渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第18回 岐阜続編その5 )

そろそろ山形へ戻らなければならない。テレビに映るローカル番組に名残惜しさを感じつつ、荷物をまとめる。決められたチェックアウト時間のぎりぎりに部屋を出た。
昼食の場を求めて人が出歩くにはまだ早く、街は静かだ。スマートフォンで電車の時刻表を確認してから、一休みできそうな店に入った。
餅菓子屋に併設された喫茶店らしい。創業100年を超えているという。小豆色のビロードをまとったソファが、いかにも街のうつろいを見守ってきたという風格を漂わせている。私は昨日タカシマヤでもらったバラの入った紙袋を、わざと目立つようソファにもたれさせた。
——これを見たら向こうから話し掛けてくれるかもしれない。
程なく調理場との仕切りの向こうから老婦人が近寄ってきた。
「ぜんざいね」
婦人は、紙袋もそこから頭を出すバラの花も気に留める様子すら見せず、わざとらしさのない愛想で私の注文を繰り返し、痛む膝をかばうような歩き方で調理場へと戻っていった。
やがて運ばれてきたぜんざいは、まさに期待通りの柔らかく深みのある甘さで、やや焦げ目の付いた餅の香ばしさが次の一口を誘う。添えられた昆布の佃煮も、味わいを新鮮に保つコントラストとして絶妙な働きをしていた。
ついうなりながら緑茶を口に近付けると、いかにも常連客らしい、少し腰の曲がった女性が店に入ってきた。調理場の老婦人と簡単なあいさつを交わすと「タカシマヤ、なあ」とだけ発して、出入り口のそばの席に腰を下ろす。私は彼女たちの笑いとも悲しみともつかない表情を眺めながら、この場所に流れる生々しい日常を感じた。
途端に、これ見よがしに立て掛けた紙袋が恥ずかしくなる。そっと足元に隠して、今はただ休憩をする人間になろうと決めた。
会計をして駅に向かう。ちょうど昼時だ。道すがら目にした玉宮通りはスーツ姿の人々が歩いていて、中には柳ケ瀬の方へ向かう一団もあった。
新快速の列車は20分で私を名古屋へ運ぶ。降りると、いくつものビルが空から何かもぎ取ろうとでもしているかのように高く伸びていた。おびただしい往来には外国人の姿も多い。慌ただしく行き交う人々の摩擦が、そのまま街の熱気へと変わった。
——名古屋に行けば買えるんだけどね。
JR名古屋駅直結のタカシマヤに「御座候」が入っていると聞いた。案内図を頼りに足を運んでみる。確かに、長大な行列の根っこで見た看板が掲げられていた。
並ぶ人は居ない。価格表を眺めているうちに数人が買っていく。岐阜の人たちが冷凍できると話していたので「赤あん」と「白あん」を三つずつ求めた。
何か食事をとも考えたが、この旅はあのぜんざいが最後でいいような気がした。新幹線に乗り込む。後ろに去ってゆく景色を見送りながら、窓にため息を吐き掛けた。
——おとなしく買い物に付いてきたごほうびね。
幼いころ、母に連れられて大沼デパートへ行った記憶が立ち上がる。目の前で輝いているのはクリームソーダだ。
何度目だろうか。大沼が破綻して以来、デパートといえばこの光景が浮かぶ。母の作る夕食や機嫌の良し悪しが、私の生活にとって重要な意味を持っていたころの、つまり母と「家族」だった日の思い出だ。
母の好みと無関係に進路を選べる今は、何て自由だろう。母の顔色をうかがわずに暮らせる今は、何て自由だろう。
私は自由への空へ飛び立つ瞬間に、足の裏でデパートを踏んでいたのかもしれない。
やがて、まぶたが重くなってくる。いびきで周りに迷惑を掛けてはいけないので、スマートフォンを触ることにした。
(岐阜編終わり)
