日本の百貨店のあゆみ 8 ~そごう百貨店

190年の歴史~繁栄と現在

大阪発祥のそごう

1830年 十合伊兵衛(そごういへい)が大阪難波に古着屋「大和屋」を開業する。

1870年 二代伊兵衛が相続後に商売を拡張する。

1872年 吊りぎれ(織物の切れ端)を売り始める

1876年 安堂寺橋通三丁目に移転。木綿呉服店を開業

1877年 呉服商に転業。店を心斎橋筋一丁目に進出し、商号を「十合呉服店」と改める。西南戦争の軍需景気により大成功を収める。

1890年 二代伊兵衛死去により、三代伊兵衛(庄吉)が相続する。

1894年 心斎橋現在地へ(そごう心斎橋本店→旧そごう大阪店→現心斎橋パルコ2020年11月開店予定)移転

1899年 神戸相生町に神戸支店開設。会社目的を 呉服木綿洋反物金巾類の販売へ変更する。

1900年 大阪本店にショーウインドー設置

1901年 神戸支店元町に移転

1905年 大阪本店女子店員3名初採用

1906年 三代伊兵衛の長男秀太郎が、坐摩前で十合洋服店を開業

1908年 大阪本店新築開店(耐火土蔵造り店舗)。百貨店営業をめざす。商号を合名会社「十合呉服店」と変更

1909年 三代伊兵衛死去により十合孝蔵本店長となる。

1910年 十合芳三郎本店長となる。

百貨店へ参戦

1919年 大阪本店増築開店。百貨店として営業を開始する。株式会社十合呉服店設立。「五服会」東京で結成。

1920年 戦後恐慌。大阪本店にて大暴落半額売出しを開催。

1922年 京都支店にて京染の通信販売開始

1923年 関東大震災。大阪本店 が十合洋服店を吸収。 洋服部新設

1924年 日本百貨店協会結成され、加盟する。

1928年 大阪本店下足預りを廃止。全店土足とする。

1931年 岸田秀之助、代表取締役に就任

1933年 神戸支店が元町から三宮へ移転し百貨店として新築開店。神戸そごうの表記とした。広告にも平がな「そごう」の表示を使い始める。

昭和恐慌のあおりを受ける

1935年 昭和恐慌のあおりを受け、本店改装の工事費に行き詰まるが、板谷宮吉(北海道位の財閥)に本店建築第2期工事資金の調達協力を申入れる。板谷宮吉を取締役会長に選任し、十合一族は経営から退く事となった。

大阪本店が新築開店。村野藤吾設計による地下3階、地上8階建ての本店は、モダニズムの傑作と評価された。心斎橋を象徴する百貨店として、それまでの堺筋から御堂筋が大阪の新たなメインストリートとなるきっかけを作った。開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することになる。

1937年 日本百貨店商業組合解散する。新たに日本百貨店組合が結成され加盟する。

1940年 商号を株式会社十合と変更

1941年 太平洋戦争。戦争により、年末夜間営業の中止等を緊急決定する。

1942年 土屋専務を社長に選任

1944年 売り場に空きができたため、大阪本店にて、戦争から顧客の財産を守る「家財保護預り」を開始し話題となる。

戦後の経営危機

1945年 第二次大戦終結。戦後、進駐軍のPXとして売り場を提供したため、營業ができなくなる。

1946年 大阪本店全館接収される。大阪本店を西区に移転。地下鉄難波駅構内にそごう難波店開設。

1948年 神戸そごう洋裁学院を支店地階に開設

1952年 約7年に亘る接収が解除される。大阪本店が大阪店に、神戸支店が神戸店に改称される。大阪本店が再開店。梅田そごうステーションストア開店

1954年 板谷会長代表取締役社長に就任。東京へ進出した大丸が大成功を収める。

1956年 神戸店増築開店

東京への進出

1957年 有楽町駅前の読売会館に「そごう東京店」(有楽町そごう)開店。社歌制定。代表取締役社長に坂内義雄選任。そごう東京店のキャッチコピー「有楽町で逢いましょう」のキャンペーンソングが誕生。映画制作、歌番組などで大流行する

1958年 坂内義雄社長就任。大阪神戸両店合同でテレビ宣伝放送開始

1959年 株式会社創立四十周年

1960年 坂内義雄急死により、当時のメインバンク大和銀行の意向で若菜副社長が社長に選任されるが、板谷家の血縁者、水島副社長との間で経営権争いとなる。

地方、海外への進出とそごうの急成長

1962年 水島広雄副社長が社長に選任

1967年 株式会社千葉そごう設立[。千葉そごう開店。アメリカの百貨店の出店定石となっていた「レインボーの法則」(大都市を中心に虹のように取り囲む配置で出店する戦略)を参考に、東京を中心にしてまず千葉に出店、成功を収め、この後、全国に店舗を展開していく。

1969年 商号を「株式会社そごう」と変更

1971年 いよてつ店開店。1973年 柏店開店 1974年 広島店開店。そごうの開業によって街が発展し、紙屋町周辺は「そごうタウン」と呼ばれた。1978年 札幌店開店、木更津店開店 

1979年 黒崎店開店。業界初となる北海道、本州、四国、九州に店舗を展開する。1981年 船橋店開店 

1983年 川口店開店、八王子店開店、徳島店開店、長野店開店、東京ディズニーランド開園に伴い、「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーに就任。

1984年 タイ店開店 1985年 横浜店開店(当時、世界最大級の売り場面積と話題になる)香港店開店 1986年 シンガポール店開店 1987年 大宮店開店、台北店開店 1988年 豊田店開店 1989年 多摩店開店、奈良店開店、加古川店開店、ペナン店開店 1990年 呉店開店、西神店開店 

1992年 福山店開店、柚木店開店 茂原店開店。そごうは国内外で35店舗を展開し百貨店業界での売上日本一となった。

1993年 小倉店開店。柚木そごう閉店

1994年 岩村榮一社長就任。水島廣雄氏は会長に就任。 1997年 錦糸町店開店、コトデン店(高松市)開店 

倒産~バブル崩壊による不況の波

1999年 山田恭一社長就任

2000年 民事再生法 手続申請。負債総額1.8兆円を抱えて事実上の倒産。これにより半数以上の店舗が閉店となる。そごう発祥の再生のシンボルとして再開店を目的にそごう大阪店閉店。その他、船橋そごう閉店(現ららぽーとウエスト)、木更津そごう閉店、茂原そごう閉店、長野そごう閉店、豊田そごう閉店、奈良そごう閉店、加古川そごう閉店、福山そごう閉店、小倉そごう閉店、黒崎そごう閉店。山田恭一社長が経営破綻(はたん)の責任を取り退任。

2001年 株式会社西武百貨店と包括的業務提携を締結。有楽町そごう店閉店(現ビックカメラ)。いよてつそごうが、高島屋との資本提携により、いよてつ高島屋と店名を変更する。西武百貨店元社長の和田繁明社長就任

2003年 株式会社十合を「株式会社ミレニアムリテイリング」に商号変更。

2005年 そごう心斎橋本店 開店(そごう大阪店の跡地に新築)

2006年 ミレニアムリテイリングが7&i傘下となる

2009年 株式会社そごう・西武に商号変更。店名はそごう、西武を残した。初代社長に山下国夫氏

2012年 八王子店閉店 

2013年 松本隆2代社長就任。そごう呉店閉店 2014年 コトデンそごう閉店 

2016年 林拓二社長就任。そごう柏店閉店

2018年 そごう横浜店に国内最大級のビューティーフロアがグランドオープン

2019年 そごう神戸店閉店。セブン&アイ・ホールディングスとエイチ・ツー・オーリテイリングが業務提携を結び、神戸阪急としてオープンする。

2000年 そごう東京店(有有楽町店)閉店。札幌そごう閉店(現札幌エスタ)、錦糸町そごう閉店(現アルカキット錦糸町)、多摩そごう閉店(現ココリア多摩センター)

2020年 そごう徳島店、そごう西神店閉店 

2021年 川口店閉店。西武秋田店、西武福井店リニューアル。

そごう・西武売却へ

2023年8月 西武池袋本店が百貨店としては61年ぶりのストライキを実施。

2023年9月 親会社であるセブン&アイ・ホールディングスは子会社のそごう・西武をアメリカの投資ファンド「フォートレス・インベストメント・グループ」へ売却。劉勁氏が代表取締役に就任。

2023年現在の店舗

そごう横浜

そごう千葉

そごう広島

そごう大宮

(株)そごう『株式会社そごう社史』

西武そごう公式サイト

東洋経済 そごうの栄枯盛衰に見る絶対強者に生じる綻び