渡辺大輔のデパート放浪記 - ペンを捨てよ、街へ出よう - (第11回 岐阜その5)
旅をすると、その土地の「ソウルフード」を食してみたくなる。昨年4月に青森県弘前市へ出かけた際には、中三の地下にある「中みそ」がそれに当たるというので訪ねてみた。細め麺に絡むスープは優しい甘みがあって、デパートにふさわしい幸福感あふれる味だった。たった一口で街の人々と同化した気になれるのだから、私はこの錯覚が欲しくてソウルフードを探すのかもしれない。
だが岐阜ではかなわなかった。
2024年7月31日、朝からよく晴れてやや風が強かった。記念のバラをもらうために開店より1時間半も早く正面玄関に並び、同じく列に加わる人々の会話に聞き耳を立てながら待つ。するとタカシマヤの従業員が近づいてきて、私たちに声を掛けた。
「こちらはバラのプレゼントをご希望のお客様の列となります」
もとよりそのつもりだと聞き流しかけたが、続く言葉にはっとした。「『御座候』をお求めのお客様は、あちらにお回りください」
私の立つ位置からは見えないが、別の入り口にも人だかりができているらしい。昨日だって階段の踊り場へはみ出すほど列が伸びていたくらいだ。「バラより御座候」という人も大勢居ておかしくない。
午前10時、いよいよ扉が開く。深いお辞儀に迎えられた後、手提げ袋を受け取った。この日のためにこしらえられたものなのだろう。青空の色を背景に、どこかあどけない絵柄でタカシマヤの外観が描かれている。屋上から揚がるアドバルーンのさらに上には、横書きで大きく「47年間のありがとうを。」と記されていて、袋の中をのぞくと2本のバラが咲いていた。
セール品を目当てにか売り場に急ぐ姿もあれば、馴染みの店員と笑顔で会話する姿もある。私はどうしても気になって地階へ降りるエスカレーターに足を乗せた。
すでに棚を空にしている箇所は昨日よりも増えていて、それでも昨日以上の人波だ。その間を擦り抜けて「御座候」の売り場へ向かった。
当然ながら、店舗をぐるりと囲むように列ができていて、階段の方へ伸びている。その尻尾は見えない。列からやや外れたところに、苦笑いをしながら話している70代くらいの婦人たちが居た。
「2時間半待ちだって」
私が正面玄関の大行列に加わっている間、別の入り口にもそれだけの人が押し寄せていたというわけだ。「御座候」が岐阜市民にとってソウルフードの一つであることは間違いない。だが私は食べるのを断念せざるを得なかった。
せめて昨日のうちに、いや5月に来た時になどと悔やみながら、エスカレーターを使って下から上へとまんべんなく巡ってみる。どのフロアも親密な雰囲気が漂っていた。それはおそらくあちこちで交わされるお客と従業員とのやりとりから生まれたものだろう。皮肉にも私はその瞬間に、デパートが元気だった時代を擬似体験した。
11階のレストラン街で再び行列を見ることになった。開店時間を控えている店舗はそのフロアにいくつかあるが、特定のテナントにだけ極端に人が並んでいる。皆の目当ては「あかさたな」という店だった。
「昨日ね、タカシマヤが閉店するってテレビで観て」
最後尾の母娘に話し掛けてみると、50代くらいの母親の方が残念そうに言った。
「だけど行こうとまでは思わなくて。でも今日になったらどうしても気になってね、来ちゃった」
ややばつが悪そうに笑う。
「レストランはいろいろ変わったけど『あかさたな』は長いの。昔はおばあちゃんに連れてきてもらってね。ラーメンとか、あんみつとか、あと『ちょぼ餃子』がおいしくて」
この店もまた市民にとってのソウルフードを抱えているのだろう。だが私は彼女の後ろに並べなかった。一口で同化を味わうといった軽薄な楽しみで汚してはいけない清らかなものを感じたからだ。
岐阜タカシマヤの葬式は、温かくにぎやかな空気に包まれて始まった。
そしてこの回想を文章にしている最中に、弘前の中三が急に閉店したとの知らせが飛び込んできた。
行こう。別れの準備をした街と、できなかった街と、大きな違いはある。だがその違いの中に「街とデパートとの関係」を読み解く鍵があるはずだ。
(続く 5/6回)