横浜老舗フランス料理&洋菓子の「かをり」 その歴史物語-(第4回)

かをり商事(株)代表取締役社長 板倉敬子氏

板倉敬子氏3代目社長に就任 横浜を代表する洋菓子店に成長

 これまで長く「かをり」を支えてきた初代社長の板倉富治氏が昭和57年(1982年)に他界し、夫人のタケさんが二代目社長を継承した。その頃には、洋菓子部門がレストランの売り上げを追い抜き、「かをり」のビジネスを支える屋台骨になっていた。

 タケさんは、娘の敬子氏を後継に指名し、昭和63年(1988年)に板倉敬子氏が三代目社長に就任し、「かをり」は現在の洋菓子経営に大きくかじを切っていった。「そもそも当社は母のタケが創業し本店購入も母のビジネス視察がきっかけでした。つまり母の行動力を父と祖父がサポートする形で成長してきたわけです。私自身、主婦からこの世界に飛び込んで、母親という立場でビジネスに邁進してきました。まさに女性パワーですね。社員に女性パワーを発揮してもらって手作り洋菓子をお客様にお届けしたいと思います。」
(板倉社長)

桜ゼリーを考案

 平成3年(1991年)、板倉社長は、自ら八重桜を密漬けにしたものを白ワインゼリーの中に入れた「桜ゼリー」を考案した。

 桜は慶事に欠かせないもので、昔から結納とかお見合いとか結婚式には、八重桜を塩漬けにしたものを湯のみに入れて、お湯を注いでいただく習慣が日本にあった。桜ゼリーは、その塩気を抜いてハチミツに漬けたものを使い、1枚ずつ花が開き、しゃりっとした歯触りで桜特有の香りが残る。

 さわやかな甘みと白ワインの酸味が、極上の清涼感で、洋菓子を通じて日本の心や食文化を世界に伝えてきた「かをり」ならではのゼリーである。

 板倉社長の自信作で、「桜というのは、日本人の心のふるさとであると思います。それで八重桜を中央に入れまして、桜の香りがほのかに匂うようなテーマで、淡い桜色で雅やかな感じを出して作ったのでございます。すると若い方からご年配の方にまでとても人気を得ました。」

 実際、食欲がないというお年寄りやご病人にも向くやさしい味のお菓子として大変人気がある。

その他の洋菓子を創作

 板倉社長は、その他の洋菓子も次々と創作し、どれも横浜の人気商品に育てた。その一例をあげよう。

かをりサブレ

 平成元年(1989年)地元で開催された横浜博覧会(YES‘89)を記念して、板倉社長が自らプロデュースし試行錯誤の末、横浜博覧会のために作った。バターたっぷりでアーモンド風味の舵型、チョコレート風味が豊かな「かをり」マーク型、コクのある味わいがうれしいクルミ入りの船型の全3種で上質な材料を使った自信作である。

ヴィーナスの誕生「宝石ゼリー」

 平成6年(1994年)板倉社長が那智大社に参拝し、日本一高い御神瀧に詣でた際に、雲間から突如陽光がさし、大きな虹が瀧にかかった。虹は夢のかけ橋。その美しさに魅せられて創った。

 天然果汁を使った7種類のペクチンゼリーを小箱に詰めた「宝石ゼリー」である。

マロングラッセ

 本場のヨーロッパでも品質の良いイタリア産の栗だけを使ったワンランク上の上品で豪華な洋菓子。栗の中心部までシロップをしみこませて、栗本来の風味を生かしたバニラ風味の最も贅沢なお菓子。栗の柔らかさと香りにこだわって、シロップから取り出した、しっとり感のあるものを一粒一粒真空パックして、豊かな風味と上品な味を閉じ込めてある。

ブランデーケーキ

 ハイクラスのブランデーの中でも最上級のコニャックを贅沢に使い、心をこめて焼き上げ、ほのかに香るブランデーが豊かな時間を演出してくれる。

国際的イベントに登場

 あくまでも素材にこだわり、心をこめて作る「かをり」の洋菓子は、数々の大きな国際的イベントでも日本を代表する洋菓子として取り上げられるようになった。

 平成7年(1995年)8月、スイスのジュネーブに本部を置く国際大学婦人連盟(IFUW)第25回国際会議が、21年振りに日本で開催された。会場は横浜のみなとみらい地区にある横浜パシフィコだった。

 隣接するインターコンチネンタル横浜ホテルが食事会場となり、同ホテルの中川料理長の協力を得て、ケータリングされた「かをり」の料理が世界中から集まった1000名を超える参加者にふるまわれた。

 板倉社長によると、前年に国際大学婦人連盟の会長が来日し、「かをり」で6~7名の幹部たちと会食打ち合わせした時にデザートの「桜ゼリー」が美味しくて気に入ったことが、その場で翌年の開催地が横浜に決まった大きな理由の一つになったそうである。当時の横浜市長は、大規模な国際会議を横浜に招致できたことに大喜びしたそうである。

ホワイトハウスから礼状

ヒラリークリントン大統領夫人からの礼状

 桜ゼリーは、常温で日持ちすることや、「かをり」の店名由来や商品説明を英訳した説明書が添えられたおもてなしの心が喜ばれ、海外への贈り物としても人気である。米国のホワイトハウスにも届けられ、平成12年(2000年)にヒラリー・クリントン米大統領夫人(註:1993年~2001年大統領夫人、2001年上院議員、2008年国務長官)から、板倉社長に礼状が届いている。

洞爺湖サミットの土産品に

 平成20年(2008年)7月の北海道・洞爺湖で開催された第34回主要国首脳会議(サミット)でも、日本を代表する菓子の土産品として、桜ゼリーが各国首脳にも振舞われる栄誉を得たほか、同年10月に来日した英国チャールズ皇太子(現在の英国国王)ご夫妻への茶話会のお菓子として「宝石ゼリー」と「レーズンサンド」が提供された。

APECで各国閣僚に提供

 平成22年(2010年)に横浜市で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)において、レーズンサンドが地元の洋菓子として各国閣僚にも提供された。

 こうして、「かをり」の洋菓子は日本を代表する菓子として世界にもその名が知られることとなった。

 ある時、英国人の記者が取材に来て、「今まであなたのご両親と『かをり』は、フランス料理を通じてフランス文化を日本の人たちに伝えてきました。今度は、日本の国花である桜のゼリーを通じて、世界の人たちに日本文化を伝えるといいと思います」と言ってくれ、我が意を得たそうである。

芸術・文化向上や社会活動に関与

 板倉社長は、これまで横浜商工会議所第1号議員、横浜商工会議所女性会会員として横浜経済の発展に貢献してきたほか、神奈川近代文学館をサポートする会幹事や神奈川芸術文化財団評議員など数多くの団体で、神奈川の芸術・文化向上や社会活動に関わってきた。

 さらに板倉社長は、桜との縁が深い(公財)日本さくらの会評議委員と(財)尾崎行雄記念財団の評議員としても、長く友好・国際親善に努めてきた。

日本さくらの会

 (公財)日本さくらの会は、親善大使「日本さくらの女王」を2年ごとに選出する。日本さくらの女王は、毎春米国から、ワシントンのポトマック河畔での「全米さくら祭り」に招へいされ、ホワイトハウス訪問やパレードなど数々の行事に参加して親善交流に努めている。

尾崎行雄記念財団記念式典の引き出物提供

 尾崎行雄(号:「咢堂」がくどう)は、「憲政の父」として有名な政治家で、東京市長時代に日露戦争の講和に尽力した米国に感謝の気持で、明治45年(1912年)日米の平和と親善の象徴として、ワシントンに桜の苗木3000本を寄贈し現在のポトマック河畔の美しい桜の公園の基を築いた。

 平成16年(2004年)に「尾崎咢堂没後50周年記念式典」が開催され、小泉純一郎首相(当時)はじめ尾崎咢堂の三女の相馬雪香氏や衆参両院から多数の国会議員など約600名が参集した。その際、「かをりのイチョウチョコレート」が当日の引き出物として提供された。

「初めは桜に因んで『桜ゼリー』をとの話がありましたが、高いからと代わりに神奈川県の木のイチョウをモチーフに創ったイチョウチョコレートをお出しすることになりました( 板倉社長)」とのエピソードがあったそうである。

世界に向けて文化を発信

 板倉社長は「欧米の食文化を取り込み、広く日本の人々に香り豊かな味を伝えたこの地こそ洋食・洋菓子発祥の地と言えましょう。偶然にも歴史ある地を得た『かをり』は食文化の担い手として、これからも美味しい芸術をお届けいたします。横浜は世界の文化を取り入れて、日本国中に文化を伝えてきました。今度は、神奈川、横浜から世界に向けて文化を発信したいと思います」と力強く意気込みを話す。

(完)