デパートのルネッサンスはどこにある? 2025年4月15日号-第113回パルコが消え、百貨店も消えた「松本」(後編)

 前号に続き、2月末にパルコが閉店し、3月末に井上百貨店が閉店した松本の街についてお伝えしたい。
 生き残ったのはまたもやイオンだった。但し・・

進化の覇者

 前号で「井上もパルコも7年間良く持った」と言ったばかりで恐縮だが、松本市中心街の集客力が「急激に低下した」というのは正しくない。イオンモール松本が最終的に「生き残った」のは事実だが、オープンから絶好調であったわけではなかった。

 松本はご存じの様に「国宝・松本城」という観光資源に恵まれてはいるものの、都心の様なインバウンド特需の恩恵は受けていないからだ。観光客が新宿や銀座で買えるものを、わざわざ井上百貨店で購買する訳もないからだ。そうであれば井上は存続していたはずだ。
 それでも、この業界の定説通り、大は小を兼ねる。井上とパルコはじわじわと売上を削られ、イオンは少しずつ数字を積み上げていった。

 進化論では生き残った者が勝者である。それならば、間違いなく勝者はイオンであろう。

 イオンモール松本には、既にアニメイトとムラサキスポーツが、パルコから移転し、早々に営業を再開している。 

松本から新宿

 3月15日号の本コラムを「新宿と松本」という小見出しで結んでいるが、これも何かの縁かもしれない。

 書き出しはこうだ。「2月28日に新宿アルタと松本パルコが閉店した。特急あずさで2時間37分の距離だ。」

 実はこのJR中央線の特急に乗ると6,620円かかるが、所要時間は出発便によって異なり、最速で2時間29分だった。

 なぜこんな話を始めたかと言うと、松本の街中での取材インタビューでこんなやり取りを聞いたからだ。

「私たちの若い頃は、ちょっと良いものとか、おしゃれなものっていうと井上やパルコだったけれど、うちの娘なんかは、ちょっと何か欲しいい物があるっていうと、直接、新宿や渋谷に行きます。」という年配女性のコメントだ。

もう一つの競合

 松本駅から新宿バスタまでは、高速バスで3時間23分、運賃は通常4,500円。日中はほぼ30分に1本運行されている。今は、そうした交通網の発達により、どうせ買うなら品揃えが豊富な、新宿ルミネや伊勢丹に行って買う、と言うのだ。 これは若者に限った話ではない。そもそも井上やパルコだって、カフェやデパ地下は別にして、毎日、毎週買い物に行くところではなかった。

 であれば、普段は松本イオンに行き、2~3か月に1回程度新宿に買い物に行けば問題ない、という結論になる。

 富裕層にとって、往復13000円はけして高額ではない。そして、節約したい若者はバス代9000円で1日楽しめれば「新宿行き」はタイパはともかくコスパの良いレジャーなのだ。

 そう、井上とパルコの敵(閉店理由)はイオンだけではなかったのだ。アマゾン等のネット通販の隆盛は言うまでもないが、これはイオンにもパルコにも、そして新宿にも松本にも、ある意味平等なコンペティターだ。

 前号では、地方都市松本における井上とパルコのダブル閉店を、時代を遡り、そしてどちらかと言えば「俯瞰(ふかん)」して見て来た。今号ではもう少し閉店当日の内情にフォーカスしてみたいと思う。

パルコ閉店をメディアはどう伝えているのか?

●NBS長野放送2月24日の放送
 「涙しちゃった」別れ惜しむスタッフ、客 「松本パルコ」感謝の思いを胸に40年の歴史に幕というキャプションで閉店前最後の土曜日となる2月22日の店内にテレビカメラが入り、来店客に話を聞いた。

 1984年のオープニングの映像に続き1階のテナント「トミーヒルフィガー」の店長へのインタビュー。その中で毎年8月に開催される「松本ぼんぼん祭り」に22年ぶりにパルコとして参加した事や、お得意様との「やり取り」を伝えている。※11分44秒

●同局2月28日の放送
 「青春時代が」「ついにこの時が」松本パルコが40年の歴史に幕 開店前は3 0 0 人列 多くのファンが感謝と惜別

というキャプションとともに、最終日に密着。
 開店前客列や、先着プレゼント、店内での来店客の様子、そしてパルコ店長のインタビューなどを紹介した。開店当初は「最新のファッションや文化の発信拠点として若者たちに支持される」とも。※4分47秒

●NHK2月28日の放送
 昼、夕方、夜と最終日の1日を密着取材した。

11時 :長野 松本パルコ28日閉店 午前10時の開店待つ人たちが列
NBS同様、開店前の行列客やテナントスタッフへのインタビューを実施。松本パルコの斎藤店長の「思い」を伝えている。※2分18秒

メッセージボード

18時: 長野 松本パルコ最後の営業日 長年通った人など買い物楽しむ
 閉店メッセージをつづった外壁の横断幕や、6階で正午からスタートしたフェアウェルパーティや、4階に設置したメッセージボードなどを紹介した。※6分49秒

22時: 長野「松本パルコ」が閉店
 店内でのインタビューに続き、午後8時の閉店セレモニーの様子を伝えた。
放送の最後は「閉店後の松本パルコをめぐっては、建物を新たな複合商業施設として活用する案の実現に向けた関係者の協議が続いていて、今後、市中心部の活性化をどのように図っていくかが課題になります。」と締めくくっている。※4分13秒。 

 2月中の番組を列挙したが、地元局含めた民放各社もNHKも、翌日以降(3月)も様々な角度から「松本パルコ閉店」を取り上げていた。そして3月末から4月にかけては、井上の特集が組まれた。

井上百貨店は? 

井上百貨店 エントランス

 3月31日に閉店した井上百貨店の来店客の大半は70代の「常連さん」であり「最後のお別れ」という来店動機がほとんどだ。マイクを向けられた客たちは当然「寂しい」「残念だ」とコメントする。きつく聞こえたら申し訳ないが、全国で閉店が相次ぐ地方デパートでは、どこでも見られる光景だ。

 井上は、閉店後の18 時45分から店頭で閉店セレモニーを行った。
バイオリンの調べに乗って、厳おごそかな雰囲気の中でセレモニーは粛々と進行した、とは言い難い。不謹慎を承知で申し上げると、段取りがスムーズではなかった。セレモニーの最中に、スタッフが走り回っているのも散見された。当然のことだが、井上百貨店はパルコの様に「閉店慣れ」していないからだと思う。

 セレモニーを見物に来た顧客は、店長の挨拶と、シャッターの降りる瞬間を見に来ているのであり、そういう意味では正味30分間のセレモニーは、少々間延びしてしまった様に感じた。もちろん、バイオリンを演奏した「スズキ・メソード」の方々に何の落ち度もないことは申し添えておきたい。

 そして、井上百貨店のこの愚直なまでの真面目さは、長野、松本の人々の県民性では、とも感じた。あくまで私見だが。この辺りの県民気質の分析は、本紙4面に本コラムとともに連載している、渡辺大輔先生の「デパート放浪記」の松本編をお待ちいただきたいと思う。

閉店慣れ?

 因みに、パルコの閉店については、
2016年千葉
2017年大津
2019年宇都宮
2020年熊本
2023年津田沼
2024年新所沢
2025年松本
と、この10年間は毎年の様に店舗をクローズさせてきたので、それは閉店セレモニーも自然に上達するはずだ。いや、自虐でもブラックジョークでもなんでもなくそう思う。

パルコ店内は

 私事で恐縮だが、筆者はこの松本パルコの閉店の日が、会社人生最後の日と重なった。40年以上勤めていた、株式会社パルコを2月末で退職したのだ。
 最終日の業務として、上層階、具体的には3、4、5階の店内巡回を担当し、店内案内や、エスカレーター周辺の客列誘導を行った。

 お客様の大半は40代以上の年配の顧客であり、高齢者がほとんどの井上百貨店よりは、少し若い印象だ。井上と異なるところは、10代20代の若者も予想以上に多いことだ。彼らは年配客と違い、閉店を惜しんだり、自らの青春時代を懐かしむために来たのではない。

 誤解を恐れず言えば、彼ら彼女らの来店動機は、「何か面白ことないかな」という期待感なのだ。館内イベントである、松本市出身のアオイヤマダのダンスパフォーマンスを見に来たのかもしれない。

共同幻想

 そうなのだ、明快な目的はなくても、とりあえず行ってみよう、パルコには何か(楽しいことが)あるかもしれない、で良いのだ。こうした経験が、往年の若者たちにはあったはずなのだ。もしかしたらそれは、施設と顧客の間の共同幻想なのかもしれないが。

 結局、その期待感やワクワク感がパルコになくなり、徐々に顧客の足が遠のいてしまったのだが。

 それでも、最後の日に来店するOBやOGたちの目は輝いていた。それは懐かしさではない、と筆者は感じた。10代20代の現役の若者たちの目も同じだったからだ。3月になれば、彼ら彼女たちは、イオンで待ち合わせるのだろう。

 縁起でもない、と叱られるかもしれないが、筆者はイオンモール松本閉店日の彼ら、彼女らの目をみてみたい。懐かしさだけでない、何かワクワクするような期待感が、そこにあるかどうかを。

 30年は到底待てないので、20年後くらいで何とかお願いできないだろうか。失礼極まる、勝手なお願いで恐縮だが。

 今回のコラム後編は、筆者の体感を踏まえ一歩踏み込んだつもりだ。いささか唐突だが、今回の取材で一番感じたのは「松本城の美しさ」だった。「松本の魅力は?」というアンケートがあれば、10人中9人はそう答えるだろう。

 デパートや商業施設に、その代替が務まるとは思わないが、40年間街の活性化に尽くした井上とパルコ両店に「お疲れ様」と声をかけたい。

謝辞

M 氏撮影松本パルコ (前号4月1日号より抜粋)

  松本パルコの閉店報道は、筆者のかつての同僚であるH氏に教えて貰った。この場を借りてお礼を言いたい。

 もう一つ、前号4面左上の松本パルコの写真は、筆者の同期のM氏の撮影だ。さすが一級建築士が撮ると構図が違う。