デパート破産 第3回 ~山形県からとうとうデパートの灯が消えた~

 間もなく成人というころ、友人と2人で大沼デパートへ出掛けていったことがある。背広をこしらえようと意気込んでいたわけではない。私たちの目当ては催事場の「北海道物産展」だった。

 友人がどこからかチラシをもらってきたのだったと思う。普段は視界の外にあるデパートにも、この時ばかりは注意を奪われた。インターネットとの接触によって、他の土地への憧れを膨らませていた私だから、向こうからやって来てくれるのはまたとない機会だったわけだ。「終わる時間のちょっと前に行こう」

 友人の提案だった。催しはちょうど最終日だ。売れ残って捨てるくらいならと、いろいろなものが安くなっているだろうと踏んだらしい。私もその考えに同意した。

 久しぶりに入った建物は、何だか薄暗いなという印象だった。いや、1階では化粧品たちが天井からの明かりを反射させて迎えてくれたし、エスカレーターからのぞき見る従業員の姿にも品がある。感じた薄暗さは照明というよりも、私を取り囲む空気が原因だったのかもしれない。

――私のための場所ではない。

 何がどのようにと説明はできないが、泊まりに行ったおばあちゃんの家で、仏間に布団を敷かれたような、緊張と寂しさとを誘う雰囲気が漂っていた。

 友人のもくろみは当たっていた。片付けを始めている店もちらほらとあったものの、やはり少しでも商品を減らして帰ろうと、ほとんどの店が威勢よく掛け声を飛ばしている。つまり値引きの提案だった。

 私たちは欲に従い、比較的高額な、それでいて調理が不要な海鮮丼弁当の前に立った。すかさず売り場の責任者らしき人物から価格が提示される。元からほぼ半値の千円だった。

 チラシに載っていた写真と比べればやや見栄えが劣っているが、それでもカニやホタテ、イクラによって成される色彩は、北海道の魅力を凝縮したような風格をまとっていた。

 友人はアルバイトをしながらアパートで一人暮らしをしていたので、格安とはいえ千円という価格にためらいを感じていたようだ。だが、ずっと年上の大人からの交渉を拒みづらいという気まずさと、「せっかく来たのだし」という思い切りとに促されたのだろう。結局、私たちは2人で同じものを手に取り、財布を開くこととなった。

 他の階に寄り道はせずに、弁当を抱え、止めてある自転車へ向かった。それぞれの籠に北海の恵みを乗せ、友人のアパートを目指してペダルを回す。もちろん、海鮮たちにできるだけ振動を与えないようにと慎重さも忘れなかった。

 アパートの扉を開くと、すぐに狭い台所が見える。捨てられる日を待つ膨らんだごみ袋が床に尻を付けていた。冷蔵庫が両肩をすぼめて隙間に収まっている。デパートから訪ねてきた半額弁当は、その住まいにとって明らかな華やぎだった。

 弁当を2つ並べればコップの置き場に困るほど、居間のテーブルは小さい。私たちは丁寧にふたを開け、互いに箸を伸ばす先をちらちらと観察し合いながら、いよいよ一口目に取り掛かった。

 私だけが感じていたのだろうか。途端に部屋の空気が張り詰める。
「おいしいね」

 手短な感想への相づちをそれぞれ済ませて、私たちは雑談に時間を費やすことにした。その内容に大沼デパートは含まれていない。触れた瞬間から、さっきの千円をひどく惜しむことになると感じたからだ。

 テーブルの下に「北海道物産展」のチラシが落ちている。それから何度も同じ企画を目にしたが、二度と胸が高鳴りはしなかった。