英雄たちの経営力 第6回 平清盛 その4

清盛の最期と鎌倉幕府

 治承三年( 一一七九) に起こした政変によって朝廷から権力の大半を奪った清盛は、名実共に独裁者となる。だが治承四年の以仁王の挙兵をきっかけに、各地の不平分子たちが一斉に反旗を翻した。

 また清盛が福原遷都を強行したため、朝廷や寺社も反平家色を明確にし始めた。さらに悪いことに、旱魃(かんばつ)による「養和(ようわ)の飢饉(ききん)」が発生することで流民が京都に流れ込み、世情不安定になる。

 そんな折、東国で源頼朝が挙兵する。いったんは討伐されかかった頼朝だったが、鎌倉に本拠を定めて東国の武士たちを糾合(きゅうごう)し、侮れない勢力になっていった。その討伐に差し向けた平家軍は富士川の戦いで敗北し、平家政権そのものが揺らぎ始める。

 清盛は新たに討伐軍を編制しようとするが、そこに入った一報は、「遠江(とおとうみ)国以東の十五国は、すべて頼朝に与した」という衝撃的な情報だった。

 尻に火がついてきた清盛も、遂に福原から京都への「還都(かんと)」に合意する。清盛が福原に託した夢は、わずか百七十日で潰えたことになる。こうした平家の迷走を見た木曽義仲や源頼朝は、上洛の気配を示し始める。

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伊東 潤