情報とデパートその7 情報が及ぼす自由と不自由

 新自由主義や株主資本主義といった最もらしい概念を掲げて、数十年に亘り世界経済は市場の意思を中心にして展開され、国家は主体的な立場をとることなく進んで来ました。その結果、多くの国で所得格差が生まれて巨額の利益を手にした企業は、自己の都合で個人の生活にまで関与するようになり、また多くの環境破壊をしてしまいました。

 こうした過程で、人間にとって自由というものが何なのかがわからなくなりました。一部の社会的強者が、自分のしたいことをするという自由に歯止めが出来なくなっていく一方で、大多数の弱者は日常的に不自由を得ることになりました。

 そもそも経済の世界では、二者間の取引でこうした不公平は、起きやすいのですが、新自由主義ではまさにその様相が色濃くなっています。本来、自由とは他者のことを思いやってこそ行使出来る権利です。この鉄則を破ることが当たり前になって来た大きな要因こそ、情報の持つ魔力なのです。改めて問いますが、人は誰でも公平なこと、正義を貫くことに異論はないはずです。

 仮に少数派の人たちが、自己の利益を優先してこの鉄則を破ったとしても、正しい情報が人々に届けば、その行為は叫弾されるはずです。ところが、今の情報の発信の形は無数あり、悪意をもって件の少数派が自らの行為を糊塗して伝えれば、多くの人々はその誤った情報を普通に受け入れ、情報操作があったものでも信じてしまうことになります。そして、結果的に情報を信じた人は、ある時は善意の誰かを攻撃し、またある時は自分に不利益になるように誘導させられているのです。既に政治の世界でのこうしたやりとりを、毎日のように私たちは目にしています。

 経済の世界では、私たちの日常の生活にかかわる仕事(いわゆるエッセンシャル産業)や医療・介護に従事する人々の待遇、つまり、給与や勤務時間が、金融、保険、不動産業などの人たちに比べ極めて劣悪なのは、多くの人にとって十二分に認識されています。それにもかかわらず、一向に改善されないのは、新自由主義により経済の世界に行政、つまり国家が介入出来ないことが大きな原因です。歴史的に振り返れば、国家が強大になりすぎた全体主義の悪夢へのコンプレックスがあるからかも知れません。20年ほど前に郵政民営化が政治問題の大きな焦点となったことがありました。当時の首相は民間に任せれば何でも上手くいくと盲信していたのでしょうが、さて民営化した結果、確かに日本郵政という会社は効率化が進み、多額の利益を上げるようになったのかもしれませんが、郵便局の今のサービスに満足している人は、ほとんどいません。古くは国鉄もしかりです。徹底した情報戦略で、多くの人々の意識を巧みに自分たちに有利になるように変え、巨大な利益を国民から搾取するという営みが日々行なわれています。

 一つのうねりともなる情報の恐ろしさは、今の新自由主義が続く限りますます強くなっていくのではないでしょうか。