渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第13回 弘前 )

  翌日、9月18日の朝から弘前駅前のイトーヨーカドーに出掛けた。開店直後だったが、地下の売り場にはすでに行列ができている。30人くらいだろうか。年齢にばらつきはあるが、皆女性だ。

 お目当ては「ポッポ」という店のクレープらしい。焼き場の近くに山のように積み上げられたバナナが、注文の途切れない1日を予感させた。
 
50代くらいの女性が列から離れて、店の看板を感慨深そうに眺めている。

「昔からの思い出の味だからね」

 しみじみと彼女は言った。幼い娘を連れて買い物に来ると、最後は必ずここに立ち寄ってクレープを買ったのだという。そこまでは立ち入らなかったが、もしかしたら大きくなった娘が今、列に並んでくれているのかもしれない。

「弘前には何もなくなる」

 彼女も、昨夜の女将と同じような言葉を漏らした。

 中三の抜け殻に向かって歩いてみる。もう少し行けば弘前城があるので、そこまで足を伸ばしてみようか。

 道すがら、社会科見学中だという中学生たちと出会った。

「デパートには、親からご飯を食べに連れてきてもらったことがあります」

 文字でうまく再現できないのだが、弘前の人には方言や独特のイントネーションが残っている。昨夜の女将も、先ほどの婦人も、目の前の彼らもそうだ。

 私の住む山形市内になると、方言を使う子どもはほとんど見かけない。親が話さないからだ。しっかり土地の言葉が受け継がれている点も「身近な都会」がない青森ならではなのだろうか。

「でも、人が少な過ぎてだめだと思いました」

 あまりに率直な物言いに笑ってしまった。

 デパートに憧れや懐かしさを持たない世代には、そう映るのが当然なのかもしれない。礼をして別れると、中三のすぐそばにある婦人服店から店主が出てきた。割烹着姿の、見るからに商店街の移り変わりを目にしてきたといったたたずまいの女性だ。

「中三は、少し前からそろそろってうわさが出てたからね」

 今年で76 歳だという。やはりこの辺りの情報には通じていそうだ。

「ジュンク堂が4月にやめたでしょう。そのころから売り場の棚がぽつぽつ空いてたし、給料の未払いがあるってうわさも何回か聞いたしね」

 私たちが立ち話をしている「土手町通り」も、下りたままのシャッターが目立つ。5 月には150年近く続いた老舗和菓子店が廃業したそうだ。

 ふと目をやった中三は、他のデパートに例を見ない逆円錐を頭に乗せている。往時はあの独特な輪郭で、多くの人を吸い寄せていただろう。

「この先に弘前城があるでしょう。寺の集まった場所もある。昔は車なんて使わないから、みんな駅からそこまで歩いたんだ」

 土手町通りはその経路なので、城を目指す人、寺から戻ってくる人などで常にあふれていたという。

「今は車で行って、真っすぐ車で帰る。来たついでに商店街で買い物する人なんてほとんど居ないんだよ」

 ここで私は、昨夜の女将にできなかった質問をした。弘前城の桜、夏のねぷた祭り、観光資源は豊富ではないか。外からやって来た客なら、この辺りを歩いたり、買い物を楽しんだりということも多いはずだ。

「人はいっぱい来るのよ。だけどそういう時期はホテルの料金が高くなるでしょう。商店街に落とすお金なんてないの。実際に、売り上げなんて多少いいかなくらいよ」

 その辺りは業種によって恩恵の差はあるのかもしれない。だが時期によって跳ね上がる宿泊料金がその他への出費を圧迫するという事情は、私を含め身に覚えのある人が多いだろう。
「盛岡に宿を取って、観終わったらそっちに帰るなんて人も居るからね」

 店主とのやりとりを続けているうちに、私にも少しだけ弘前に暮らす人々の抱く感情が分かったような気がした。

 ——何もなくなる。馴染みある商業施設が次々と消え、観光に訪れる人は目的が終われば去ってゆく。共に生きる人が失われるという寂しさが、この街には横たわっているのかもしれない。