渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第17回 岐阜続編その4 )

 岐阜タカシマヤの最期を見送った夜、とある焼肉店に入った。間もなく8時になるころだ。ほどよく年季を感じる落ち着いた雰囲気で、一番奥のテーブルには20代後半くらいの、まさに「ヤンキー」といった格好の男女2人が片肘を突いて向かい合い、ジョッキのビールを半分ほどに減らしている。私の他にお客はそれだけだった。

 彼らの席から2つ空けて椅子に座る。厨房の奥から出てきた店主らしき男性に生ビールを注文し、メニュー帳を開いた。同年代の人間からは「さすがにもうカルビはきつい」などという言葉も漏れてくるが、私には無縁な話だ。ビールの到着と同時に、カルビとシマチョウを1人前ずつ頼んだ。

 ふと異変に気が付いた。先ほどまで聞こえていた奥の2人の会話が止まっている。頭を黄色にした女性はうつむき、帽子をかぶった男の方は右手のスマートフォンに目を落としたままだ。テーブルに残った肉はどうするつもりなのかと気に掛けていると、私のテーブルに注文の品が届いた。

 ぎょっとした。皿に並べられたカルビは、私の知るものとまるで違っている。あらかじめタレをもみ込んでいるのだろうが、それを差し引いても変色の度合いがひど過ぎる。赤みは失われ、まるですでに火が通っているかのような見た目をしていた。

 これはかなり長い間、冷凍庫に眠っていた肉だ。つい眉間に力を入れながら1枚焼いて、つけダレにくぐらせ、口に運ぶ。塩辛い画用紙を食べているようだった。

 がらんとした店内を見回す。奥の2人は相変わらず沈黙したままで、テレビの音だけが、控えめに調整されつつも賑わいの役目を担っていた。
 シマチョウを焼きながら、店主にキムチの盛り合わせを注文する。それをつまみにもう1杯のビールを飲んで、あとはホテルで仕切り直そう。頭の中ではそんな算段が出来上がっていた。

「何でずっと黙ってるんだよ」男の声だった。

 彼はスマートフォンを手にしたまま目線を女性の方に向けて、いかにも
面倒くさそうに言い放った。

 女性はしばらく唇を結んだままでいたが、やがて短い言葉を少しずつこぼしながら理由を明かした。自分の話をまともに聞いてもらえなかったのが嫌だったらしい。男の方は「聞いてた」と対抗する。私からは手元の画面をひらすら凝視しているだけに見えたが、耳は彼女に向いていたということだろうか。

 程なくキムチの盛り合わせが届いた。細かく刻んだ野菜の絡む、意外にも本格的な姿だ。自家製だろうか。白菜の根に近い部分から試してみる。これまでに食べてきたキムチをたちまち抜き去るくらいうまかった。

 かむほどに、重層的な味が口の中に広がっていく。それを引き連れる柔らかい酸味は、漬けてからそれなりの時間を経て熟成した証か。

 皮肉なことだが、店がもし繁盛したらこの味はなくなってしまうのだろう。きゅうりと大根の仕上がりにも思わずうなずきながら、私は2杯目のビールを終えてハイボールに切り替えた。

 奥の男女はまだ言い合いを続けている。彼らについてよく知らない私にも、普段からたびたびこんなけんかをしているのだろうとわかった。それでいて決定的な別れにはきっと至らない。なぜなら「ファミリー」だからだ。家族同然の関係を築いた彼らは、あらゆる感情を当たり前に共有しているのだろう。それが伝わってくるからか、2人のいさかいには頼もしさすら漂っていた。

 テレビのニュースがタカシマヤの閉店を報じる。セレモニーの映像が流れる数分の間に、2人は鉄板から上がる煙を挟んで笑い合っていた。

 出されたものを平らげて、会計をする。おつりを受け取りながら、それとなく店主にデパートの話を振ってみると、店主は「これからもっと大変になるね」と眉根を寄せた。

 以前この焼肉店は、ホステスの同伴出勤によく使われていたのだという。だがここのところ、女の子を雇う店が同伴を推奨しなくなったらしい。お客から1円でも多く自分の店に使ってもらうためだそうだ。

「デパートは街の象徴やろ。それがなくなってもうたら、足を向ける人はますます居なくなる」

 キムチに感激したと礼を言って出入り口の扉に手を掛ける。どんな面白いことがあったのか、奥の2人が手をたたきながら笑っていた。

(続く)