渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第31回 長野編その2)

 それが当然なのだろう。閉店から2カ月を経た井上百貨店は、にぎわいの余韻すらまとわずに、巨大な置物と化していた。

 思い出を持つ松本市民ならば、閉じたシャッターにも温かい回想を映すことができるに違いない。だが初めて訪れた私にとっては、ひたすら無機質な構造物だ。それくらい、往時の名残を消し去っている。屋上看板を見上げる私の横を、何人かが素通りしていった。


 道を挟み向かい側で、縮小店舗が営業していた。「井上サテライトプラス」、井上百貨店閉店の翌月にオープンしたらしい。

 正面玄関から入ると、デパートを移植した雰囲気の婦人服売り場に迎えられる。面積こそ小さいが、かつての井上が再現されているのかもしれない。さらに女性向けのアクセサリーと、奥には紳士服売り場がある。

 それぞれに店員が居て、売り場に近づくと品のいいあいさつをしてくれた。店内にお客は私だけのようだ。

「ここは、井上百貨店が閉店してからオープンしたんですか」

 再び私は、堂に入った芝居で会話のきっかけを作る。4月12日にオープンしたと調べた上でドアを開けたことは、これまでの取材の経験で簡単に忘れられるようになったのだ。

「はい、4月からです」
 相手は20代の女性店員だ。

 聞くと、以前はしばらく空いていた所らしい。
近くに住む、主に高齢顧客の需要に応えているそうだ。高齢顧客以外はと質問すると、予想通り「イオン」と返ってきた。井上に勤める彼女が言うのだから、揺るぎない現実なのだろう。

「わたしのおばあちゃんは、お中元が井上百貨店の包装紙だと喜びました」

 サテライト店にギフト売り場はないが、カタログで注文を受け付けているらしい。

「パルコがあるのも、松本の人間にとっては自慢だったんですけどね」

 そんな話を聞いていると、腰を曲げた白髪の婦人が、娘であろう女性に介助されながら入店してきた。

 店を出て地図を確認し、松本パルコ跡へ向かった。10分も歩けば、その姿が見えてくる。さすがファッションビルだけあって、有機的に曲線を使った建物は、鼓動を失っても存在感を残していた。

 ちょうど高校生らしき数人が、わいわいとそばを歩いている。

「ここは、閉店しちゃったの?」
一瞬で、何も知らない人間になり切る。

 彼らは朗らかな声で、それでいて残念そうな表情で答えてくれた。パルコへはよく服を買いに来ていたそうだ。一方、井上へは親に連れられて数回、といった記憶だという。パルコの閉店後はイオンが代わりだそうだが、彼らの口ぶりから察するに、愛着はこちらにあるらしい。

「あと、コイ」
 一人の男の子がそう発すると、他の子たちが示し合わせたかのように笑った。

 私は何のことか分からず、彼の言葉を復唱する。
彼が人さし指を向けた方へ視線をやると、パルコの建物に接して池があった。

「コイって、鯉のこと?」

 確かに、静かな水面の下で赤い鯉が泳いでいる。彼らはいつも学校帰りに、この鯉を見ていたそうだ。

「これからどうなるの?」
 私の質問に、彼らは首をかしげた。

 礼を言って彼らの背中を見送る。ポケットからスマートフォンを取り出して、松本パルコの跡地を利用すると報道されている会社に電話をかけてみた。

 担当者へ取り次いでもらう。

「我々が飼育を引き継ぐことになっています」
 明るい声でそう返ってきた。

閉店したパルコの池を泳ぐ鯉

 彼らに教えてやりたいが、すでに姿はない。約束が守られるよう祈るのが、私にできるせいぜいのことだった。
(続く)