洗い物を手伝ってくれる大沼の従業員は相変わらずきびきびしていて、空腹で行列を成すお客たちに明るく対応していた。

「最近、ずいぶんと騒がれていますね」

 昼時のピークが過ぎたころに、催事の責任者へ質問を投げてみる。嫌みと捉えられてもおかしくないような、遠回しな聞き方だったと思う。人のことなど言えない。私もまた、取引相手の心配ではなく、他人の財布をのぞき見るのに似た好奇心に支配されていたのだ。

「上がいろいろ考えてくれているらしいので」

 彼は笑顔で答えた。

 何人か退職者も出たそうだが、彼自身は大沼を離れる選択肢を持っていないそうだ。役職者としての責任を感じていたのだろう。加えて、長年地元に根付いてきた百貨店が倒れはしないという楽観もあったのかもしれない。

 それは私も同じだった。だからこそ、大沼に垂れ込める暗雲をのんきに鑑賞できたのだ。

 2019年2月、山形市長が会見を開く。

「山形から百貨店の灯を消すな」

 そう題された呼び掛けは、市長自身も認める通り極めて特殊だった。市政のトップが一民間企業の名を挙げて、「皆で買い物をして支えよう」と扇動したのだ。

 世間は賛否にあふれる。だが会見後のSNSには「大沼へ久しぶりに行ってきました」や「思い出のデパートはなくなってほしくない」といった投稿が増えた。

 私の内心を正直に告白しよう。こんな運動は長続きしないとさげすんでいた。

 郊外の巨大ショッピングモールが人を集めるのはなぜか。アマゾンや楽天といった通信販売業が利用者を増やしていくのはなぜか。それらが「安くて豊富な品物を見比べたい」「探し物や外出をせずに目当ての商品を手に入れたい」など、現代人に備わる欲望を満たしてくれるからだ。デパートが顧客を減らした理由は、それを裏返しにすれば見つかる。

 私が催事場で調理をしている時も、訪れた人々の多くが食事を済ませてそのまま大沼を出たそうだ。大沼のある幹部も「もはやシャワー効果は存在しない」と言い切っていた。

 老舗の看板に集客や自社製品の販売を助けてもらったのは事実だ。だが距離を置いて観察してみれば、「デパートには買いたいものがない」という冷たい現実が屹立していた。

―大沼を買い支えよう。

 市長の訴えは、どこか非現実じみていた暗雲を鮮明にし、市民に大沼がなくなる未来を想像させた。それゆえ、真心をもってドアをくぐる人を増やしたのだろう。

 しかし私も商売人だ。「心掛け」や「優しさ」で動くお客はごく一部で、それが一瞬だと知っている。「ここじゃなきゃだめなんだ」と思わせるほどの魅力を感じられなければ、彼らもやがてそれを持つ他の場所へ流れていくのだ。

 事実そうなった。2020年1月、大沼が破綻する。