デパート新聞 第2674号 – 令和3年11月01日

9月東京は0.7%増

 日本百貨店協会は、令和3年9月東京地区百貨店(調査対象12社、24店)の売上高概況を発表した。売上高総額は936億円余で、前年同月比0・7%増(店舗数調整後/2か月ぶりプラス)だった。店頭・非店頭の増減は、店頭1.5%増(89.4%)、非店頭マイナス5.5%(10.6%)となった 

百貨店データ

  • 3社商況9月
  • 9月店別売上前年比(%)
  • 都内各店令和3年8月商品別売上高
  • 関東各店令和3年8月商品別売上高

明日を目指す百貨店探訪 第4回 水戸京成百貨店

新潟伊勢丹 牧野伸喜社長

「まずは、新潟三越伊勢丹の現状、今後の方向性について」

『「わくわく・楽しく・こころ豊かに」の実現に向けて』

「①の新潟伊勢丹の磨き上げとは具体的にどういう取組みか」

「エスカレーター周辺に新しい試みがみえますが」

「②の新潟県内にあるサテライト店はどういう戦略か」

「③の基幹店からの取り寄せの取組みとは」

「新潟の顧客特性について」

「外商について今後の方向性は」

「新潟県や新潟市、地域にとっての新潟三越伊勢丹としての役割とは」

「NIIGATA越品について」

「三越伊勢丹グループの強みとは」

「中期計画にある「高感度上質戦略」「個客とのつながり戦略」とはどういうものか」

「新潟三越伊勢丹のイチオシを教えてください」

続きは ㈱新潟三越伊勢丹 牧野伸喜社長 直撃インタビュー – 明日を目指す百貨店探訪 第5回 を御覧ください。

地方百貨店の時代 その26 – 産学共同

デパート新聞社 社主
田中 潤

デパートと大学との結びつき

 百貨店が所在する地方都市やその周辺には、概ね大学が存在していると思われる。デパートにとって大学生の参加を積極的に取り入れていくことは、新しいアイデアを得ることができるとともに、地域との絆を強くするという視点からも非常に期待できるプロジェクトである。

 オーソドックスな方法として、産学協同で新商品を作り上げることが挙げられる。学生の立場からすると、自分たちの考えたことが具体的な形の成果につながり、やりがいがあるからだ。

 商品を作っていく過程では百貨店の社員と学生たちの間で活発なコミュニケーションが行なわれ、試作品や商品販売計画がまとめられていく。そして、ある時点で、「学生プロデュースの新商品の提案」という形でデパートを舞台にプレゼンテーションを行う。その際は地域の方々を審査員として招待し、商品完成へのプロセスを共有してもらう。多くの人々が商品化に携わることで、最終的に完成した商品が店頭に並ぶ際には地域にも一つのストーリーが広く周知され、関心が高まるのである。こうした企画が繰り返されることで、デパートは地域のランドマークとしての役割を自然に担うことになる。

 また、例えば学生たちにデパートの販売現場を継続的に観察してもらい良い点・悪い点をレポート報告してもらうことも面白い。観察の過程では学生たちが利用客へのインタビューを行ない、デパートや売場に対する評価を客観的に取材してもらう。デパートの社員が直接係わらないところで改善点をあぶり出していくという意味では、ありきたりのアンケートなどより余程的確な意見を得ることが出来るだろう。

地域に根ざした店づくり

 デパートが地域に門戸を積極的に開いているという姿を見せることは、将来に向けた地域戦略を行うにあたり、確かな潤滑油になるだろう。

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 コロナウィルスの感染者の数が急減して来ても多くの人々の気持ちは一向に沈んだままの秋である。10月としては記録的な寒波の訪れで、心悲しさとともに、冬に向かってのコロナの再拡大を予感してしまうからであろうか。

 営業制限の解除された飲食店の夜の来店客の数も改善されておらず、多くの企業は忘年会の開催を中止する様相である。 感染への恐怖は個人差があるが、目に見えた安全対策が確立されるまでは、人の動きがコロナ前に近づくことはなさそうである。政府がすべての対策に先んじてまず取り組むべきは、このことではなかろうか。少なくとも、この2年弱国民が真に納得するような施策がなされた記憶はない。

無駄の物語 part21 – 一枚起請文と無駄の哲学

犬懸坂祇園
作詞、作曲などをしております

武士は食わねど高楊枝

 合理的に考えるという観点からは、人は自分にとって益があることは行い、益がなければ行動を起こさないということになるのだが、「無駄なことをする」ことを別の角度の概念として捉えてみたい。「合理的なことをしない」ということも無駄の体現の一つである、という見方である。 

 「武士は食わねど高楊枝」という有名な言葉がある。高楊枝は、食後の満腹の有様を示した一つの象徴である。食べる物もなく、ひもじくとも、しっかり食べたかのように装うということであり武士の衿持を示している。むろん、ただのやせ我慢に過ぎないのであるが、武士の生き方・美徳を強烈に印象づける言葉として今も生きている。

無駄なことを積み重ねる美学

 この言葉は、まったく合理性のないことを生真面目にしているというところにこそ真骨頂がある。こうした行為には滑稽ぶりも感じられるが、そこに人間味ある生き方として共感させられる魅力もある。そうした姿を見た人の心の中には、一生懸命無駄なことをしている武士の残像と、誰かのために自我を殺しているその無私の姿勢が強烈に染み込んでくるからである。

 「私はいいから、食べなさい。」といえば、相手は、自分のために気を遣っていると感じ、遠慮をしてしまう。「自分は食べなくてもいい」のではなく、積極的に「食べたくない」と振る舞うことで相手に気兼ねをさせないようにするのである。こうした武士の生き方には、今の言葉で言うホスピタリティが心の内に用意されていたようである。そもそも武士とは、無駄なことを積み重ねていくことこそを美学としてきたのではないだろうか。

 江戸時代の昔から、無駄なことを真剣に行ってきた日本人の魂に、強い衝撃を感じずにはいられない。

連載:デパートのルネッサンはどこにある – コロナ禍の1年を振り返り、これからのデパートを考える

真のルネッサンスには「変革」が不可欠

 日本におけるコロナ禍は、10月の声を聞き、急激に収束している。

 この1年半の間、日本の経済と国民の生活を翻弄し続けて来たコロナが、である。我々が常にその数字を( ほぼ毎日)気にし続けていた「新規感染者数」というコロナ感染のバロメーターが、急に下ったのだ。

 ニュースでは、ほぼ1年ぶりの水準、と言っている。一般市民にとっては、予想できないレベルであり、「いわゆる専門家」達も、誰もちゃんとした説明が出来ないらしい。

 もちろん、ワクチン接種率が一定水準を超えたから、という模範解答はあるものの、あれだけ政府も地方自治体も、加えて報道機関も連呼していた「人流」は抑えられたのか?みな半信半疑なのだ。

 今になって、本来ウイルス感染には季節性があって、1年前の年末年始同様に、今度は第6波が到来する、と警告する「識者」もいる。それが理由なのか、それとも「疑り深い」国民性なのか、「コロナは一旦収束したから、先ずは良かった」という意見はあまり聞こえて来ない。半信半疑どころか1億総「疑心暗鬼」状態だ。持前の同調圧力と横並び発想に支えられて、「恐る恐る」以前の日常を思い返し始めている最中だ。日本全体が、心のリハビリ状態なのかもしれない。

続きは デパートのルネッサンスはどこにある? 2021年11月01日号 を御覧ください。

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