渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第35回 長野編その6 )

 朝、目が覚めた瞬間から、耳に入ってくる音の種類が変わっていた。換気扇に比べてやや高い、継続的なノイズが部屋を包んでいる。カーテンを開けると、窓の下では色とりどりの傘がさまざまな方向へ動いていた。

 出発までにやむだろうかと考えつつ着替えるが、テレビに映る天気予報にその期待は諦めさせられた。コンビニでビニール傘を調達しようかと考える。しかしホテルとバスターミナルとは目と鼻の先だ。せっかくだから『アイシティ21』で折り畳み傘を探してみようか。

 シャツの肩口を少しだけぬらして、9時40分発のバスに乗り込んだ。席に座っているのは私の他に4人、おそらく50代から70代までが、車体のバランスを取るかのようにばらけている。皆、女性だ。

 バスは天気予報の正しさを証明しながら、駅を背に走りだす。街に個人経営のこぢんまりした本屋がいくつか残っているのが、文化資本の豊かさを感じさせた。

 やがて車窓の外の景色は店をなくし、家をなくし、田畑や草むら、工場を並べてゆく。「臨空工業団地」のバス停を通り過ぎて、10時12分に「アイシティ21」停留所に到着した。悪天のせいか、予定より6分遅れだ。出発からここまで、途中で新しい乗客を拾うことなく、また、私を含めた5人全員がここでバスを降りた。

 「アイシティ21外観」

  ——今後は、同社が山形村で経営する大型商業施設「アイシティ21」の百貨店棟に統合し、経営資源を集中させる。
(『朝日新聞』2025年4月1日)

 郊外ショッピングセンターならではのだだっ広い無料駐車場は、開店時間からさほど経っていないからか、その面積のおよそ5分の1だけに車を置いていた。正面玄関の前に青い軽自動車が止まり、腰の曲がった老婦人だけを降ろして去ってゆく。婦人の頼りない足取りを見守りつつ、私はドアを抜けた。

 朝日新聞の「大型商業施設」という表現は、半ば機械的に割り当てられたものだろう。だがそれを確かにと納得させるだけの広大さが、建物内に足を踏み入れた瞬間から感じられた。「がらんとしている」と置き換えても、私の訪ねたタイミングに関しては間違いではないだろう。

 1階中央の幅広い通路を利用して「北海道物産展」が催されている。やはり長野でも人気の企画らしい。そのエリアには高齢層を中心に20人ほどが集まっていた。

 生鮮食品の売り場をのぞくと、肉の対面販売、高級路線のパック寿司など、百貨店の雰囲気も漂っていた。ただ少し視線を横にずらせば、「さぼてん」「銀だこ」などイオンモールでもよく見かけるチェーン店が並んでいる。ふと前を横切った若い男女が、マクドナルドの看板へ向かって歩いていった。

 「アイシティ21館内」

 施設内には映画館やカルチャーセンターもあった。幅広い年代に向けて、あらゆる接点を持とうとしているのがわかる。だが何か脈動めいたものを感じない。コピー&ペーストで仕上げた絵のように、不自然な境界にばかり目が行った。

 店内をまんべんなく歩いてから時間を見る。取材の日程からすると、早いうちにイオンモール松本ものぞいてみるべきだろう。次のバスに間に合うよう、玄関へ向かった。

「井上百貨店が閉店してから、やはりこちらへ来られる方は増えているんですか」
 ドアのそばで売り物の服を整えている女性に声を掛けた。

「ええ。ご高齢のお客様はバスに乗って来られるようで」
 私もバスで来ましたと言い残して、駅前へ向かうバスに乗り込む。やはり30分ほどで元のバスターミナルに到着した。

「バスであちらへお買い物に出られる方が増えたそうですね」
 運賃箱に小銭を入れながら、運転手に話し掛ける。

「いえ、そんなことはありませんよ」
 短い相槌を打ちながら私は、傘を買い忘れているのに気が付いた。

 (続く)